天皇でさえ逆らえなかった「空気」と主権者意識

昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」~を見た。時節柄問題が多いなあと思ったのだが、Twitterではそれほど評判にはならなかったようだ。




筋自体は単純である。宮内庁初代長官の残していた記録を元に昭和天皇が自身の戦争責任について国民に訴えかけようとしたが、それを吉田茂に止められたというものである。これだけを見ると「昭和天皇は戦争について反省したがっていたのに吉田に邪魔されてかわいそう」という像が得られる。つまり吉田が悪いということになる。

どうしても時節柄NHKはこの問題を利用してどう世論操作をしようとしているのだろうなどと思ってしまう。すると全てが疑わしく見える。吉田は経済を優先しアメリカの防衛力を「利用しようとしていた」と得意げに語る場面がインサートされている。一方、昭和天皇は改憲・再軍備派であり吉田にそのことを言った方がいいのではないかとして長官らに制止されている。象徴なので政治的発言はできませんよということである。

この憲法改正の件は「反省を制止された」という筋とは直接関係がないので、逆にこれを言いたかったのでは?などと思ってしまった。つまり、天皇は改憲派だったのだから改憲すべきだという主張に読めるのだ。

NHKがなぜこのような構成にしたのかはわからない。安倍政権に忖度したのかもしれないが、逆に護憲派に利用されるのを防ぎたかったからなのかもしれないとも思える。

番組は、戦争を止められなかったのは軍が下克上で天皇の意に沿わなかったからという筋立てになっている。つまり、軍というのは暴走するから憲法第9条は改正すべきではないという護憲派に「政治的に利用される」可能性がある。番組では軍が悪いわけではなく軍閥が悪いというような言い方になっている。現行憲法は内閣が責任を持ち自衛隊には権限がないのでこの点はクリアになる。

なぜ、NHKが特定の人たちの政治的宣伝のために作ったのではないと思える部分もある。保守に評判が悪い東京裁判史観がそのまま入っており、これは保守の人たちにとっては攻撃材料になるだろう。南京大虐殺は所与の事実として扱われて、天皇はそれに憤っている。

ではなぜ天皇は戦争を止められなかったのか。権限の上では大権がありなんでもできたはずだった。昭和天皇はこれを「勢の赴くところ」と言っている。つまり「そういう空気ができていて誰も逆らえなかった」というのだ。さらに、開戦時にも今や不幸にして米英両国と釁端(きんたん)を開くに至る。洵(まこと)に已むを得ざるものあり。豈朕が志ならんや。」と言っているそうだ。不幸にして戦争になっちゃったが仕方がなかったのでありこれが私の志であるはずがあろうか?という意味だそうだ。

番組の中では、開戦の時に「仕方ないけど本意じゃなかった」と言っているから再独立時にも「反省している」と言えばわかってもらえるんじゃないかというようなことが延々と話し合っている。そして、最終的には「本意じゃなかったかもしれないけど、ハンコを押しちゃったんだから仕方ないですよね」と決着する。長官は民間出身でありの契約という概念を理解していたが戦前の宮中にはそれがなかったということになる。

繰り返しになるが、天皇は唯一の主権者であり何者にも制約を受けない存在だった。その天皇が「そういう空気があったから仕方なく戦争に突入した」と言っているわけだ。

主権というのは自己決定権の事を意味するらしい。唯一の主権者であった天皇すら国家の命運についての自己決定ができなかったことになる。党派を越えて冷静な意見を持った元老を失ったという背景もあるのだろうが、当時の日本は勢いと集団圧力が実質的な主権者になっているということがわかる。

昭和天皇はこれを国民と一緒に反省する機会を奪われた。つまり主権者が勢いに飲まれて戦争加害者になりまた国内では戦争被害者になったということを総括しなかったということになる。そして吉田茂は「もう終わっちゃったんだし暗いことはナシナシ」とばかりにそれを忘れ去ろうとした。

次に戦争が起こり日本が加害者になれば、それを決めたのは我々ということになる。日本では国民一人ひとりが主権者だからである。当時の天皇が置かれていた状況と今の状況は似ている。党派対立ばかりが激化し冷静な判断力を持ったカウンセラーのような人がいない。いずれにせよ次に「それ」があった時にも我々は「勢いに乗って決めたわけで我々のせいではない」というだろう。

仮に「やむをえない戦争」というものがあったと仮定する。その戦争は犠牲者を生むだろうからその責は意思決定者が負わなければならない。結果に責任を持つといわないと周囲から信頼してもらえないからだ。だから、先の大戦において主権者の責任が曖昧なまま放置されたことは、多分日本の再軍備議論が進まない一因になっていると思う。それは「これからも我々が我々の意思決定に責任を持つかどうかはわかりませんよ」と言っているのと同じことだからである。

例えば参議院で政党を禁止して党派性のない人たちを選ぶというような解決策を取れば、少なくとも党派対立によって勢いで物事と決めるということはなくなるだろう。つまり、反省も適切に行えば(つまり指差し合戦に終わらなければ)多分解決策はいくらでも出てくるのだ。

その意味では「憲法を変えたって別に何も変わりませんよ」と言っているあの言葉がいかに重大なものなのかということはよく考えたほうがよさそうだ。何かを変えるということはそれなりの責任を負うということだからであるが、そんなことはないから気軽に決めてくださいと言っているからである。