ベーシックインカムの是非について散漫に考える

Quoraで「OECDの中で日本の格差が広がっているのはどうしてか?」という質問をもらった。かなり長大なテーマでまともに答えられるわけもなく、かなりいい加減な答えを書いた。




筋だけを説明すると次のようになる。

グラフを見ると、格差が大きい国には新興先進国・先進国から脱落しかけている国・アメリカ合衆国に分類できるようだ。新興先進国は福祉制度が充実しておらず、EUの脱落国は財政にキャップがかかっていて財政出動ができない。そしてアメリカ合衆国は福祉に興味がない、という具合になる。

ところが、日本は財政規律が甘くなおかつ国家が年金・医療にかなり支出をしている。つまり、この累計のどれにもあてはまらない。にもかかわらず日本で格差が拡大するのは経済が二本立てになっているからではないだろうか。既存の年金制度に守られている人たちとそこから脱落した人たちがいるのだ。

格差の記事を集めて読んでみるとシングルペアレントと子供の貧困が問題が語られることが多いようだ。これが「植民地経済」同然になっている。この植民地が一部高齢者にも広がりつつあるのではないだろうか。

ここから先、さらに煽ろうかなと思ったのだが、あまりやりすぎると嫌われそうなので「この先もこういうのがしばらく続くと思いますよ」とお茶を濁しておいた。

さて、これを書いている時に二つの記事を思い出した。一つは韓国が最低賃金引き上げをやって経済を冷え込ませたという話だ。そしてもう一つは「イタリア経済に迫る危機、バラマキで国を疲弊させるポピュリズムの実態」というダイヤモンドオンランの記事である。

経済困窮者が出るとこれを一気に解決しようという政治勢力が伸張する。これをポピュリストと呼ぶことが多いようだ。ポピュリストは政策ゆえに失敗するわけではない。先進国の中にもイギリスのように最低賃金を引き上げているところがあるががそれで経済が大混乱したという話は聞かない。問題は一気に解決しようとしてやりすぎてしまうところにある。

ダイヤモンドオンラインの記事によると、コンテ政権の政策の目玉は「市民所得」という一種のベーシックインカムなのだそうだ。全面的なベーシクインカムではなく失業者や貧困層に向けた所得の保証という政策である。

ギリシャ問題の再燃を恐れているEUは加盟国に「あまり借金はするな」と釘をさしておりこれが加盟国の一部に反発を生じさせる。前回香港や戦前の日本の事例で見たように「あらかじめ枠が設定された民主主義」は反発を生むのだ。敵を作って国民を惹きつけるという意味ではポピュリズムなのだが、かといって貧困を救うためには福祉の充実はやむをえないという見方もできる。

イタリアでは「この政権は信頼できない」と判断した投資家が資金を引き上げた結果経済が冷え込んでいるのだそうだ。ベーシックインカムや所得維持は彼らの政策の柱ではあるが嫌われているのは政権の話の進め方であってベーシックインカムそのものではないのである。

貧困を放置したまま何もしない日本と急激なポピュリズムで失敗しつつある韓国・イタリアのどっちが良いのだろう?というのは究極の選択のように思える。プロセスを考えるのが苦手だけで結果だけで判断したがる日本人にはなかなか判断がつけられそうにない。同じ左派的政策にも成功と失敗がありどちらを選んでいいかがわからないからだろう。

そんな中、全く別の記事を見つけた。フィンランドはテストを実施しているそうだ。言われてみればなるほどと思うのだが、よくわからないなら限定的に試してみればよいのである。フィンランドでは2年間限定でランダムに2,000人を選んで7万円づつ渡したのだそうだ。結果は「心配しているような問題は起こらなかった」というものだった。

ただ、これを日本で実施しようとすると導入自治体選定の時点で「利権を引き込みたい人」たちが湧いてくるのではないかと思う。実験が成功したらしたで「あそこだけズルい」ということにもなるかもしれない。

ただ、日本でこれが実現しない理由はそれ以前の問題のようだ。Quoraで聞いてみたところ「フィンランドと違って日本人は他人を反日呼ばわりする人がいるくらいでどうせうまく行かないに決まっている」という回答がついただけだった。外国から批判されると色をなして怒るような人でも同胞は信頼していないし自ら人に優しくするようなことはしたくないという日本人の特性がよく出ている回答だと思った。

全ての日本人とは言わないが「ああ、そんなことはわからないし聞くべきでもない」と言って怒り出す人は多い。このため日本社会は前にも後ろにも進めないのである。