欅坂46がオタクに謝罪すべきかもしれない理由

欅坂46というグループがハロウィーンのコスプレにナチス風の軍服を採用し、ユダヤ人団体から謝罪を要求されているそうだ。これがハフィントンポストに掲載され、逆に欅坂46を擁護する動きが広がった。だが、秋元康はまず日本のオタクに謝罪すべきかもしれない。

欅坂46がナチスの軍服だと気がつかずにあのコスチュームを着用した可能性はある。では、そもそもなぜ、ナチスの軍服=カッコいいと考えられるようになったかを考えてみたい。

ナチスの軍服はアニメの中で何度も登場している。有名なのは「宇宙戦艦ヤマト」と「機動戦士ガンダム」だ。どちらも悪役なのだが、日本人のクリエータはこれを絶対悪としては描かなかった。これは日本が第二次世界大戦で敗戦したというのと関係しているだろう。つまり「絶対悪」とされた側にもそれなりの事情があるということが理解されていたわけである。

ガミラスは惑星が荒廃してしまい生き残りのために地球型惑星を探していた。ジオンはもう少し複雑で被差別階層が選民思想に目覚めたということになっている。ただし、その中から旧人類を凌駕する人々が生まれたというモチーフがあり、実は敵味方ではないのではないかという可能性が提示されている。

そこでデスラー総統やシャー・アズナブルにはアンチヒーローという位置づけが生まれることになった。デスラーは帝国そのものを代表しているが、シャーの存在はもっと屈折している。いずれにせよかつてのオタクはこうした葛藤を理解していた。

ところが、こうした設定がオタク世界に正しく受け継がれなかった可能性がある。単にあのような軍服がなんとなくかっこいいという評価だけが残ったのかもしれない。つまり善悪が作り出す葛藤という側面が抜け落ちているのだ。

欅坂46のクリエーターが「オタクはこれくらいやっておけば受けるだろう」という安易な発想を持っていることが分かる。あくまでもオタクは彼らから見ると対象物であって、その背景にあるコンテクストはまったく理解されていない。かわいい女の子にかっこいい制服を着させれば彼らは喜ぶだろうという安直な姿勢が見える。つまりオタクの劣化を前提にしており、それゆえに稼げると考えているのだ。

この背景にあるのは「悪とされた人たち」の葛藤の物語である。ガミラスですら絶対悪のようには描かれず地球と人類が迎えるかもしれない未来が提示されている。ガミラスとイスカンダルは選択できる未来である。運命を受け入れて滅びるか、他者を犠牲にして生き残るかということである。

ここで、議論になっているのは「なぜナチの軍服だけが悪者扱いされるか」という点かもしれない。たとえばMA1やチノパンももともと米軍由来だが、圧制者のシンボルとしてタブー視することにはならなかった。最近では単にアーカイブ化され街着として流通している。そこには葛藤はないのでハローウィーンの衣装としては面白みに欠ける。

このことからやはり過去の物語性を消費していることは分かる。うっすらとした葛藤の記憶はあるのだが、それは風化しているのだ。

ユダヤ人団体が恐れるのはユダヤ人迫害の記憶の風化なので、彼らが抗議するのは当たり前のことである。クリエーターは彼らに対して「なぜ、こうした格好をさせたのか」ということを説明すべきなのだが、多分「日本のオタクにはこの程度の理解力しかないから」としか言えないのではないかと思う。もし、そうでないならクリエーターは堂々と説明すべきだろう。

また、クリエーターたちは「欅坂46というのはドメスティックでとてもヨーロッパなんかで展開なんかできるグループじゃないんですよ」といっていることになる。だからこそ、海外展開の際のコンプライアンスまでは意識しなかったのだろう。ここでも「日本のオタクはこの程度の似たような女の子ををあてがって置けば十分なんですよね」と言っているということになる。

つまり、演者に意図があったかが問題なのではなく、この程度で十分なんだと考えている点が問題だということになる。愚弄されているのは実はファンなのではないだろうか。

この件に関して一番気持ちが悪いのは当の本人たちがどう考えているかが伝わってこないところだ。アイドルは秋元先生が着ろといったものを着るというのが前提になっているからかもしれない。

意思のないアイドルというのは西洋世界では考えれられないが、日本人男性は意思を持たないお人形のような女性を好むということになり、それそのものが人権侵害だということになってしまう。

ただ、西洋ではスカーフで女性の顔を覆うのも人権侵害だと考えられているのだが、これについては民族的な伝統の問題があり、彼女たちに人権が侵害されているとは一概に言い切れないという微妙な問題がある。ゆえに西洋で人権侵害的だとされるからといって日本人を非難するのはやめたほうがよい。

「フレンズ」というアメリカドラマのエピソードに「スタバで何を頼むかという意見すらない人間は人扱いされない」というようなエピソードがある。一般的な知能を持っている人は意見を持っているはずだというプレッシャーを風刺したものだ。つまり、政治的な意見を持たない人間というのはお人形だと考えられてしまい、それを強要するのも人権侵害だという理屈になる。

ただ、欅坂46のメンバーの中に歴史やオタク文化に詳しい人などいるはずがないという前提を置くのはやめたほうがいいかもしれない。