日本がポピュリズムに陥らないわけ

時事ドットコムが「立憲、野党共闘路線へシフト=衆参同日選にらみ」という記事を出した。Twitterを見ているとこれは正しい判断のように思える。




枝野さんを支持している人たちの関心をTwitterで見ると「安倍政権の打倒」を求める声が大きい。つまり政治の諸課題に関心があるわけではなく、安倍政権を打倒して溜飲を下げたいという人が多いのだ。

その背景もまた、安倍首相が政権交代(再奪還)を正当化するために「あんな人たちの悪夢の時代」というような言い方を続けているからである。少なくとも浮動票の世界は劇場型政治型ポピュリズムに飲み込まれていることがわかる。これが組織票に頼らない二大政党制を模索した結果である。

同日選の背景には消費税増税延期の期待があるようだ。保守の人たちは増税を延期した上で選挙に大勝し「憲法改正」という勝利を手にしたいのだろうが、憲法はついでと言って良いのかもしれない。現代の日本の改革志向勢力はポピュリズムなので官僚政治への対抗意識が原点にある。東大卒でない安倍首相が官僚を従えて押さえ込んでいるという姿が好ましいのだろうし、消費税はその象徴となっているのだろう。野田さんのように財務省に屈するとたちまち嫌われてしまうのだ。

そんななか、4月12日に「4月の末には同日選の結論が出る」という自己実現型の予言が出ている。令和最初の選挙は、やはり「衆参ダブル」になると見る3つの理由というタイトルだが、実際には「ダブル選挙にしてほしい」という願望を述べたものだろう。こうした声がなくならないので枝野さん側も「フェーズ(局面)が変わった」と認識しているようだ。

与党・野党ともに消費税増税に反対であり、それに「政府・官僚が抵抗する」というよくわからない展開になっている。その中でどちらの陣営も矛盾を抱える。

安倍首相は総裁としては消費税増税には反対したいし憲法改正論者の政治家としても消費税増税に反対したほうが都合が良い。ところが政府の代表者という別の立場も持っている。リーマンショック級の出来事など起こるはずはないし、新しい約束は既に使ってしまったフレーズだから今更使えない。

野党共闘に乗り出した立憲民主党だが、こちらは安倍首相と対立姿勢を打ち出すと、政権を取った後の運営がやりにくくなるという矛盾を抱える。政権を取るつもりのない共産党と一緒にやっていても先はないのだが、かといって今の時点では乗らざるをえない。自分たちの政策への支持も期待も全く集まっていないからだ。

さらに、政治は闘争だと考える小沢一郎さんはもっとやっかいだ。プレジデントオンラインは「小沢氏にぶっ壊された国民民主党の残念さ」という記事を出している。国民民主党も政策への支持が集まらず、結局小沢さんの闘争装置になる道を選択した。

つまり、どちらも政策に期待は集まっていない。日本人の理解する政策は利益配分なので野党には「日本人が考える政策」が作れない。政府予算にアクセスできないからだ。だから結果的に政争だけが残る。

日本政治はこれまで政策なき選挙をやってきたのだが、それは実際の政権を運営を官僚がやってくれていたからである。しかし政治主導の名の下でそれを潰してしまったわけだから、後は自分たちでなんとかするしかない。でも、できないのだ。政党政治に残った声はこんな感じになる。

  • 消費税増税はとにかくいや。財務省に負けた気がする。
  • とにかくなんでもいいから憲法を改正したい。
  • 憲法を改正したら、たちまち日本の民主主義はめちゃくちゃになる。
  • 小沢一郎は嫌い。
  • 共産党はダメ。
  • 東京みたいになればすべての問題は解決する。
  • 東京は地方に金を回せ。
  • 教育を無償化しろ。日本が停滞したのは教育のせいだ。

とても課題が山積した国の政治風景とは思えない。マニフェスト選挙と言われたのは2009年だったわけだが、たった10年で「好き嫌い」だけが政治を動かすわけのわからない状態になってしまったのである。

ただ、こうした混乱状態が続く限りポピュリズム政治にはならない。ポピュリズムが怖いのは「あいつが悪い」という指がどこか一点に向いた時だが、お互いに取っ組み合っている間は絶対にそうはならない。つまり、小さな揉め事があるから大事故が起きないという状況になっている。これは不幸中の幸いと言えるのかもしれない。