洋服が売れないのは選択肢がたくさんありすぎるから

ということで、近所にあるアウトレットモールに行ってきた。そもそも太ってしまい洋服が似合わなくなったことから始まった「プロジェクト」も終わりである。今回の一応の結論は「豊富すぎるから買わなくなるんじゃないだろうか」というものなのだが、急がずにだらだらと行きたい。

もともと洋服が似合わなくなり古着屋で買った280円のパンツなどを使っていたのだが、さすがにそれはまずいだろうということになり、いろいろ洋服を探し始めた。ユニクロ、GU、古着屋、ヤフオクの四択だ。DIESELのストレートジーンズとGUの980円ジーンズを手に入れた。

それでもひどい感じだったのだが、どうやら体型が崩れているのが理由のようだった。腹筋運動をしたり、姿勢を改善したりしてこれを少しだけマシな状態に戻した。要するに再び鏡を見たわけだ。

さらにネットや雑誌で情報を仕入れて、中古屋でトップスを探した。テーマになったのはできるだけ「シンプルな格好」だ。ジーンズに手が加えてあるので、トップスはあまり凝ったものでないほうがよいと考えたわけだ。

最初はファストファッションのものばかり探していたのだが、途中からブランド物のコーナーも探すようになった。そこでArmani Exchangeの服を見つけて、やはりぜんぜん違うなあなどと思ったわけである。つまり、知らないうちにファストファッション慣れしている。

ファストファッション慣れが起こる原因にはべつのものもありそうだ。例えばPARCOに入っている店の品揃えはかなりひどいものだった。アクリルのセーターと古着しか置いていないようなWEGOに多くの若者が集まっている。これはつぶれるのも当然だと思った。

「アパレルって荒れているなあ」などと思ったわけだが、この印象は大きく崩れた。BEAMSにしろSHIPSにBanana Republicにしろ、良い素材で優れたデザインのものがいくらでも売られている。しかも価格は定価の30%(つまり7割引だ)だったりするのだ。大げさに言うと世界で作られた名品がお手ごろ価格で手に入ってしまうということになる。

しかし、あまりにも選択肢が多すぎる。古着屋さんが良かったのは価格が安いからではないことが分かる。定番商品があまり多くないので、限られた選択肢の中でどうにかして着こなしてやろうなどと考えるわけである。つまりセレクトショップのような存在になっているのだ。

考えてみると、「自分だけに似合う特別な一品」というものがあるわけではない。ジーンズの場合は自分で「育てる」し、いろいろと研究して征服してゆくのが当たり前だ。つまり、ある程度の品質さえ確保されていれば、キーになるアイテムについては福袋でもかまわないのである。

後は気合である。

だが、いろいろなものが置かれていると、そもそも何がキーになるのかが分からなくなる。もちろんこれは、受け手の問題なのだが、すべての商品が並列でおかれている(ようにみえる)ために起きる状況だ。

スーパーマーケットの場合は、入るとまず野菜売り場があり、魚から肉に進んでゆく。あるいは検索にたとえてみてもよいかもしれない。ある人は値引率で検索するだろうし、別の人はキーアイテムとの組み合わせで検索するかもしれない。

かつては雑誌が情報を限定する役割を果たしてくれていたのだろうが、今ではネットでコーディネートが次から次へと飛び込んでくる。すると「また今度でいいや」みたいなことになる。それに加えて毎日のようにメールによるお勧めが流れてくる。正直これを見ているだけで混乱する。いったい自分が何を探しているのかがわからなくなってしまうからだ。

入手可能な情報が多くなるに従って人々の情報検索範囲は狭まってゆく。多分、高級セレクトショップの価格が「投売り」状態になっていることに気が付かない若い消費者も多いのではないだろうか。質のいいものが世界中から送られてきて並べられているのだ。なんだかもったいない話だなあと思った。

アパレルについて観察しているとどんどん科学的な知見からはずれてくる。似合っているアイテムというものがあるわけではなく、与えられたものを「気合」で着こなすと思ったほうが良い結果を得られそうだ。もう一つ思ったのは洋服屋に出入りする人も働いている人もあまり楽しそうに見えなかったという点である。毎日働いているわけだから慣れているのは当たり前のような気もするが、たいていの店員さんたちは服を制服のように着ていた。これ、もうちょっとなんとかならないんだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です