給料が上がらないという議論を読み解く

「給料が上がらない」とか「いや問題ない」という議論がある。これについて観察する。読むのは日経新聞ダイヤモンドオンラインの野口悠紀雄の記事である。




日経新聞がOECD加盟国を調査したところでは、日本の民間部門の時給は1997年から2017年の20年の間に先進国で唯一下がっている。これが生産性の低下を招き、生産性が上がらないから給料が上げられないという負のスパイラルを生み出している。日経新聞はこれを「貧者のサイクル」と呼ぶ。スパイラルになると因果関係を調査してもあまり意味がない。

この件に関しては一般の関心も高いようだ。Quoraで聞いたところ多くの閲覧者が集まった。整理された回答とは言えないのだが、マネジメント・消費者・投資家という複合した要因が長い時間を書けてこうしたトレンドを作ってきたということは感じ取れる。

これとは別の切り口もある、野口悠紀雄は今回ご紹介するのとは別の記事で、中小・零細企業から正社員が放出され大企業が安く人を雇えるようになったからなのではないかと言っている。つまり構造的閉塞状態が続くと大企業独占が強まりますます企業に有利な雇用環境が生まれてしまうのである。貧者のサイクルがどんどん強まってしまうわけである。

日経新聞の記事では最低賃金を上げて付いてこれなくなった経営者を切り離すべきだという意見を紹介している。が、今の自民党は地方の不満を爆弾のように抱えこんでいるようなのでこの政策が実現することはおそらくないだろう。

ところがこの現状を政府は認めてこなかった。ゆえにこの現象には二つの見解ができている。今回のQuoraには、なぜか政府側の見解に添った回答に「高評価」が付いている。今は生活に困るほど困窮していない人もいて「大したことはない」というバイアスが働く。これまでの豊洲の議論・高橋まつりさん事件・伊藤詩織さん事件に通じるものがある。日本人は本能的に「問題の警告」を嫌うのだ。

安倍政権は総雇用者所得が上がっているから給料は上がっているのだと主張してきた。だから問題ないというのだ。では、総雇用者所得とは何なのか。実はこれは合成して作られた数字なのである。毎月勤労統計調査」の1人当たり名目賃金(現金給与総額)に、総務省「労働力調査」の非農林業雇用者数を乗じたものだ。と説明されている。もともと一つの統計ではないので何かを分析するためにデザインされたものではない。ゆえに政府に実態を把握する意欲があるならば、なんらかの調査を行うべきだろうし、

そこで、野口は非正規雇用が増えたせいで労働者数が上がり全体として数字が上がっているのだと分析している。一人当たりの労働でみた実質賃金は下がっているということなので「働かなくてはならない」高齢者と女性が増えているというのだ。安倍首相はこれを一億層活躍と言っているが、見方を変えれば「一億総動員」である。だが、これも一人ひとりに意見を聞いたわけではなく、どちらが正解なのかはよくわからない。

一つだけ確かなのは支出を抑えたい今の労働環境=消費市場が高付加価値型の製品やサービスを求めることはないだろうということである。また低賃金に張り付く労働力が比較的手に入りやすいので、低賃金依存の労働環境が「正解」となり、ますます貧者のスパイラルが強化されてゆく。こうして日本は経済成長から取り残されてしまうのである。

この二つの記事を読むといろいろなことが見えてくる。まず、野口が指摘するように与野党の議論が噛み合っていない理由がわかる。野党は日本人全員が相対的に苦しくなっていることを問題にしている。が、自民党は全く別の数字を持ち出して「企業は人件費への支出を増やしているから問題はないのでは?」と言っているのである。議論が噛み合っていないというより、議論するつもりがないのだろう。なぜかというとこれは「政策の正当性」の議論であり、政策の議論ではないからだ。

ここで「どちらが正しいのか」という運動会的視点を離れて問題を見てみよう。企業は人件費を削減しようとして非正規雇用への転換を進めた。ところが全体としてみるとなぜか人件費は上がっている。これはどういうことかというと「全体効率が落ちている」ということである。部分最適化を進めても全体として最適な解が得られるわけではないということを意味している。

高度経済成長期には本社機能が優れたビジネスプランを作りそれを分散するという手法が取られていた。こうすると全体的に効率が上げられる。先端部が生産的であれば末端は生産性を求められず「いうことを聞いていれば」よかった。いわば中央集権的な成功事例である。

ところがバブルが弾けて「どうしていいかわからない」状態になると、本社機能が末端に「何か儲かる仕組みを探せ」というようになった。もともとそういうデザインの社会ではないため探索機能はうまく機能せず、中央集権的なやり方も手放さなかった。そこで本社決済で行える人件費削減が流行し、ますます正解が探せなくなっている。このため効率が落ち、社会全体で人件費の高騰という形で現れてきている。つまり「生産性が上がらないのに総雇用者所得だけが上がっている」というのは問題がないどころか、大問題なのだ。

もっと平たい言葉で説明すると「みんながバラバラに働いているから効率が悪くなる」ということになる。すると一人ひとりの労働者は満足できるほどの給料がもらえず、企業も割高な給料を払っているということになってしまうのだ。そして、この結果振り落とされるのは競争力のない地方の中小零細企業である。彼らが自民党にしがみつけばしがみつくほど自分たちの首を絞めてしまうのだが、運動会をやっているあいだはそれに気がつけない。

もちろん安倍政権がこうした状況を作り出したわけではない。安倍政権はどちらかというとこうした集団パニック的な状況を傍観・追認しているだけである。ところが野党がこれを「安倍政権のせいだ」と攻撃するので、自動的に「防御しなくては」という防衛本能が働いているのだろう。

こうして落ち着いて複数の文章を当たるだけで「ああ、これは全体的にうまくいっていないな」という遠近感が得られるのだが、みんなそれぞれの運動会に忙しいので日本全体がこの問題に気がつくことはないのかもしれない。