日本人は政治の話をしないしできないので、このまま終戦を迎えるしかない

Quoraで日本人は政治の話をしないという質問を見つけた。しばらく見ていたのだが「ああこれはダメだな」と思った。




前回、日本は自らがGHQになって終戦宣言をするかあるいは永遠のインパール作戦を戦う以外にないだろうと書いた。「ではどちらを選ぶのか」ということになるのだが、今回のお話から見る限りはインパールの確率が高そうだ。すると第三の道はないのかなとも思える。

これまで積み重ねてきたお話は次のような感じだ。日本のシステムはほぼ破綻(あるいは経年劣化)しており解体しなければならない。だが日本人はどういうわけか破綻を認めたがらない上に、失敗するとわかっているのにもとどおりにしたがる。もともと集団的な競争が好きなので「負け」を認めてしまうとみんなから叩かれる上に、旧来のものを保全したいという欲求が強いからである。

米英のような個人競争社会ではないので個人の自由度はないし、北欧型の共助社会でもないので再出発しようとする人は「結果負けた人」として容赦なく叩かれる。諦めなければ成功する人になれたかもしれない人も強制的にゲームオーバーになるのでそのまま社会に負けた人たちが沈殿する。ただこれが構造として理解されれば「ああ、これはまずいんじゃないか」と思えるかもしれない。構造と行動様式が無意識であり漠然とした不安を生み出しつつも行動にはつながらないという点が問題なのだから解決も実はカンタなのである。

いずれせよ「みんなはどうしたいのか?」というのが問題になる。

しかし個人の理想について語り合える人はいない(一方的に語ってくる人はいるが大抵大きな問題が固着している)ので、そもそも個人が希望を語れるのかということを知りたくて「日本人が政治について語らないのはなぜか」という質問をフォローしてきた。回答は絶望的なものばかりだった。

だが、面白いなと思うものはあった。いったん政治の話をはじめると戦争になるという人がいたのだ。何気なく書いたのかもしれないのだが「劇場型政治」について見たあとでは「そうだな」と思う。普通選挙が始まったときから劇場型政治は始まり、それは多分現代でも変わっていない。例えば、西表島では自衛隊誘致を巡って島が二分しており長老は島が潰れると危惧している(八重山毎日新聞)ようだ。このような話はいくらでもある。

現状のシステムを打破しようとしても人々はそれを認めようとしない。しかし正解がわかるわけでないのでそれぞれの視点で言い争いを始める。それを譲らず、相手を指差し罵る。それはなぜかやがて集団化し競争が加熱する。すると、人々は政治課題ではなくその競争に熱中してしまうのである。さらにそれが人々は政治や身近な社会問題について語らなくなるのだ。

世の中が良いときには政治について語るのは楽しい。人々が理想とする社会について語れるからである。しかし政治課題が不利益の分配になると当然人は黙りこむのだ。

ただ、ここまで見てみると「個人が抱えている問題を社会化したうえで政治問題を話し合いによって解決するのは日本人には無理らしい」ということもわかる。もともと議会制民主主義が村(つまり所与の環境)同士の競い合いを最初から内包してしまっているからである。

個人の理想を語ることを無理で危険と思っている上に相手の話もあまり聞かないのだから、無理してそんな社会を目指す必要はないわけだし、だったら考えずに楽しいことだけを考えていたほうがいいのかもしれないとも思えてくる。

考えてみたところで社会全体がある日突然公共の楽しさに目覚めて政治課題について考えるようになることはないのだろう。少なくとも明治維新以来150年はそんなことは全く起こらなかったのだからこれからも起こらない可能性が高い。生産性向上を目指してもインパール作戦に参加するだけなのだとしたら、そんなものには近寄らなければいいという結論が得られる。