デフレとアパレル不況の共通点

安倍首相はことあるごとに日本はデフレから脱却しつつあるとうそぶいている。しかし、その統計には中古市場は含まれていない。実際の自分たちの暮らしを見ていると、その割合はわずかかもしれないが、確実に中古市場への依存が広まっている。

それではどのような業態で中古市場へのシフトが進んでいるのだろうか。

  • 毎年のように新しい製品が出る。
  • モノの価値が情報によって支えられている。

例えばパソコンは毎年新しい製品が出る。かつては処理速度が早くなっていたのだが、最近では省エネで競っている。また洋服の場合は毎年新しい型が出て古いものは着られなくなることになっている。だが、去年の古いセーターを今年着ることは可能だし、古くなったパソコンでも昔こなしていた用事ができなくなるわけではないし、私たちがやりたいことが毎年高速化してゆくわけでもない。

メーカーは価値を高めるために情報を小出しにしているのだが、長い間をかけて消費者は情報を蓄積してゆく。それゆえにメーカーは消費者より速い速度で情報を蓄積しなければならない。

製品にまつわる情報にはいくつかのものがある。

  • 製品に関する情報 – これはメーカー側でも蓄積できる。しかし、いったん流した情報は忘却されない。
  • 価格に関する情報 – かつては消費者側は知らなかったがIT機器の発達で消費者の知るところとなった。
  • ユーザーの情報 – これはメーカーでは作ることができないので、お金を出して集める必要がある。

三番目の情報は価格形成に大きな影響を与えている。服は所属や地位を表すシグナルになっているが、その意味合いは他人との関係できまる。例えば、みんながユニクロを着ていればユニクロが恥ずかしくなくなり、その価値はネットワーク効果で決まる。これを日本語では「空気」と呼んでいる。

ユーザーが作る空気は複雑から単純へ、高価から安価へと流れるようだ。これを高い位置に戻すためには外からの刺激を加える必要があるようである。だが、メーカーは情報を足す事はできても、忘却させる事はできない。

価値は情報によって作られているということなのだが、消費者は情報を使って何を伝達しているのだろうか。衣服や車の場合には所属欲求だと考えられる。同じものを持っているということを確認しつつ、その中で序列の確認が行われている。序列を決めるのは「センス」という曖昧な基準なので、これが無効だということになれば、情報としての価値は失われる。

この所属を確認するための情報交換はは置き換えられつつある。例えば一つはSNSを使ったゲームのような純粋な情報だ。所属欲求を満たして、序列を作るために面倒な「モノ」を媒介にする必要はなくなりつつある。もう一つは場所と時間だ。ショッピングモールで買い物をする場所は閑散としているのに、レストラン街は満員だったりする。また、インテリアショップに併設されたカフェも人気だ。どちらも一人で利用するというより、仲間と時間や場所を共有するために利用されているのだろう。

「モノからの逃避」が進んでおり、抽象化が進行しているとも言える。

冒頭の政府統計の話に戻ると、新品の製品だけに着目しても、デフレなのかそうでないのかという事はよくわからなくなりつつある。正確な統計のためには中古品市場を加え、情報流通にも着目しなければならない。しかし、旧来型の消費者像に凝り固まった頭で、こうした新しい物価統計を組み立てるのはなかなか難しいのではないだろうか。

さらに重要なのは、人々がそもそも「消費者」ではなく、モノを媒介した社会のためにモノを利用しているという視点だろう。消費者は消費者ではないのだから、メーカーはメーカーではない。どちらかといえば社会化という通貨を発行していると考えた方が良さそうだ。

例えばアパレルメーカーはファッション雑誌や店頭に通貨を流しているのだが、通貨発行のコストは無視して良いほど低いので、モノが売れなくなったからという理由で通貨の発行を増やす。すると結果的に通貨の信認は失われてデフレが進行してしまうのだ。それは情報が持つ効果そのものが失われるからである。

これはデフレと共通するところがあるように思える。中央銀行は経済を活性化させるために通貨の発行を増やした。これは実は富を増やしているということにはならず、富を伝える媒介(すなわち情報)を増やしている。1つの中央銀行が情報の供給を増やすと、他の中央銀行も情報を増やす必要がある。いったん出された情報を回収することはできない。そこでピケティのように富裕税を取って市場から情報を回収するというようなアイディアが出されている。

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