保守という欺瞞

櫻井よしこという「有識者」がとんでもないことを言っている。訳すると次のようになる。

天皇は個人としていろいろやっているみたいだが、そんなのは趣味みたいなもんだ。ただ、黙って存在していればいいわけで、体が悪くなったからといって途中で逃げ出すことなどあってはならない。そういうこともあるから、明治政府は天皇が退位できないようにしたのだ。

櫻井さんは家族に対して倒錯した考えを持っているのだろうと思い調べてみた。お父さんが早く家を出て母親に育てられたそうだ。父権というものに過度な幻想を持っているか、敵意を反転させているのではないかと思う。

だが、この意見自体は、いわゆる「保守」といわれる人たちの総意のようなので櫻井さんを攻撃したいとは思わない。前回のエントリーで「人権派」と呼ばれる人たちが実は人権を信じていないということを考察したので、日本人は右派も左派もイデオロギーというものを信じないという特性があるのだなあという乾いた感想を持った。内的な怒りをぶつける先になっているのかもしれない。

右派の特徴は、個人の徹底的な排除である。天皇すらその例外ではなく、家のために殉じるべきだという考えなのだろう。面白いのはその中で「自分だけは例外である」と考えている点なのだが、もしかしたら自分に価値を見出せないからこそ他人の価値を剥奪したがるのかもしれない。

このように都合よく考えられなければ、自分も「殉じる」側に回る可能性を考えるはずである。逆に天皇のことをなんとも思わないからこそ「利用できる」と考えることになる。そう考えると右派というのはイデオロギーではなく病気あるいは認知のゆがみなのだということが分かる。

もし日本をひとつの家と考えるなら、その家長である天皇がいなくなったらどうしようということを「わがことのように考える」はずだ。しかし、いわゆる皇室擁護派の人たちにはその意識が希薄だ。実は天皇家は題目のようなものであって、なくなったら次の題目を持ってくればよいと考えているのかもしれない。日本は天皇を中心とした家であるなどといいながら、実際には心理的に乖離しているのである。

どうして右派保守はこういう人ばかりを吸い寄せるのだろうと考えたのだが、やはり天皇制に問題があるのではないかと思った。天皇は政治的権能を有しないことになっているので政治的発言を避けてきた。しかし、何も言わないからこそ「それなら代わりに何か言ってやろう」という人をひきつけることになる。なぜ、天皇の権威に行き着くかというと、それ以外では言うことを聞いてもらえなかったからなのだろう。別の成功体験(例えば経済的に成功した)などがあればそれが拠り所になっていたのではないだろうか。

これを防ぐためには次の天皇は積極的に情報発信すべきかもしれない。政治的な権能がないからといって何も発言をしてはいけないという決まりはない。まずはTwitterあたりからはじめてみるのがよいのではないだろうか。イギリスの女王も政治的には中立でなければならないので投票などはできないようだが、確かTwitterアカウントは持っていたはずだ。

櫻井さんを見ていると、保守というのは、成功体験がなく認知機能に問題がある人なのだということになってしまう。だからこそサイレントマジョリティが安倍政権を支持するのかもしれないのだが……