萩生田光一とミランダとクレデンダ

萩生田光一幹事長代行が衆議院議長の交代を仄めかしたという話を読んだ。最初は「ああまたか」と思ったのだが、最終的に「自民党は自ら政治権力を手放そうとしているのかな」という結論に達した。




萩生田光一さんは形式的には二階幹事長の部下ということになっている。しかし、誰もそうは思っていない。安倍首相の側近であり二階さんを監視するために存在するのだとなぜか知られているからだ。

二階さんもそのことがわかっている。本来自分の部下がとんでもないことを言っているわけだから叱り飛ばしても良さそうなものだが「気を付けて発言しなさいね」と言っただけだ。周囲も「二階さんと萩生田さんは関係がないのだ」とわかっているから「俺は関係ない」と言っておけばそれで済んでしまう。

ここで、二階さんと萩生田さんが破壊したものは何だったのか?というのが気になる。

党の立場から三権の長である議長を恫喝したなら、これは中華人民共和国のような一党独裁国家のやり方である。一方、行政が議会を恫喝して憲法を変えようとしたならこれもこれで大変なことである。こういうことをするのは中央アジアや中南米の「遅れた民主主義国」のやり方だからである。

ただ、我々はそれに反応しない。政治とはそんなものだとわかっているからである。我々がそれを「知っている」のはSNSが発達していて政界噂話や政治家本人の発言がそのまま入手可能だからだろう。現実がそのままスマホに流れ込んできてしまう。私たちがちょっとした政治家の失言に慣れてしまったのはSNSのおかげなのである。

失われてしまったのは「政治とは何だかすごいことなのである」という神聖さなのだろう。三権分立も議会の独立も「建前でありフィクションである」からこそ大切なのではないかと思った。そこで色々調べてみたのだが、ミランダとクレデンダという言葉を見つけた。Charles Edward Merriam(C.E.メリアム)という政治学者が大昔に提唱したコンセプトである。C.E.メリアムはドイツでナチスが台頭してくる時代に政治権力についてまとめた。古い権力構造が壊れ新しい権力構造が立ち現れた時代だからである。シカゴ学派は経済学や社会学も有名だが政治学研究の一大拠点でもあるそうだ。

この時代はとても面白い。例えば心理学ではフロイトが科学的な心理分析を行い、フロイトは神話などの合理的でない通路から心理分析を試みていた。メリアムの場合は豊富な研究を背景に「非合理的な側面」を組み入れた分析を試みている。

ただ、インターネット上の情報はあまりにも断片的だった。権威主義と結びつけた書き方をしているものもあったのだが、実際に本が書かれた時代には「ナチスはまだ失敗していなかった」のである。ゆえにナチスや共産党を糾弾する内容にはなっていない。

権威についての研究を一読してみて思うのは「権力」という実態はどこにもないのだが全体では一つの生き物のように動いているということだ。考えてみれば不思議な話である。日本人は民主主義をどこか科学的で優れたものであると感じていると思うのだが、これも戦後に作られたおとぎ話にすぎない。おとぎ話なので誰かが「これがちゃんと守られている」というお芝居をし続けなければならない。

二階さんと萩生田さんの話を聞いていると、少なくとも自民党にはおとぎ話を守るつもりはないらしいし、有権者も民主主義の神聖性は信じていないようだ。信じていないからたいした反発は生まれなかった。

N国もその流れの中から生まれたといってよい。N国は「安倍政権がNHK潰しに協力してくれるなら憲法で協力してあげてもいい」と言っているのだが、これもたいした反発を生まなかった。つまり、憲法もまたその神聖性を失いつつある。安倍首相は憲法改正議論を長引かせすぎたのかもしれない。

そもそも今回の参議院選挙の投票率は約50%であり、日本人の半分は政治を信任も否定もしていない。そう考えると今目の前で起きているのはポピュリズムとは違う何かなのかもしれないと思う。