緊急災害時とネットメディア

地震から1日経った。人間は情報量が多くなると適切な行動ができなくなるというNewsweekの記事を読んだばかりで、テレビから一日中流れてくる被災情報とテロップに圧倒されながらちょっと怖くなった。情報に圧倒されていて「情報疲れ」を起こしているのが実感できたからだ。地震の経験は2分くらいしかないわけだから、そのあとは「〜が来るかもしれない」という情報に圧倒されることになる。そうした中「多分デマだろう」という情報に接した。ということで、地震後の雑感をまとめたい。

情報は錯綜する

どうやら、いろいろな情報が流れてくると、テレビで聞いた事・実際に見た事・人から聞いた事などが区別できなくなるようだ。これには著しい個人差がある。故に情報は錯綜すると考えたほうがいい。多分「情報」よりも「行動指針」を示したほうが、情報弱者には優しい。情報に強い人は「何らかの事態を想定し」「それに対する情報を探し」「関係ある情報を選択している」のに対して、情報弱者は「とにかく来る情報をすべて受け入れ」「それを感情的に処理し」「圧倒される」というプロセスを踏んでいるのと思う。感情的に処理とは「かわいそう」とか「こわい」とかだ。そして、いざ何か行動を取らなければならなくなったときに「なんだか分からない」ということになる。そして情報強者も情報量が増えるのに従って判断力を失って行く。
しかし情報の収集に慣れている人は「何か隠しているのではないか」と考えてしまうかもしれず、これらを整理して流すのはなかなか大変そうだ。情報リテラシーが低下すると、漢字の見た目で「これはひどい事になっているに違いない」と感じるらしい。テレビは情報を蓄積できない。何時間かごとに「高速道路が止まった」とか「動いた」という情報が出て来たり、1日前の情報がテロップで出ると判断に必要な情報が取り出せなくなる。次回のために文字情報のルールを作っておいたほうがいい。死者数を流すときと、高速道路の情報を流すときに背景色を変えるとか、できることはいろいろあるはずだ。少なくとも「起こったこと」と「現在の行動指針のための情報」は明確に区別したほうがいいだろう。

人は情報を交換するがその通路は様々

最初に地震が起きたとき、年配は積極的に声をかけてきた。「地震がありましたね」とかその程度だ。僕は40歳代なのだが「何か崩れましたか」とか「震源はどこですか」とか「余震が続いていますね」とか声を返す。これが安心を生み出す。後は近所の人に声をかけたりする。しかし、いわゆるロスジェネの人たちは、年齢で固まって内輪で情報交換をするようだ。家に帰りつくとTwitterなどでは情報を交換しあっている様子が分かった。年配者はネットメディアに接していないので、あたかも異なった二つのメディア空間があるような状態になる。「何かをやって協力したい」「いても立ってもいられない」という人たちもおり、助け合いたいという気持ちはどちらともに強いらしい。ある年齢を境に情報交換に対する態度がかなり違うようである。こうした断層はどうして生まれたのかと思った。この「情報断層」は後で説明するようにデマの震源になる可能性があるように思える。

ネットメディアは役に立った

Facebookで海外と安否確認ができた。携帯電話はまったく使えないのにSkypeやTwitterはつながった。これは携帯電話が緻密に組まれているのに比べて、ネットはもともと軍事利用だったからだ。つまり品質を犠牲にしてでも安定性を確保するのである。携帯電話はシステム的には見直した方がいいのではと思う。災害時には品質を落としてもつながり具合を確保するようなことはできないのではないかと思う。これをきっかけにSkpyeの利用は増えるのではないかとも思った。備えとして平時にアカウントを取っておいたほうがいいかもしれない。特に災害時に電気が切れてしまった(いまも切れている)東北地方の事例は研究されるべきだろう。

ネットメディアが危ないのではなかった

今回、噂話が流れた。市原のコスモ石油で火災があり、その浮遊物が降ってくるというのだ。僕が聞いたのは「空気中に有害物質が俟っているので傘をさして歩け」というもので「厚生労働省に勤める兄嫁から聞いた」となっていた。これを「この人の兄嫁が厚生労働省に勤めているのだろう」と受け取ったのだが、どうも曖昧だ。ということで「元ネタを調べないと」と考えた。この時点でTwitterには二通りの話が出ていた。「厚生労働省発表」というやつと「コスモ石油に勤めている人に聞いた所によると」というもの。そして、千葉市長は「そうした可能性は少ない」とTweetしていた。やはりデマの可能性が高いようだ。
既にWikipediaに地震についてのまとめができている。それによれば、コスモ石油で火災があったときにチリが核になり雨が降ったという記述があった。(これも本当に雨なのかは確認されていないのだが…)この話が伝わったのではないかと思える。
既にTweetしたように「噂が広がる」要件を満たしている。以下、列記する。

  • このとき、テレビは福島の原発についてのニュースばかりを流していて、千葉には情報空白ができている。災害時の不安な気持ちがあり、ちょっとした情報は「悪いほうに流れる」傾向がある。
  • 多分、雲も出ていないのに地面が濡れていたね→雨だったね→なんか混じってないか心配→なんか千葉市に雨が降ってくるんだってよというように拡大した可能性がある。(これは検証してみてもいいのではないか)これが文章になってTwitterで伝わり、Twitterをやっていなさそうな人に伝聞で伝わったわけだ。豊田信用金庫事件で無線マニアが果たした役割を電話した人が担っていたのではないかと思う。(近所の人は相模原の人から聞いたのだそうだ)ちなみに電車での噂話がTwitterにあたる。
  • よく考えてみると、ある古典的な下敷きがある。それは井伏鱒二の「黒い雨」である。広島の原爆についての小説だ。もしこの推測がただしいとすると、福島の件が影響していることになる。噂が単純化する時、あるプロトタイプを取ることがあるようだ。意図的に噂を流すときにも使われる手法だが、自然発生的にもこうしたことが起こりうるのではないかと思われる。

よく考えてみると千葉市には雨の予報はない。市原は平気で千葉は危ないというのもおかしい。そもそも情報が曖昧である。こうした曖昧さを補完するために、雨で有毒物質が降ってくる→空気中に俟っているになったのかもしれない。情報は単純化しながら悪いほうに傾いて行くのである。千葉市でも火災が起きているのだが、これがごっちゃになったのかもしれない。
この近所の人に「確かにこういうことはないとは言い切れないが」「ネット上でも騒ぎになっているので」「用心しつつも冷静になったほうがいいのでは」と教えてあげた。否定すると躍起になって反論するかもしれない。すでに近所には一通り伝え終わっていたらしいのだが、それで落ち着いたようだ。しかし、家族の一人が、神奈川にいる家族に「毒ガスのデマが出た」と電話する。これが「千葉はデマが出る程混乱している」という心象を与える可能性もあるし「デマ」が消え去り「毒ガス」に変わる恐れがある。情報は単純化するからである。
ネットメディアでは「これはデマなのでは」という自省的なTweetが出始めた。厄介なのは伝聞を聞いた人たちだ。情報修正は行われないなかで、テレビではまったくこれを伝えていない。そしてCMなしで不安な映像が流れ続けている。かなり不安だったのではないかと思われる。

日本人は冷静だった、が

地震後、略奪が全く起きている様子がない。これがとても驚異的だという話は至る所で語られているようである。これは日本人が社会や地域コミュニティを信用しているということだろうと思われる。この時点で怖いのは、我々が政府を信じられなくなっているという点だ。これを書いている時点では目が泳いでいる枝野さんの発言を保安院発表と「一致しない」という分析がなされている。こうした不安はパニックを引き起こす可能性がある。
先ほどの「噂話」が最悪の結末を生まなかったのは、誰もこの情報を元に行動を起こさなかったからだろう。それは我々が社会を信用しているからで、つまり噂話が広がる要件の最後の一つを満たしていなかったのである。噂がパニックになるのは、複数の不確かなソースから同じような情報を取得し(例えば携帯電話ですでに話を聞いていて、そういえば私もそういう情報を聞いたと話し合い)、誰かが何かをしている(例えばとなりの人が血相を変えて逃げて行く)のを目撃した時である。銀行の取り付け騒ぎやトイレットペーパー騒動などはこうした情報が行動に変化した時点で、デマからパニックになった。報道によると、「避難所に食料があるといいね」が「食料がある」に変わっている可能性があるようだ。実際に着いた所、食べ物のない避難所があったそうだ。
ネットメディアを知っている人とそうでない人に断層がある。ここが構造的な弱点になっている。だから、ここが刺激されていれば、パニックが発生する可能性も否定できなかったのではないか。危ないのは携帯電話のチェーンメールではなく、こうした伝聞情報を複数ソースで確認できない人たちだ。故に社会とつながっていて、なおかつネットでの情報収集能力がある人の役割は大きいのである。しかし、こうした冷静な対応も「みんなが走り出した」ら無力になるだろう。