もともとは集団的自衛構想だった日本の防衛制度

先日トランプ大統領が「日米同盟は不公平だ」といったという話をきっかけにした質問を見た。「そもそもアメリカはなぜそんな不公平な義務を負ったのか」というのである。簡単そうに見えてなかなか奥が深い問題である。




結論からいうと当時のアメリカにはその必要があったからである。そしてその理由はもうなくなってしまった。

1951年のサンフランシスコ講和条約で日本が再独立した時、アメリカは日本への継続駐留を望んだ。東アジアに共産化の懸念があったからだ。日本を足がかりに東アジアの共産化を抑え同時に日本の共産化・社会主義化を防ぎたい思惑あったようである。これを「瓶の蓋論」という。つまり、アメリカは日本を敵から防衛したいのではなく、日本と地域を共産化させたくなかった。それが防衛の意味である。

まず、鳩山一郎総理大臣がソ連に接近するのを「ダレス恫喝」で牽制した。さらに一時はA級戦犯として裁くつもりだった岸信夫をエージェントにして保守勢力を再編し自民党を作り上げた。社会党が団結したのに自由主義勢力はバラバラだったのを見て焦ったのかもしれない。

岸は吉田と違い「日本をアメリカと対等な国にしたい」と考えており、ゆくゆくは憲法改正をしたいと思っていたようである。エージェントというとスパイという感じがする。しかし、アメリカは他国の政治に介入し続けており占領保護国だった国の政治に関与することにそれほど罪悪感はなかっただろう。資金供与はその後もしばらく続いたそうである。これは秘密でもなんでもない。

面白いのは韓国やベトナムがアメリカの援助によってわかりやすく腐敗したのに比べ日本はそうならなかったという点である。日本は表向きはアメリカの援助を受けていたが、内心では複雑な思いを抱えていた。そのために抑制が働いたのだろう。

岸の「対等志向」のおかげで日米同盟は「日本の領域では日米は共同して対処する」というものになった。ところがその集団防衛体制は日本の領域の外には及ばなかった。つまり二国間のミニNATOのような存在だった。アメリカの政策はアメリカをハブにして各地に集団的自衛体制を作るというものだった。これを360度作れば「アメリカを防衛する体制」が他国との協力で作れる。単独防衛よりも合理的と考えられたのだろう。

もともとアジアにもNATOのような集団的自衛体制(太平洋集団安全保障構想)を作ろうという構想があったようだ。韓国、台湾、フィリピンなどがそれを望んでいた。しかし自治経験に乏しい地域が多く、互いの不信感からディールがまとまらなかった。日経新聞の別の記事にはこの旧日米安保条約が将来の拡張を見込んでいたような内容が書かれている。

51年9月8日に結ばれる旧日米安全保障条約も、第4条に「この条約は、国際連合又はその他による日本区域における国際の平和と安全の維持のため充分な定をする国際連合の措置又はこれに代わる個別的若しくは集団的の安全保障措置が効力を生じたと日本国及びアメリカ合衆国の政府が認めた時はいつでも効力を失うものとする」とある。

日米安保につきまとう「瓶のふた」論 サンフランシスコへ(26)

将来的に別のスキームができた暁にはそのままそれが移行しますよということである。

岸信介は安保の改定が終わり小笠原が返ってきたら改憲に着手するつもりだったようだ。少なくともアメリカにそう約束している。自衛隊が軍隊になり、憲法が集団的自衛を認め、安全保障の領域ができれば、日本とアメリカはお互いに助け合う関係になるというような構想だったのではないかと思われる。つまり最初に憲法ができたときにあった国連中心・日本軍備封じ込めという構想は15年後にはガラリと変わっていたことになる。

このプランに共産党が反対するのは当然である。共産化を防ぐのが目的だからである。だが、自民党の吉田派もこれを苦々しく思っていたのではないかと思う。吉田派には「アメリカが岸に乗り換えた」ように見えたはずだ。結果的に、岸の説明不足は国内世論の反発を招いた。もともと革新官僚出身であり戦争を推進した側の人間んが、アメリカと結びついてまた戦争を始めるのではと思ってもそれほど不思議ではない。岸はアメリカからの援助で首相になったが、周りに味方はいなかったのだ。

岸の評価ははっきり二つに分かれる。「真の独立を求めた」という人もいるし「アメリカのいいなり体制を作っただけ」という人もいる。これは対米独立を志向しながら結局アメリカの支援を受けてそれを実現しようとしたというところから来た矛盾なのかもしれない。

吉田はその裏返しの面従腹背である。表向きは協力する体制を作りながらも決してアメリカの戦争にはコミットしなかった。そのために利用されたのが憲法第9条である。ベトナム戦争は1975年の三木内閣時代まで続いた。最終的に勝ったのは吉田側で、所得倍増計画を打ち出した池田勇人が国民に支持される。このため日本は専守防衛だという言い方が好まれそれが定着する。国民も余計な厄介ごとに巻き込まれたくないとしてこれを追認した。

日本の戦後初期の政治にはこのような屈折があるので、岸・アイゼンハワーがどのような形の日本を目指していたのかということは誰にもわからなくなってしまった。「改革」が途中で終わってしまった上に継承者がいなかったからである。

そのあと沖縄返還を実現した佐藤栄作は岸とは兄弟だったが吉田の流れを汲む政治家だったtぽい。佐藤は非核三原則を提唱し表向きは反戦的だったが同時に沖縄に核を持ち込む密約を交わしたことで知られている。ここでも面従腹背というか屈折が見られる。日本の政治家はこの辺りをうまく使い分けて綱渡りをしてきた。

アメリカとしては日本を守ってやることで「日本国民が資本主義を良いものと考える」だろうと考えたのかもしれない。しかしベトナムでは資金提供し続けた政府が腐敗しベトナム戦争が起こりそうになっていた。実際に日本人が求めたのは「アメリカの軍事力をできるだけ利用しつつアメリカの世界戦略には巻き込まれない」という複雑な政治的態度だった。つまり、顔では曖昧に笑っているが腹の底では気を許していないという極めて東洋的な路線である。アメリカはこうした空気を感じるのが極めて苦手であり、したがって沖縄の軍政もうまく行かず、ベトナムは最終的に共産化してしまう。

いずれにせよベトナム戦争を免れた日本は高度経済成長期を迎える。アメリカには日本の防衛義務が残ったが、基地の戦略的価値はなくなっている。アメリカに敵対するベトナムはもはやなく、中国との戦争はコンピュータとそろばんで行われ、大統領はついに北朝鮮の境界線を超えた。あとはこの防衛という負債をどうするかという問題が残っている。つまりアメリカから見ると日本の防衛というのは不良債権なのだ。

最初この話を調べ始めた時、当時の構想などがわかれば問題解決の役に立つのではと思った。それぞれの内閣の動機には汲むべき点もあるがあまりにも場当たり的である。根本的な解決のためには憲法を改正して自衛隊を正規軍にし、日米安保を白紙撤回し、沖縄の基地を解放して最初からアサインし直すしかないと思うようになった。集団的自衛体制を組み直してアメリカに巻き込まれないで周辺諸国との紛争予防の枠組みを作り直すのが好ましいが、現状の整理の方が優先順位は高そうだ。

しかし、実際にそんなことができる政治勢力があるとはとても思えない。自衛隊を軍にしろというと嫌がる人がいるだろうし、アメリカとの関係を白紙にしろなどと言えば泣いて暴れる人もいるだろう。このため、議会は自衛隊を憲法に書き込むかどうかで揉めている。我々はしばらく矛盾を抱えたままで行かざるをえないのかもしれない。