バカがバカを笑う- 安保関連法案を巡って

松本徹三という識者の方が石田純一氏を嗤っている。氏によると、安保法案に反対する石田さんはルックスはいいだけのバカなのだという。Twitterで突っ込んだら「自分の方が多角的に物事を考えている」という旨のご返信を頂いた。ちょっと呆れた。

安倍政権が安保法案を推進したのは、アメリカの要望に従ったからである。日本はアメリカの核の傘の下にあり、同じく核保有国である中国に対峙している。だから、アメリカに従うより他に現実的な選択肢がない。また、アメリカが日本に軍事基地を設置しているのは、日本を守るためではなくアメリカの軍事的なプレゼンスを守るためだ。日本はこれが「あたかも自分たちの国益である」ように行動しなければならない。それしか道はないからだ。

しかし、アメリカには余裕が無くなってきている。アフガンやイラクで多数の死者を出したのだから当然のことだ。そこで、自分たちは表に出ずに現地部隊を戦わせて、敵が弱ったところを無人機で攻撃するという路線に変えている。「自衛隊がアメリカ軍の為に犠牲を払うべき」というアーミテージの発言はこの路線に沿っている。現地部隊は朝鮮半島からも撤退しつつあるようだ。

さらに、安倍首相と中谷防衛大臣は、アメリカで「北朝鮮からアメリカに飛ぶミサイルは日本が撃ち落としてあげます」と言って拍手喝采を浴びた。「日本がアメリカ防衛をしてくれる」と受け取られたからだろう。

ところが、日本ではそのような説明はされなかった。安保関連法案を改正するのは「日本を防衛するため」であり、集団的自衛権と言っても個別的自衛権の延長のようなものだと説明したのだ。そして「自衛隊のリスクは増えない」と言い切った。そこから先の混乱は皆さん御存知の通りである。橋下徹市長と維新の党がベン図まで書いて「集団的自衛権」と「個別的自衛権」には重なるところがある概念だなどと説明したのが記憶に新しいが、これは概念としては排他的だ。

安倍首相が内外で行った説明にはお互いに矛盾がある。その矛盾が露呈しないののは「今までのように」何も起こらなかったときだけだ。何もなければ、お互いに日米郡司同盟をいいように解釈できるのだ。その意味では「津波は起こらないから安全」な原子力発電所に似ている。実は安倍政権も「戦争がない」ことを前提しているのだが、これをお花畑だと嗤うひとはいない。

確かに安倍首相の作戦は「賢い」だろう。日本人は「軍事的に主導権がない」ということを自覚せずに済むし、アメリカのプレッシャーからも解放される。おまけに米国議会から賞賛されて演説までさせて貰えた。良い事尽くめである。しかし、何かことが起こったらどうするつもりなのだろう、と思わずにいられない。自分たちだけで処理できると考えているのだろうとしか思えない。

議論の経緯を見ていると、何が起こるかどうかという想定はしていないようである。細かい想定は識者に丸投げしているように見えるのだ。例えばあるレポートから丸写しした「ホルムズ海峡」の事例がそれに当たる。イランとアメリカが再接近しつつあることに気がついていなかったようだ。ニュースでもやっていたが、交渉の意味が分かっていなかったのかもしれない。途中で合意が成立してしまったので、慌てて事例を取り下げ、野党が「立法事実がなくなった」と騒いだ。現状も分析できないのだから、未来予測が立てられるはずはない。もっとも軍事的な主権はないのだから「予測するだけムダ」なのかもしれない。意思決定する権限がないからだ。にも関わらず情報が足りないとぼやいていて、内閣に情報を集積する仕組み作りに躍起である。

日本が軍事的な行動を起こしアメリカを支援するためには日本国民の納得とコミットメントが必要である。そのためには、アメリカに余力がなくなっている現実を知らせたうえで、国民を説得するする必要があった。それをしなかった理由を「国民がバカだから」と考える事は可能だが、実際には説得する自信がないからなのではないかと思う。

軍事的に見れば日本は独立国ではない。これが一部の人たちには苦い現実になっているのだろう。それに直面しなくても済むように、内外で説明を使い分けているというのが日本の現状だ。「賢い」識者の人はうすうすそれに気がついているのではないかと思う。欺瞞によってしか平常心を保てないので、「もっとバカな」人を見つけて攻撃するのかもしれない。

石田純一さんが「バカ」だとしたら、それは政府の説明を真に受けているからだ。二国間軍事同盟を前提とすると、日本が集団的自衛権を行使するのは、日本がアメリカを守る為で、アメリカが日本を守るためである。ところが日本には憲法の制約があり、国民の意識(自分の国さえ守る事ができれば十分)もあって「集団的自衛権と言っても、個別的自衛権の延長」なのだという説明をしてきた。そこで「集団的自衛権は日本を守る為のもの」という奇妙な解釈が成立してしまったのだ。

この説明を真に受けた石田さんは「日本を守るのであれば個別的自衛権で十分ではないか」と言っている。「政府は嘘つきだ」と言いたいのかもしれないが、これは(日本の立場から見て)当たり前の事を言っているだけであり、叫ぶ程の事でもない。

また「今のままで良いではないか」とも言っているが、これも日本の立場から見れば当たり前のことである。安倍首相も「日本の負担も犠牲も増えない」と言っているので変える必要がないのは当たり前だ。変える必要があったのは、日本の負担と犠牲(ついでに責任も)が増えるからだ。これも無理矢理証明するべきようなことではない。

さて、この辺りで安保法案賛成派と反対派どちらが正しいのかという問いに移りたくなるのが人情だろう。しかし、この問いの立て方は正しくないように思える。

左派は正面から反対できないと思ったのか、国民が持っている不安と法案を結びつける事で反対運動をもり立てようとした。共産党や社民党はともかく、民主党の中にはわざとこれを実行した人がいるのではないかと思われる。その不安とは経済的な闘争に巻き込まれるという不安だ。背景には国の経済力の低下がある。これが「安倍政権が戦争をもたらす」という像につながっているようである。一億総活躍を一億総動員に置き換えるのはそうした心理状態の表れかもしれない。第二次世界大戦の敵はアメリカだったのだが、今戦う相手は「国の老い」なのだ。

ここから推測できるのは民主党が国力を回復させるような知恵を持っていない(あるいは持っているが党内でもコンセンサスが得られない)ということだろう。よいアイディアがあればそれを提案できたはずなのだが、解決できないので、感情的に訴えたのだ。

一方、賛成派も中国の脅威を念頭に置いている。しかし、実際に問題なのは中国の台頭ではなく日本の国力の衰退だ。そうした不安を直接解消することができないので「アメリカが味方してくれれば大丈夫だ」と言ってみたり「憲法を改正すればよい」と主張したりする。

実は、この2つの勢力は実は同根の問題に直面している。しかし、直接の解決策が見つからないので、お互いに嗤い合ったり叫び合ったりしているのである。

識者の一部はこの先を心配しはじめているようだ。左右が罵り合って膠着しているうちはいいのだが、その間隙をついてもっと過激な「ソリューション」が提示されたとき、国民は熱烈にそれを歓迎するのではないかということだ。実際にフランスの地方選挙では右翼勢力が大躍進し、アメリカではトランプ氏が過激な主張で人気を集めている。

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