戦前の二大政党制は、崩壊した生徒会に似ていた

民主党と維新の党の一部に「解党して出直し」という声がある。党内の複雑さを解決できない人たちが、組み合わせを変えたらなぜ国民の支持を得られると思うのか、全く理解できない。目的は単に「二大政党制の一翼を担う」ということだ。つまり政権を取ることが自己目的化しているのだ。しかも、再編に自信がないらしく、一部の議員はTwitterで仄めかすような呟きを送り続けている。

過去にも大正時代から昭和の初期まで二大政党制が実現した時代があった。イギリスやアメリカの政治状況を模範とし「一つの内閣が失敗した対立する政党が政権を担えば良い」という仕組みだった。二大政党同士が次第に相手の足の引っ張り合あうことになり、国民の信頼を失った。代わりに国民の期待を集めたのが「実行力のある」軍部だった。

日本で政党政治が根付かなかった理由には諸説あるようだ。理由の一つとして挙げられるのは調停者の存在だ。主権者は天皇なのだが、実際は天皇の側近(元老や内大臣)が調停して首相を決めていた。議会には決定権がなく、首相は議員でなくてもよかった。

つまり、戦前の政党政治は生徒会に似ていた。生徒は自治をしているようだが、実際に権限を持っているのは先生だ。生徒会に二つの異なる意見を持った派閥が対立に陥っても、生徒は妥協する必要はない。最終的には先生が出てきて「仲良くしなさい」と言ってくれるからである。

戦前の政府が扱った問題は不況だったが、内閣は有効な対策を打つ事ができなかった。これを打開するために中国に進出するかどうかで揉めることになる。そこで軍人が「暴走」して既成事実を作り、不況が解決した。

総理大臣には大臣を解任する権限がなかった。そこで意見の違い(閣内不一致)が起きると、内閣が瓦解するという仕組みだった。形式上は天皇という強いリーダーがいたために、総理大臣が強い権限を持つことは許されなかった。「みんな仲良く」が原則だったのだ。

実際には天皇が強いリーダーシップを発揮して最終的な決断をすることはなかったし、総理大臣をアポイントしていた重臣たちが行政に対する責任を取る訳でもなかった。責任を問われるのは内閣だが、強い権限はなかった。

これは先生が学級内の対立に対して見て見ぬ振りをするのに似ている。生徒たちも自分たちで問題を解決すするつもりはなく(あるいは解決する能力がなく)問題はエスカレートするばかりだ。先生が介入しない理由は簡単だ。介入して問題解決に失敗すれば、先生の威厳に傷がつくからだ。そもそも、先生は自分で問題を解決するスタッフを抱えているわけではないので、主導権を持って動くことはできなかっただろう。

日本は誰も問題が解決できずに、戦争という画期的な打開策に飛びつき、最後には自滅した。

現在の状況は戦前に似ている。とはいっても、安倍首相が日本を戦争に導くというわけではない。日本には国防に関する主権がない。アメリカは中国との全面対立を望まないだろうし、世界第二位と第三位の経済大国を戦争させることもないだろう。

現在の主戦場は終わりの見えないデフレ状態、進む高齢化、増え続ける社会保障費などだ。経済はグローバル化しており一国の経済政策で解決することはできない。政党は問題を解決できないのだから、問題を先送りするか相手を非難して罵り合うだけになってしまう。

これを打開するために「アベノミクス」対策が打たれたのだが、これが決定的な打開策なのか、軍部の暴走に近いものなのかはまだ分からない。日銀が国債を買い受けてくれるという画期的なプランであり「いくらでも」借金ができるのだが、どこまでできるのかも、山がいつ崩れるのかも予測はできない。さらに豊富な年金資金で株価をつり上げているのだが、株式市場は乱高下を続けており、いくら損をしたのかも分からないのだ。

戦前の軍部はアメリカと敵対して勝てる見込みのない戦いに突入していった。議会と政党は内輪もめを繰り返し、ただ傍観しているだけだった。今度の「敵」はグローバル金融市場だ。野党はなんら解決策を打ち出さずに、身内の論理で「純化闘争」を行っている。

学校でいうところの先生である主権者はただそれを傍観しているだけなのである。

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