貧弱な歴史教育の犠牲者としての私たち日本人

日韓関係を見ていて「俺が全て悪いのか」という心理状態に着地した。つまり一つ謝ってしまうとどこまでも謝らなければならないという恐怖心があり謝罪を難しくしているのではないかという仮説を作ったことになる。




しかし、この仮説で一つ疑問に思ったことがある。植民地支配の歴史を紐解くと、日本だけが特別悪辣なことをしているわけでもない。なのになぜ日本人はそれに気がつかないのだろうという疑問である。

謝罪において重要なのは「相手のペースで謝らない」という点のようだ。特に植民地支配のような力で力を支配するというような関係の場合、相手が大きくなってくるとそのうち力では抑えられなくなることが予想される。そこで「恨まれないように手放すか」が重要になる。自らを解放者であり援助者であるというように位置づけをし直すというのがヨーロッパのやり方だ。もちろん経済移民の流入という対価はそれなりに大きいが、多分戦略としてはある程度成功したのだろう。

ここでやり方を間違えて第三者の介入を許してしまったのが日本である。敗戦後の清算は歴史解釈を勝者に任せるという意味では圧倒的に不利だ。ただ、ここでも実は歴史は日本の味方をしている。欧州列強は行きがかり上でも列強に入ったお友達を見捨てることはなかったのである。だから日本もそれに従っていればよかった。実際に日本はそのあとG7に加えられ「国際貢献する側」の国としてそれなりに丁重に扱われてきた。

中華民国(今の台湾だ)は戦後秩序の構築に加えてもらったが、朝鮮半島はそれができなかった。朝鮮半島からしてみると自分たちが知らないところで勝手に決着がつけられたことになる。しかし、それは日本がうまくマネージすべき問題だった。他の欧米各国もそれなりに事情は抱えていて、それなりにうまくやっている。

ここで「単に日本だけが悪者だったのではない」と言っただけでホッとする人が多いのは、そもそも外国人に非難されるという経験がないからだろう。「外国も似たようなことをしていますよ」というだけでホッとして状況を冷静に見ることができるようになるのだ。

では、日本人はなぜ歴史の解釈や意味づけがうまくできないのだろうと考えた。どうやら歴史教育に問題があるのではないかと思う。いろいろ考えたところ、日本史と世界史がリンクしていないことが問題なのではないかと思った。日本人は世界の歴史と自国の歴史をバラバラに学ぶのだ。このため鉄を求めて朝鮮半島経営に関わっていた時代と近現代のことがうまく理解できない。日本だけが悪いものというわけではないが、やはり周辺諸国に迷惑をかけたのも事実である。これが理解できないのである。

世界ではどうなっているのだろうと思いQuoraでも質問をしてみたが回答はつかなかった。アメリカの事例を調べたところ面白いことがわかった。そもそもアメリカには国定の教科書はなく「アメリカ史」「中南米史」「ヨーロッパ史」などとバラバラに教わるようだ。そしていくつか単位をとって卒業する。さらに高校になるとディスカッション形式で「なぜそれが起きたのか」を研究するようになっているのだという。日本のようにひたすら出来事を暗記することはないようだ。

日本で歴史を学ぶとそれぞれの出来事がバラバラに記憶され相互連携が取れない。そのためその出来事の意味づけがわからないままで卒業を迎えることになる。そして普通の人はそれ以降歴史を勉強しないし、勉強しても出来事を覚えるだけで相互の関係性についてはあまり考えない。これでは「その出来事がいいことなのか悪いことなのか」というような評価を個々に下すことしかできなくなってしまうだろう。

そう考えてみると、例えば「南京大虐殺はなかった」という人が個別のデータにやたらにこだわる理由がわかる。彼らは結論が先にあり都合の良いデータを集めるのだが、それはそもそも歴史を通じた意味づけや他の事例について知識と興味がないからなのかもしれない。

つまり、多くの日本人にとって歴史というのはデータの集まりであって情報ではない。単に無秩序の出来事の集合体であり、なおかつ自国の歴史と世界史がどう連携しているのかということも全くわからない。そこで韓国や中国から「歴史を見ないものは」などと言われると、もうどうしていいかわからなくなるのだろう。

そう考えると、反省までいかないにしても過去を見ないことがいかに愚かなことなのかがわかる。ある意味反省する力を機会を取り上げられたまま無意識の罪悪感と緊張を強いられているとも言える。我々は貧弱な歴史教育の犠牲者だと言えるのかもしれない。