安倍晋三さんの抜けられない牢獄と新興宗教としての自民党

日本人は村同士の闘争に夢中になる傾向があり議会民主主義が成熟しなかったというお話を書いている。これはこれで良さそうなお話だったのだが大きな欠点がある。ではなぜそれが最終戦争のような状態にならないのかという疑問である。つまり、最終的には枠組み全体が破壊されても良さそうなのだがそれが起こらないのだ。




これかなと思い当たるものがあった。Quoraで法律について話している一団の人たちが絶対に越えない一線があることに気がついたのだ。会計士が経営に口を出さないようなものだ。日本人には越えない一線があり多分それは社会的に決まっている。

そんなことばかりを考えていても鬱々とするので外に写真を撮影しに行った。三脚を立てて浮かれていた(まあ、実際に浮かれていた)ら公園を散歩しているおじいさんに絡まれた。彼は俺が若い頃は戦争で……と言い始めた。だがブログを書いているネタのない中年に絡んだのが間違いだったと思う。話を聞いているうちに「あ、これはネタになるな」と思ってしまったのだ。

そこで彼に今の政権について聞いてみた。また戦争になるかもしれませんよと言ったのである。すると彼は猛然と「野党がだらしない」と言い始めた。安倍がやめたらあとはどうなるんだというのである。

あまりにも急な展開だったので「なぜかなあ」と考えていたのだが、多分共産党か創価学会に間違えられたのだと思う。黙って人の話を聞いて政治の話を持ち出す一般人などいるわけもない。こういうのはたいていオルグなのだ。

私たちは普段政治の話をしてこなかったし、そもそも人の気持ちも聞いてこなかった。彼が本当に言いたかったのは自分は寂しいということなのだろうが、強さを求める日本人にはそれはできない。だから共産党・創価学会はこういう人たちの話をゆっくり聞き「引き入れる糸口を探そう」とするのだ。オウム真理教事件が起こるまでは新興宗教もこういうことをやっていた。

おじいさんは社会があてにならないから一生懸命歩いているそうだが、政治的な話をしてこなかったために「今のシステムをかろうじて支えてくださっている政治家さんがいなくなったら大混乱」だと思うのだろう。それはバブル期に新興宗教を信じたがっていた大学生の目に似ているように思われたし、自動車の仕組みがわからずディーラーも知らないから恐る恐る壊れかけの車に乗っている人にも似ている。

帰ってきてQuoraを見たら最近大学を卒業したばかりの人が実名で「自分は消費税増税反対派」であり「萩生田光一さんがあの発言をしたのはもしかすると総理を狙っているからかもしれない」という回答を見つけた。マニフェスト政治を実現できずに失望した人たちが最後にすがるのもまた自民党なのだということがよくわかり暗い気持ちになった。

いろいろな人に話を聞いてみてわかったことがある。みな「今のシステムで真面目にやっていれば必ず報われるはずだ」と思っている。ところが一生懸命にやっていても成果が上がらない。だから「誰かがズルをしているのだろう」と思うのかもしれない。またその一方で「自分は一層真面目にシステムに仕えなくては」と感じるようになるのだろう。これはもう新興宗教のスキームである。

というより日本の新興宗教はこの庶民の真面目さを「エンジニアリング」しているのではないかと思う。自民党が意図して新興宗教的な「信じれば報われる」という思考様式を広めたのか、あるいは結果的に成功したのかはわからない。おそらく後者なのではないかと思う。利益誘導になびかない<真面目な>無党派層に響く選挙メッセージを模索するとこうなってしまうのだ。

ノートルダム大聖堂が焼けた時フランス人は「時代にあったものに建て替えよう」と考え、日本人は少なからずそれに反発した。この動きは自発的だったことから、日本人はかなり深いところで現状維持への欲求があることがわかる。これが人々を整然と動かし、あるいはシステムの中に閉じ込める。

だが、このルール変更というのが厄介である。経営者と会計士の違いのようなものだ。つまり日本人はすべての人が会計士になりたがるのだが、会計士はルール変更や枠組みのスウィッチングができない。これは経営レベルの仕事である。

ただ、会計士が会計士マインドのままでルールを操作すると大変なことになる。アメリカではエンロン・ワールドコム事件が起こって社会問題になった。「ライバルに打ち勝つために自分たちに都合が良いようにルールを解釈」したり「投資家を騙すために統計を変えたり」という脱法行為(cook the booksというそうだ)が横行したのだ。経営者は「持続可能な状態で枠組みを変えられるビジョン」を持つべきなのだが、会計士はそうは考えない。もちろん経営者は会計士なしでは現状把握もできないし資金調達の戦略も立てられないので両者が手を携える必要があるだろう。

最初の「なぜ最終戦争にならないのか?」という疑問に戻ると、日本人はプレイヤーレベルの思考に止まり競争の枠を残そうとするので、戦争が過熱してもそれが全体のシステムを壊すことはないということになる。一方で、それが自分たちをルールという檻に閉じ込める。

この脱却の難しさは安倍官邸の暴走にも現れている。安倍晋三は「ゲームチェンジャーになる」として首相になったのだが、実際にはゲームチェンジャーになれなかった。彼は経営者に憧れている会計士だったので、会計士マインドのままでルールを翫び統計改竄やドキュメントの隠蔽を黙認するようになった。悪の会計士はみんなに呼びかけてルールの変更を呼びかけることはできない。しかし自民党にも経営者感覚のある人がいて、ルール変更の環境を作ろうとしていた矢先に、官邸の青年部隊隊長がシステムに切り掛かり「ワイルドな憲法改正」と言ってしまったのだろう。彼はワイルドなゲームチェンジャーになったつもりでいるのだろうが実際には単に暴れているだけである。日本人が決まった枠を超えることの難しさがわかる。