人気のある政治ブログを作るにはどうしたらいいか

毎日だらだらと書いている。テレビやネットの二次情報が多くなるので、政治ネタが増える傾向がある。本を読まなくても書けるからだ。読まれない記事も多いが、時々「ヒット作」が出る。ということで、どんな記事に人気の反応が良かったかを調べてみることにした。ブログに「全目次」があり、過去の「いいね」の数が分かる。いくつか傾向があることが分かった。

個人的な内容なので人に読ませるようなものではないのだが、「なぜ野党が支持を集めないのか」ということを考える上でヒントになる情報も少なくないのではないかと思う。

一体化欲求を満たす

ページビューを稼ぐのに一番良い方法は有名人に乗っかることだ。有名人の主張に賛同した記事を書くとRTしてもらえる。読まれる時間も長い。こうした読者は有名人に一体化したいと考えているのだろう。

もちろん、こうした人たちは有名人に賛同しているのであって、このブログに賛同しているわけではない。従って、彼らが二度とブログを訪れることはないだろう。日本人は多数派と一体化したい欲求を持っている。

一体化欲求が肥大化したのが、ネットのバッシングだ。バッシングに加担するとページビューが伸びる傾向にある。テレビ番組が揶揄されることも多い。例として「安倍首相の生肉事件」がある。障害児はかわいそうだから出生前に見つけた方が良いといった教育委員を批判した記事も人気だった。一方で佐野研二郎氏のようにネットから火がついたものもある。

男性的価値観に訴える

有名人のエンドースメントがなくても読まれる記事はある。「日本人は遅れている」という主張を書くと読んでもらいやすい。その場合「科学的で合理的な」ポジションから攻めるのがよいらしい。科学的、合理的、効率的という価値観は「男性的属性」と考えられる。日本人は男性的な文化を持っている。

旧弊な家族観も嫌われるようだ。女性は結婚して家に入るべきだとか、夫婦は同姓であるべきだという主張を否定すると人気が集る。「古くて非合理」な価値観を押しつける人は嫌われているのだろう。年配の世代から価値観を押しつけるのに辟易としている人が多いのかもしれない。

男性的な価値観は「脳科学で効率的に学習する方法」とか「ライフハック」への人気につながる。ボーダーシャツを着るとスタイルがよく見えるという記事が人気だった。「楽して痩せられる」という類いなのだが「科学的な(あるいは科学的に見える)」裏付けが必要だ。これも男性的な価値観だ。

男性的価値観の変種が左翼バッシングだ。「弱者に寄り添おう」という左翼人権主義は「弱さのスティグマ」と見なされている。左翼思想はイジメの対象にしか成り得ない。野党が伸長しない理由はそんな所にあるのだろう。民主党が日本に北欧型の福祉モデルを導入しようとしていた時期の「日本はスウェーデンのようになれない」という記事が人気だった。日本人は「福祉で弱者に金が使われると、俺たちの取り分がなくなる」と信じているのではないかと思う。弱者に優しく、みんなに心地よいという価値観は「女性的なもの」だ。

もし、左翼が政権を取りたいと考えるなら「弱者の側」に立ってはいけない。保守には「旧弊で古めかしい」というレッテル貼りが有効だろう。

証明できないことを言い切る

一方で、左翼層からの人気を集めたのではないかと思われる記事もある。「自衛隊は暴走するだろう」というものだ。安倍首相が今すぐ戦争を始める気配はなく、証明もできない。だから、それを言い切るとクリック数が増えるのである。しかし、読まれているとは言えない。表題を読んで満足するのだろう。

左翼層の目的は安倍政権の攻撃になっているのだろう。これを男性的に(すなわち科学的、合理的に)攻撃したいのだ。左翼は少数派で一体感が強く、広がりがない。「弱いものによりそう」はずの左翼リベラル的思想が攻撃性を帯びるのは、日本人が本質的に男性的な価値観を持っているからではないかと思われる。

コミュニケーションの難しさと所属の曖昧さ

全く違った分野で人気を集めたのが、コミュニケーションの難しさを書いた記事だ。自分の言いたいことが伝わらないという人もいるのだろうが、「俺の話が分からない異常者がいる」と感じている人も多いのではないかと思う。これを「科学的に」書くのがよいのではないかと思う。脳の不具合(あるいは傾向)で話が理解できない人がいるというような記事になる。決して「話を聞いて分かりあおう」と書いてはいけないらしい。アサーティブになろう(つまり自分が変わるべきだ)という論調も好ましくない。あくまでも自分は変わらずに相手を変えたいと考えているのだ。ただし「あなたは簡単な法則を知らないだけで損をしている」という書き方をすると人気が集るかもしれない。この手の記事は検索経由で根強い人気を集めている。Twitterで消費されるわけではない。

職場や学校でのコミュニケーションの複雑さは増しているらしい。

人々は一体化の欲求を持っており、群れを作って多数派であることを証明しようとすることは先に観察した。しかしながら、実際には属性への不安を感じているらしい。つまり自分がどのような人なのかがよく分からないのだ。このブログでは性格テスト(MBTI)について書いた記事があり人気を集めている。

学生は「自分をよく知って会社を攻略せよ」と言われる。しかし、社会に出るまで自分がどんな人なのかは良くわからない。そこでMBTIのような「科学的な」区分に需要があるのだろう。

よく「原子化された社会」と言われるが、『分かり合えない』社会化は進行しているようだ。しかし、それを互いの思いやりで乗り越えようという気にはならないようだ。どちらかというと「科学的に」攻略したいと考えているのだ。

人気のないもの

一方で読者に響かない記事もある。まず読者の興味の射程にない記事は読まれない。例えば、アフリカのテロや内戦の記事などは読まれない。「安倍政権の台頭でで戦争への忌避感情が強まっているのだから、どうしたら戦争が防げるか考えてみよう」などと考える人はいない。フランスのテロは同情されるが、ナイジェリアでテロが起きても「アフリカって危ないんだな」くらいにしか思わないのだろう。

女性的な価値観(共生、共感、居心地の良さ)に基づいた記事も無視される。日本人は弱者だと規定されることを嫌がる。寄り添ったり分け合ったりすることも嫌いだ。故に左翼的な価値観で安倍首相を攻撃してはいけない。左翼の理屈で政権批判をすると「弱者だ」と見なされることになるからだ。

さらに「社会を良くする為には自分が変わらなければならない」という論もよくない。あくまでも自分が好むように他人が変わることが求められるのである。試した事はないが、自己変革を促す為には、カルト宗教的な要素が必要なのではないかと思う。つまり、このように変われば天国に行ける(あるいは成功できる)という明確なゴール設定があればよいのではないかと思う。

こうした傾向の背景にあるのは、日本の教育なのではないかと思う。日本の教育の主眼は結論を「効率よく暗記する」点にあり、途中の過程は求められない。そこで「自分で考える」「仕組みを知る」「因果関係を検討する」などは苦手なようだ。読み手は結論を予め持っていて、それをバックアップするための論拠を求めているのだ。

“人気のある政治ブログを作るにはどうしたらいいか” への2件の返信

  1. 今の日本人って何?って読み解くのに、非常に勉強になりました。
    教育については、明治の時代からわざとそうやってるはずです。昔の官僚トップは頭が良く、考える民衆を作りたくないのです。

    1. コメントありがとうござます。

      生徒に考えさせる教育に転換しようとしたら、先生から「考える教育に対応したマニュアルをくれ」みたいな要望が出て、生徒はツメコミが足りないからと「ゆとり世代」と揶揄されるようになりました。国民の側が考えることを断固拒否しているとしか思えないです。

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