かんぽ生命の失敗 – 民主主義が高齢者詐欺を作るまでの歴史

かんぽ生命の問題で郵便局員が非難の矢面に立っているという。ほどんと詐欺としか言いようがない営業をしていたのだから当然といえば当然なのだが、それでも経営者ではなく局員が責められるのは間違っていると思う。




だが、これを「誰が悪いのか」という観点で調べて行くと、実は有権者に行き当たる。多分、郵政民営化選挙で浮かれた人たちが大勢騙されていると思うと、民主主義は極めて残酷な制度でもあると思った。誰も責められないとなると郵便局員に八つ当たりするしかない。

こういう時に非難されるのは経営者であるべきなのだが、実はここに難しい問題がある。かんぽ生命の株主は日本郵政なのだが日本郵政の57%の株は国が持っているというのである。だったら官僚が厳しく監視すればよさそうなのだが、それも期待できない。国はこの比率を秋までに1/3まで減らすつもりでいるそうだ。つまり関与を減らそうとしているのだ。

もともと郵便局は国が持っており「経営」とは無縁だった。Quoraで話を聞いたのだが民営化がなければ幹部には顧客志向は根付かなかっただろうと言っている。だから郵政民営化が悪いということにはならない。だが、結果的に詐欺的営業が比較的長い間放置されることになった。

民営化されたと言っても市場原理にさらされているわけではないから有能でない経営者が温存されたのだろう。彼らができるのは職員を脅かしたりほのめかしたりして詐欺まがいの営業をさせることだけだった。

さらにこの事件が発覚したきっかけはそもそも日本郵政と金融庁の内輪揉めなのだそうだ。これまで日本郵政を放置してきた金融庁が既得権の拡大(郵貯枠の撤廃)を主張した日本郵政長門正貢社長に激怒し「監督を厳しくする」と恫喝した。その結果これまで見過ごされてきた数々の不正が明るみに出たのである。しかし、かつての官僚組織なら「穏便に」ことを済ませようとしたはずだ。つまり、官僚組織から調整能力が奪われていることになる。選挙期間中にこんな問題が出るのを官邸が許すはずはないのだから、官邸はスルーだったのではないかと思う。

だが、問題はこれだけでは終わらないのではないだろう。

2019年の日本郵政の株主総会では「効率化するために郵便局の数を減らせ」という要求も出されたという。ユニバーサルサービスの廃止要求である。すでに農協がない地域が出始めていて、郵便局もなくなれば地方にノーバンク地帯ができる。タンス預金が問題になっているが、それに逆行するかのように地方の高齢者は金融機関にお金を預けることができなくなってしまうだろう。2,000万円を勝手に投資しろと国民に言い放った金融庁が地方の面倒まで見てくれるとは思えない。

どうしてこんなことになってしまったのだろうと考えた。もともとは小泉純一郎の郵政民営化がきっかけになっている。「郵便局は既得権益だ」と指をさして郵便局を解体することだけが目的だったという乱暴な選挙である。だが、有権者はこの熱狂に乗った。郵政解散は2005年だそうだ。つまり、郵便局の民営化は有権者のお墨付きのある政策なのである。こうなると国会議員や官僚を非難してみてもどうしようもない。彼らは言われた通りのことをしただけである。

それでも小泉政権当時は官僚はなんとかやってくれるだろうという信頼があった。「官邸主導」の名の下にこれを壊したのも国民だ。今回の金融庁の一連の挙動から見てもわかるように、結果的に省庁間の調整機能やガバナンス意欲は破壊され国は統治不能になった。官僚の学級崩壊状態である。

この件についてQuoraで聞いてみたのだが、局所的な質問に局所的な回答が返ってくるだけである。地域をどうするべきかと聞けば「守らなければならない」という回答が返ってくるが、郵便局は統合すべきかと聞くと「税金は投入できない」という話になる。日本は官僚統治の国なので、当然ながら国民や議会には政策立案意欲はない。誰かが裏方で政策パッケージをまとめてできるだけ有権者に反発されないような見せ方で改革をしなければならない。一人ひとりが愚かというわけではないが、集団としては「衆愚」の集まりにしか見えない国が「民意主導」で作られてきたのだ。

その結果起こっていることは、高齢者を騙す営業に対して誰も責任を取らないという無責任経営であり、多分この先にあるのは金融機関にアクセスができない地域がたくさん出るという「ノンバンキング」の恐怖である。願ったことがそのまま実現してしまう民主主義というのは実に恐ろしいものだなと思う。我々は「壊したい」とは願ったが「創りたい」という意欲のある人は現れなかった。今、その通りの現実が目の前にあることになる。