ご近所のシルバーデモクラシー

またぎきなので正確なところは分からない。

仲がよさそうなご近所さんたちだが、いろいろと問題があるらしい。ご近所にはやたらに決まりを作りたがるひとたちがいる。「困っている人がいるから町内会レベルで互助組織を作り住民の状況を調査すべきだ」と言い出す人がいるのだそうだ。で、実際に困っている人のリストを作ろうとすると「プライバシーの問題があり、そんなリストを公開するのは危険だ」と言い出す人が出てくるようである。

妥協点はない。白か黒かである。

決まり事を作りたい人たちはそれがよいことだと信じているので、しつこくその議題を出し続けて決して折れることはない。そこで定期的な近所のお話合いは決して問題解決ができないまま毎度紛糾するのだそうだ。

全体レベルで意見がまとまるわけはないので、やたらと私的な組織を作りたがるという。そして「自分たちは世の中の役に立っているのだから、補助金をよこせ」という主張も忘れない。直接聞いたことがあるのは「子供の福祉に役立つ場を作るから、市が空き家を提供して、補助金も出せ」という話だ。お決まりなのは「私が役員になる」ということである。結局「私らしく輝ける場所」を探しており、他人を巻き込みたいのだ。「子供」はそのための道具になっているのだが、言っている人は全く気がついていない。

こうした人たちに共通しているのは「自分の価値観はよい価値観なのだから、相手も従うべきだ」という強烈な思い込みである。若者は消費者としての自分に閉じこもるのだが、高齢者は自分の価値観を回りに押し付けようとする。ただ、その価値観がやたらと細かいのだ。例えば「自転車を塀の外に括り付けておくのは好ましくない」というようなたぐいの話である。

こうした視点から自民党の憲法案を見ると、やたらに細かな価値観の押しつけあいが多いことが分かる。これは高齢者の自己顕示なのだろうと考えられる。多分自民党の人たちにすれば憲法とは「みんなで守るべき村の決まり」程度の認識なのではないだろうか。「私たちの村がいかに特別で美しいか」で始まり「みんなで仲良く暮らすべきだ」という主張が入る。そしてその中心で輝いているのは「私たち自民党」なのだろう。悪気はないのかもしれないが、出来上がった主張はきわめて危険で、これが憲法と言えるかどうかさえ疑問だ。

文部科学省は学校の運営を手助けするために地域の力を活用したい意向だ。なんとなく良さそうなのだが、地域の人たちがただで手伝ってくれるとは思えない。学校運営に入り込んだ高齢者たちは「私らしさ」を発揮しはじめるだろう。自分たちの価値観で相手を染めようとするのである。多分、先生の気苦労は増えるだろう。

こうした住民自治組織はまだら模様になっている。一角に若い人たち向けの住宅があるが、新しくできたのでそこだけ組織には入っていない。高齢者たちは虎視眈々と「若い人にも入ってほしい」と狙っているのだが、決して新しい価値観を受け入れるというわけではなさそうだ。「私色に染上げてやろう」と考えているのではないかと思われる。

「若者は選挙に行かない」と考えている人も多いようだが、決して若い人たちの意見を聞いて政治に反映させようなどとは思っていないだろう。無垢なうちに自分の色に染上げて、熱心な観客にしてやろうと考えているのではないだろうか。

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