教育コミュニティと社会的報酬

最近、中古のMacintoshを手に入れた。最新OSが乗る物を1つは置いておきたかったのだ。セットアップすると分からないことが多く、いろいろなディスカッションボードで質問をすることになる。そこで「コミュニティと社会的報酬」についていろいろ考えた。

Appleのディスカッションボードはかなり紳士的だ。実名・匿名が入り交じっているのだが、回答者の知識は豊富で実践的な提案もある。最近はiPhoneユーザーが増えて「シロウトっぽい」質問も多いのだが、それにもできるだけ丁寧に答えている。

Appleのディスカッションボードが荒れないのは、ランク分けによる社会的報酬が与えられているからである。回答がよいと「役に立った」とか「問題が解決した」という評価が与えられ、バッジが上昇する。また、ランクが上がるとリアルのイベントに招待される仕組みもあるようだ。このリアルとつながっているというのはとても重要らしい。

一方で荒れているコミュニティもある。Yahoo!知恵袋で「デジカメ一眼レフのおすすめ機種を教えて」などと言えば「素人は何を買っても同じ」とか「自分が撮るべき写真がわかってから質問しろ」などという辛辣な回答が並ぶ。いわゆる「自己責任論」も横行している。上から目線でデタラメな回答(本人は正しいつもりなのだと思うが)を羅列する人も多いし、自分が知らないことを隠蔽するために自己責任論をひりかざす人もいる。「あなたがトラブルに巻き込まれたのは、あなたの不注意のせいだ」と言い、質問には直接答えないのだ。

荒れるコミュニティにはいくつかの要素が絡まっていそうだ。第一に「知識を持っている人は偉い」という序列意識がありそうだが、それだけは全てを説明できない。もし「くだらない質問だ」と思うなら答えなければいいだけなのに、なぜわざわざ長い時間をかけて他人を罵倒するのだろうかという点には疑問が残るのだ。

素人の質問に不快な思いをしているのだろうと思われるのだが、ではなぜ「不快な気持ち」にさせられるのだろうか。

多分、書いている本人が何らかの不満を抱えているのではないかと思われる。自分はこんなに知識があるのに、なぜ他人は理解してくれないのかという気持ちだ。それを他人にぶつけているのだろう。結局のところ「社会的報酬が得られない(平たい言葉でいうと評価されていない)」という不満を他人にぶつけているのではないかと考えられる。

こうした情景はYahoo!知恵袋だけでなく、様々なコミュニィで見られる。放置されていて社会的報酬が与えられないと、不確実な知識が増え、自己責任論が横行し、言葉遣いが荒くなる。ディスカッションボードはまだ「ソリューションオリエンテッド」だが2ちゃんねるはさらに荒れていてほとんど妄想に近いような解決策が話し合われている。

リアルでもこうしたことは珍しくない。現場が顧みられず、知識が評価されない企業でも似たようなことを目にする。たいていは教育に問題が起こっており、知識伝達が機能しない。一方で知識に対して社会的報酬があると知的満足が充足し、事故解決能力の高い組織が作られる。

本来ならボランティアワークで奉仕の精神が求められるはずの教育なのだが、実際には人は社会的報酬なしでは紳士的に行動できない。そこで費用を出してでも社会的評価をする必要があるのだ。

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