日本社会と二つの村構造

前回「劇場型政治」について見た時、日本の政党政治は普通選挙が実施された頃から劇場化しやがて崩壊したと書いた。




今回読んだ「日本史の論点」の中にも大正デモクラシーと議会政治についてに短い一節がある。日本は急速な近代化をする必要があり官僚指導のトップダウンの政治システムが作られた。これが却って議会政治の成立を難しくしたという経緯が書かれている。官僚システムがしっかりしていたために話し合いで国をまとめる必要がなかったのである。

廃藩置県の時に藩をまとめて郡にしたのだが選挙区は複数の郡を一つの単位とせざるをえなかった。この藩の構造が議会政治に組み込まれていったようである。よくこのブログで「日本は村社会で公共を理解しない」と書くのだが、自分自身でもこれを信じていないところがあった。社会的合意のある理論を引いているわけではないので「まあたとえに過ぎないんだろうな」と思っていたのだ。でも実際には「本当の村」が議会政治になったという経緯があるようだ。

この「日本史の論点」を読むと、日本の近代国家作りはトップダウンで行われたことがわかる。そしてこれも薩長土肥という限られた藩出身者の個人的ネットワークに支えられていた。このため日本の政治体制はトップとボトムにそれぞれ違う村構造を抱えることになった。

トップの村は天皇に責任が行かないように権力を分配していた。これは明治維新の担い手が限られたインナーサークル(つまり村)であったために成り立っていた仕組みだと思うのだが、国家が大きくなるとこれも機能しなくなる。最後の元老であった西園寺公望が政治に関与しなくなり天皇が昭和天皇に代わるころから非公式の(憲法に規定がない)調整機能は失われた。議会政治も成り立たなかったので明治体制は軍部依存の戦時体制に突入し壊れてしまうのである。

繰り返しになるが、日本の政治には異なる二つの村があったことになる。一つは天皇を取り巻く側近たちの村であり、もう一つは旧来の藩に由来する本物の村である。では、この村構造は戦後どうなったのであろうか。

議会政治家は「保守」として残るがやがて傍流化してゆく。トップの方の村を引き継いだのが官僚出身の吉田学校でありその政策(公式にまとめられたものではなかった)が吉田ドクトリンだったのだろう。官僚出身者による村であり天皇の代わりにGHQをいただいた政治体制を作ったことになる。これも実は憲法外の非公式組織だった。

ここで最後の元老らしい役割を担っていたのは宮沢喜一だ。サンフランシスコ講和条約の際には池田勇人(全権委員)付きのスタッフだったそうだ。宮沢喜一はバブル崩壊時の首相であり、非自民系の細川内閣二道を譲ることになる。つまり自民単独政権の最後の内閣だった。と同時に戦後GHQ体制を知っている最後の首相だったのだ。

一方で、足元の議会政治は村政治から脱却できなかった。都市部に村がなくなると浮動票などと言われるようになりそれに代わる公共は作られなかった。さらに個人的ネットワークに支えられた保守本流も政策立案能力を失う。つまり戦前の村構造は保守本流と保守傍流という流れに変化したということになる。

細川政権のあとの政権を担ったのは、森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三と言った人々だ。彼らはもともと議会制民主主義(下の方の村)にいて上の方の村(保守本流)に否定されていた人たちである。小泉純一郎の「自民党をぶっ潰す」は保守本流の破壊と権力の奪還だった。しかし小泉はその代わりになる新しい村も近代国家的な公共も作らなかった。公共を作らなかったせいで小泉路線は「新自由主義的で弱者に厳しい」などと言われることになる。旧来の村利権に守られた人はそれを感じず、徐々に無党派層と呼ばれるようになった人は「新自由主義に翻弄されている」と感じているのかもしれない。

この時期に壊されたもう一つの構造が中選挙区制度による譲り合いのシステムだった。これは大正期の藩どうしの譲り合いに似た制度だった。日本は比例代表ではなく中選挙区制で事実上の連合政権を作ってきたことになる。政策によるまとまりも作れないので「二大政党制」ができない。デュヴェルジェの法則を成り立たせるはずの契約と妥協ができないのだ。新しい伝統を作らずにとにかくこれを破壊したのは小沢一郎らだった。

なぜ小泉も小沢も新しい村を作れなかったのかはわからない。だが小泉には自分には新しい村が作れないことがわかっていたのだろう。政界を引退してしまった。あとは好き勝手に原発の運動に参加したりして余生を楽しんでいる。しかし小沢はそれがわからない。そのため山本太郎を引き入れたり玉木雄一郎と組んだりして集団破壊行為を繰り返している。小沢には新しい村は作れないうえに、実は自分は岩手県という村落構造がしっかしした地元に支えられているという意識もないのかもしれない。小沢には拠り所になる村があり、そうした拠り所を持たない人たちを抱き込んで新しい公共ができるのを阻んでいる。

非自民系では菅直人がリベラル村を代表して立憲民主党側から玉木雄一郎(国民民主党)を非難し、千葉の村では野田佳彦が小さな国民民主党の村を作り、結果的に立憲民主党と食い合いをしている。このように小さな村長がいつまでたっても現役を引退できず現役世代をかき回しているというのも現代の特徴である。

いずれにせよ現在の静かな混乱は、日本人が個人的なネットワークでできた集団である「村」を拡張できず、さらに後継者も育てられないし、かといって引退もしないという点に問題がありそうである。だが、保守の政治家も意外と過去を振り返ったりはしないので、そもそも自分たちが村から抜け出せていないということに気がつけないのかもしれない。