秋田県民を非国民呼ばわりする人たち – 他人を縛る喜びを知ってしまった日本人

先日から承認欲求について考えている。今回はイージス引き受けないのは非国民との批判、県内外から」秋田の佐竹知事が明らかにについて考える。




前回は個人の承認欲求について考えた。日本人は個人の承認欲求を悪いものだと考える傾向が強い。一方で、日本人は集団を通じて理不尽な要求を突きつけることがある。

例示したの理不尽さにはいろいろある。体育会の理不尽な指導、意味のわからない拘束、ハイヒールの強要など、我々の暮らしは理不尽に満ちている。日本人は理不尽さで人を縛ることで「支配している」という実感を得る。合理性は屁理屈とみなされ何の役にも立たない。

個人の承認欲求は罪悪感と結びつけられこれが集団での支配欲に誘導されていると考えるとわかりやすい。一種のフレーミングではあるが、これで説明できることは多いと思う。

例えば、就職活動でハイヒールが強要されるのは「私は自分でものを考えず理不尽なルールでも従う従順で従属的な大人です」ということを顕示している。フラットヒールの靴を履くことは異議申し立てであり、これは日本社会では危険分子である。その危険分子の名前は「自分でものを考える人」である。天賦人権すら否定されかねない日本では、個人主義は危険思想なのだ。

ただその支配者は個人ではないし集団でもない。空気という名前をまとった一人一人の集合体である。ゆえに空気とは、個人でも集団でもない一人ひとりの集まりのことだ。群衆と言い換えても良い。

面白いことに、#KuToo運動には関係のない人たちからの反対がある。彼ら群衆は他人を縛る側に立つことで「自分も支配する側なのだ」という満足感を得る。ハイヒールによる抑圧に何の関係もない大人が多数参加するのは理不尽だが、理不尽なものを理不尽に押し付けるからこそ意味が生まれるのである。

テレビのワイドショーは芸能人の不倫を叩き、最近では小室圭さんの母親の借金について「人格がなっていない」と執拗なバッシングを繰り返している。この場合は視聴者という群衆がいる。テレビの前の人たちは団結して不倫叩きをしているわけではないのだが、結果的には大きな集団を形成しているように見える。

いったん「道を外れた」と認定されてしまうと、社会的な死に至るまでそのバッシングが止むことはない。「この辺りでやめようや」という指導者はいないからだ。叩いた側は理不尽に他人に有罪判決を下すことで「自分は支配している側にいるのだ」という満足感を得る。そこで「当事者たちはどうすればいいのだろうか」などと考えてはいけない。彼らは理不尽さの生贄であり集団の全能感を得るために屠られなければならない。

まとまりがないゆえに敵が必要なのだとも言えるし、村落・企業・家族といった集団に依存できなくなったから群衆化したのだとも考えられる。

村落共同体を失った我々は社会や公共を作るまで、目の前の敵を叩きながら群衆の中に身を置くしかない。それまで、空気として他人を叩く群衆は我々の目の前に立ち現れては消えてゆくことになるだろう。

秋田県の佐竹知事は「県民に対して説明ができない」から反対をしているわけでそれは合理的で政治的に正しい。さらに、イージス・アショアに対する政府の説明は不誠実だ。陸上イージスはハワイ、グアムは守れても日本は守れない?という記事ではそのことが論理的に説明されている。

政府が嘘をつかなければならないのは「国民を説得できるだけの信頼がない」ということを彼らが知っているからである。しかしそこで誰かが「信頼してもらえるように頑張ろう」などと集団を鼓舞することはない。群衆として「理不尽を地方に押し付けること」で権威を保とうとしてしまう。だから防衛省の幹部は居眠りをしても構わない。というより、居眠りをすることで理不尽さを演出しているのである。

麻生太郎副総理のように「あからさまに他人を挑発しても権力から降ろされない」ということを堅持し続けることが唯一の有能さの証になることがある。政権運営に失敗して引き摺り下ろされた過去のある麻生副総理は政策によって有能さを示すことができない。このように理不尽さは理不尽さを生み、化け物のように増殖してゆく。

佐竹知事や県によると、県のホームページなどを介し「非国民だ」という内容などの批判が寄せられているといい、知事は「(陸上イージスを引き受けず)『秋田には原発もなく、日本の何の役に立っているのか』『知事辞めろ』といっぱい来ている」などと嘆いた。

「イージス引き受けないのは非国民との批判、県内外から」秋田の佐竹知事が明らかに

日本は軍事的にはアメリカに依存しており「顔色をうかがわざるをえない」という情けない状態にある。これを忘れるためには理不尽に他人を貶めるしかない。こうして貶められたのが沖縄であり今その列に秋田が加わろうとしている。そしてそれはさらに広がってゆくのかもしれない。

日本人がものすごく悪意の側に傾いているとは思わない。おそらく個人の中にある「ちょっとした傾き」がこうした理不尽を生み出しているのだろう。雲を近くで観察しても触れることはできない。しかしそれを遠くから見ると太陽の光を遮る黒い物体に見える。群衆による理不尽の押し付けとはそういうものである。

日本はこれからトランプ大統領に「同盟破棄を持ち出され」「応分の負担」を求められることになるだろう。しかし話し合いによって解決できない日本人はますます「反日異分子」を国内に求めるようになるのではないかと思う。前回と違ってGHQは来ないのだから、私たち自身がこの雲に直面し「これはあってはならない」と考えるまでこの状況はなくならないだろう。