左派ポピュリスト山本太郎

れいわ新選組は左派ポピュリズムであるという評論に対して内部から批判があったそうだ。ポピュリズムは失敗のレッテルとして用いられることが多いのでそれを嫌ったのだとは思うだが、もうそれもどうでも良いことになってしまった。れいわ新選組は新しいフェイズにいるように思えるからだ。




全体の投票率が50%を割り込み投票にいかない人も多かった。その中で左派ポピュリズムでしか拾えない有権者が4.55%もいた。つまりこれは一種の悲鳴なのだろう。もちろん手放しでポピュリズムを肯定するわけにもいかないが、単に「どうせポピュリズムでしょ」ということもできないということになる。

「左派ポピュリズムではなく無縁者の集まり」と書いた人の文章を読んでみた。左派インテリ独特のにおいがあり最初の数行を読んでやめてしまった。これが既存左派政党の限界であり、今後政党の立ち位置は有権者が判断することになるという重要なことがよくわかっていないのだろう。

左派インテリの限界は立憲民主党にコンタクトをしてみるとわかる。そもそも労働組合重視なので浮動票の声は相手にしてもらえない。メールの返事は来ないし電話でも適当にあしらわれる。彼ら左派にとって浮動票は「テレビで踊っていればいい」だけの人々である。極めて自尊心が高い人たちが下から目線を偽装しているだけなのである。

一方、ポピュリズムは徹底的な有権者ファーストだ。有権者は体制の維持に責任を持たないのだから最後まで有権者ファーストを貫くと国が崩壊する。だが今の政治はあまりにも多くの課題やロジックを有権者に押し付けているので、このポピュリズムが新鮮に見えるのである。

山本太郎代表はテレビ朝日の番組に出演し「総理大臣を目指す」宣言をした。総理大臣を目指すので参議院ではなく衆議院に鞍替えしたいという意向をしめしたことになる。テレビで注目される選挙区に出たいという発言も見られた。

今回印象に残ったのは「山本太郎がインタビューに答えている」という当たり前の点だった。当たり前だが今の政界ではこれが貴重なのだ。党首討論会などや国会答弁で質問に答えられない人や話を変えなければならない人が多い。背景に多くのしがらみを抱えているからだろう。

消費税減税議論ではプレゼン資料まで持ち込んで自分でプレゼンを始めてしまった。その現状把握や方法が正しいかどうかはわからないが、現状が把握できていてそこから抜け出すためのビジョンも持っているようだ。「藪の中にいない」というだけでも稀有な政治家と言って良い。彼の独自のアイディアではないのかもしれないが、ちゃんと理解していなければここまでは話せないだろう。

ただ、これが彼の能力の高さだとは思わない。しがらみが少ないので脳の容量を受け答えにきちんと使えるのだろう。自民党も立憲民主党もコアになる支持者が複数セグメントあるうえに、内部になんらかの矛盾を抱えている。このため、迂闊に話せない話題というものが存在する。ところがれいわ新選組にはそのようなしがらみがあまりない。だから、彼らは自由に経済政策が組めるうえに受け答えもできるのだ。

障害者を国会に送り込んだことについては「生産性で人を計測するという現状を打破したかったからだ」と言っている。「生産性ばかりが重要視される状況に飽き飽きしている人がいるだろう」という現状把握があり、彼らがどうしたら喜ぶかを計算して動いたことになる。そのために自分のリソース(200万票くらいを読んでいたらしいので性格だったことになる)を割り当てたということだ。極めてシンプルな政治である。

理詰めでニッチ(まだ誰にも取られていない立ち位置)を探したときに見つかったのが「こぼれ落ちた人々」だったのだろう。だから選択肢が左派ポピュリズムということになる。だかられいわ新選組が左派ポピュリズムでも今の所は実は構わないのである。

短いテレビのプレゼンを見ていて、山本の特徴は理詰めの部分と感情的な部分を結合しているところにあるのだろうと思った。これが従来の左派と違っているところである。感情が扱えないインテリでもないし浮動票を利用したいだけの従来左派政党でもない。

気になったところは最後の「大企業優先の政治は打破されなければならない」という部分である。これが古い層の日本人には伝統左派として捉えられる。これに熱狂する人もいるだろうし極めてネガティブに反応する人もいる。体制打倒を訴える左派は大方の日本人には好まれない。日本人は自分は大多数の側にいると語りたがるのでマジョリティを遠ざけ自虐的な人たちを惹きつける。多分この古い左派のDNAは後々悪い方向に作用するだろう。つまり、れいわ新選組は今の所はポピュリストの遺伝子ではなく伝統過激左派の遺伝子で潰れる可能性の方が高い。

日本人は政治に大きなものを期待し「下から目線」を好まないところがある。理詰めで淡々と自分のロジックを説いたほうが「上から目線」の国民を引きつけるように思われる。いずれにせよれいわ新選組がネットの評判を元にレッテル貼りされる段階は通り過ぎた。今後は有権者たちが新しいラベルを見出すことになる。今の所、スーツにネクタイだがスニーカーといういでたちの山本太郎はそれがわかっているように思える。行動する実務家というイメージを上手に作っていたからである。