なぜ小沢一郎は嫌われ、玉木雄一郎は黙殺されるのか

政治ネタを扱ったブログには盛り上がるテーマと盛り上がらないテーマがある。選挙から一週間経ったのだが一番盛り上がった記事は「日本でオリーブの木構想が盛り上がらない理由」だった。小沢一郎批判である。そして、今週もっとも盛り上がらなかったのが国民民主党の記事だ。両方とも国民民主党関連の記事である。




一方で、局所的な現象とはいえTwitterではれいわ新選組が盛り上がっていた。山田太郎の得票も注目を集めた。ユーザーや解決課題が先にあってそれに政治家がアプローチするという姿勢が受けたのだろう。時代は数合わせから有権者ファーストに移りつつあり、その過程としてSNSを温床としたポピュリズムが台頭するかもしれない。

国民民主党は参議院だけでも維新と組むべきだという声があるそうだ。地方に利益を誘導するためには野党ではどうしようもないという状況になっているのかもしれない。維新のようにうまくやるべきだという意見が多いのはわかる。しかしこの自分ファーストな姿勢は攻撃対象になることはあっても共感を呼ぶことはないだろう。

それにしてもなぜ国民民主党はこれほどまでに嫌われているのか。それは小池百合子という無責任な政治家と組んだ政党が今度は場当たり的な小沢一郎と組んだからだろう。小池百合子も小沢一郎は金権政治時代の生き残りであり「自分ファースト」の数合わせ型政治家の代表格だとみなされているのではないか。

このため国民民主党の「政策」とやらは生き残りのための道具であり長期的に信頼できないということを誰もが知っている。山本太郎はそこから脱却し玉木雄一郎は小沢と同一視されてしまった。その刑罰はバッシングではなく黙殺である。

有権者は極めて残酷だと思う。離反する時に意見をいう人など誰もいない。呆れていなくなってしまうのである。Twitterで「玉木雄一郎は自分をもっとも安い時に売る才能の持ち主だ」というような論評を見た。危機感が強い時に動くからだろう。官僚として生き残ることはできるかもしれないが党首として好ましい行動ではない。

では小沢型数合わせはなぜそれほど嫌われるのか。

Quoraでは「投票したい政党がなくても選挙に行くべきなのか」という質問がなくならない。中には若者は選挙に行かないと悪者扱いされているという質問もある。選挙には行きたいが入れたい党はないのだという。

投票率のグラフを表示しつつ質問にいくつか答えた。グラフを見ると小選挙区が導入されてからわかりやすく下落しているのがわかる。選択肢が減ったから投票率が下がったのである。

二大政党制はプロ政治家が政策パッケージを作る選挙システムだ。つまり中選挙区・比例代表制などはオーダーメイドであり小選挙区はユニクロなのだ。日本の悲劇はユニクロ一社からしか洋服が買えなくなった点にある。ユニクロが一人勝ちしてしまい選択肢が事実上消滅してしまった。それも当然でどちらも商品の仕入れは霞ヶ関に依存していた。つまり、政策工場は日本には一つしかなかったのである。

それでも霞ヶ関の外に政策工場を作るという選択肢はあったはずだ。日本で政策マニフェスト型の選挙が定着しなかった理由についてはいろいろな人に聞いているが答えがない。答えはないもののなぜか日本人は政策に興味がない。

政策なき日本の与党では政策の収斂が起こらずなぜか思想的な収斂が始まった。野党は以前小口の仕入れが行われており商品ラインナップがバラバラのままの「雑貨店方式」が続いている。

小沢はこの「数合わせ型」の政治家の代表者と思われており玉木雄一郎も「今高く売れるから憲法改正議論に参加したのだろう」と思われているのではないかと思う。もともと信用がない上に憲法も玉木にとっては単なる道具なのだから、彼らの政策に期待が持てるはずもない。ただ旧世代型の人たちは政治家は政策を提供する小売業なのだという認識が持てない。彼らは多分政治は国にあるお金を好きに分配する装置だと思っているのだろう。開発途上国型の政治である。

たぶん中選挙区制度のもとで選挙に行く習慣がついた人たちはこのまま選挙に行き続けるだろう。だが、彼らも政治を信頼しているわけではなさそうだ。貯蓄総額は1859兆円だそうだが半分は貯金だそうだ。金融機関も信頼されておらず50兆円はタンス預金でこれも70兆円に増えることが予想されているそうである。テレビでは政府も信頼できないからスクワットをして健康を維持しようという番組をやっていた。頼りになるのは手元のお金と足腰だけなのである。

つまり、誰も政治にはたいして期待しておらず、選挙に行っていた人は行き続け、なぜ選挙に行く必要があるのだろうと深く考えてしまった人は選挙に行かなくなるのではないだろうか。そして、誰も政治に関心を持たなくなるとますます不信感と不安が強まる。

政府はデフレではないがデフレマインドが払拭できていないと言っている。デフレマインドとは要するに先行き不安のことなのだが、それを作っているのは実は政治家なのである。