LINEはずしと嫉妬心

LINEをはじめとしたいじめについて考えている。本来、一部を除いた人間には他人が苦しむ姿を見たいという遺伝的欲求はないのだが、ある条件が整うと他人の痛みは快感に変わる。

私達は無視されたときに痛みを感じる場合がある。これは抽象的な痛みではなく、脳の痛みを感じる部位で感じているらしい。すぐに返事を返さないと「無視された」と誤認して痛みを感じる。これに報復するために、返事を返さなかった人を仲間はずれにすることがあるようだ。こうしたリアクションは「誰でも忙しくて返事ができない時があるのだ」と教育することで防ぐことができる。「相手の身になって考えなさい」というわけだ。

ところが、教育ではカバーできない痛みがある。それが嫉妬だ。ある研究によると人間は良く似た属性を持った人間が自分よりも優れていると感じた時に嫉妬を感じるそうだ。嫉妬は痛みとして捉えられる。ところが、その対象者が失敗したり、不幸な目にあったりすると快感を感じるのだ。嫉妬が強ければ、その後の快感も強くなるのだという。

また人間は不公平を感じた時にも嫌悪感を感じるのだという研究もある。嫌悪感を感じると合理的な判断が阻害され、自分が何も得る事ができなくても、相手が得をするのを防ごうという気持ちになるのだそうだ。

自分と良く似た人に嫉妬心を感じた人は、痛みを排除するためにその人を仲間はずれにしたり攻撃したりする。そして、その人が痛みを感じて不幸になると、それを見て快感を感じてしまう。その行動を合理化するために、仲間を監視して、排除に巻き込む。窮屈な人間関係はそのようにして生まれるようだ。スマホによる「監視機能」があれば、その閉鎖的な人間関係は24時間365日続くのである。

「他人と比べなければいいではないか」という反論もありそうだが、そもそも人間の脳は絶対的な幸運の量を計るようには設計されていない。他人との比較によって自分の幸運や不幸を決めている。

不公平さや嫉妬に囚われると、本来なすべきことを忘れてその怒りを解消することに意識が集中してしまう。これを防ぐには自分が感じている怒りを言語化・意識化するのが良さそうである。ところが、こうした情動は古い脳が関係しているので意識化しにくい。無理に言語化すると、合理化されてしまい、却って事の本質が分からなくなることも起こりそうだ。

本来、多くの情報に触れることができれば、状況を正しく認識してよりよい判断ができるようになるはずである。しかしながら、状況によっては痛みに囚われ、他人の不幸を探すようにも使われるのである。

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