ジョークがわからない安倍首相とリアリティーショー化する政治

安倍首相が大阪城エレベータジョーク問題で炎上している。




Quoraでも様々な質問が出ていた。

確かに言葉尻を捉えているだけにも思えるのだが、エレベータに頼らなければならない人たちを傷つける可能性のある無神経な発言であるのは確かだ。トランプ大統領に注目が集まったヨーロッパではG20はほとんど話題にならなかったようで「この質問で発言を知った」という人もいた。

安倍首相は別のシーンで「選択式夫婦別姓にしても経済成長に関係ない」というようなことを言っていて、こちらも標的になっている。

この人の問題は「自分の発言によって他人がどう傷つくか」が想像できない点にある。配慮が出来ないというか周りの人のことが一切想像できない。

このことがわかるのは「大阪エレベータジョーク」を読み上げるビデオである。ジョークを読んでいるのだが、多分本人は「何が面白いのか」がわかっていないと思う。ジョークは内容・表現形式・文脈をずらすことで笑いを誘うという高度な芸術なので、共感力のない人には敷居が高い。

自国の首相に使うのもどうかとは思うのだが、彼のパーティージョークは「サル真似」に見えてしまい、外交の格式を下げる効果しかない。自信がないならやるべきではなかった。ジョークもサル真似なのだから料理も外交プロトコールもきっとサル真似だと思われてしまう可能性が高いのだ。

ジョークについて質問したところ「イギリスでは自分をネタにする」という話があった。詳しくは書かれていないがイギリス人の場合「澄ましてボケる」というか、顔色を変えずに話をするのではないかと感じた。ブリティッシュジョークというようだが身分差が大きな社会で結束を示すために「アウトサイダーにはわからない程度にほのめかす」のが好まれるのかもしれない。ジョークは効果的に使えば仲間内の結束を強めることができ、失敗すれば人間関係を冷え込ませる。

安倍首相は単に滑っているだけでなく、間を空けてどや顔をし「これおかしいから笑うところですよ」と言っているように思える。つまりジョークの機能が理解できていないことをカメラの前で露呈してしまっている。これが彼の滑稽さを一層際立たせる。

日本人はパーティーではジョークをいうべきだという固定観念があるがそれが何を意味しているのかがよくわかっていないのかもしれない。「とにかく何か変なことを言わなければ」とだけ考えているのだろう。そして、いつもは冗談に聞こえない冗談を笑ってあげているに違いない。

これはある意味日本の民主主義を象徴している。自民党の人たちは人権とか民主主義を理解してはいない。単に欧米のサル真似をしているだけである。欧米人のいる前では民主主義を装ってはいるが、ジョークと同じようにその中身を理解しているわけではないということになる。だから自民党の古い議員はマニュアルを配ったくらいでは失言をなくすことができない。

こうしたズレは国内で苛立ちをうみ、また奇妙な形で外交にまで影響を与えつつある。今回、トランプ大統領はG20の現場でひたすら「何か人々に大きなインパクトを与えなければ」と考えていたようである。G20ではひな壇芸人の一人にすぎないが、リアリティーショーを演出すれば主役になれるだろうと考えたのだろう。そして、G20の現場でキャスティングまでしたようだ。プロデューサーになったのは文在寅韓国大統領である。彼もまた政治的な行き詰まりを抱えており政治的ショーを必要としている。だが文在寅大統領には華がない。そこで裏方に回ることにした。

政治的ショーで権力を維持する必要に迫られた人たちにとっては切実なスキルである。彼らがこれまでも「共感力」だけを頼りに地位を維持してきたことがわかる。「周りがどう受け取るか」を想像して絵を作ることが世界のリーダーには求められている。日本が民主主義も共感力も理解できないでいる間に、世界の民主主義のレベルは一段上がってしまったのだ。金正恩朝鮮労働党委員長すらそれがわかっていてカメラの前でトランプ大統領に笑って見せたし、ムン・プロデューサはそのあと「朝鮮半島の歴史的な進展」を解説して見せた。

ところが日本の政治家たちはリアリティーショー化する政治について行けないばかりか、原稿がないと何も話せない。安倍首相は硬直化する日本という社会の古びたリーダー像を反映しているのだろうなと思った。せめてもっと優秀なスクリプトライターを雇うべきだ。