ASKA報道は単なるいじめです

先日来ASKA容疑者が再び覚せい剤を使ったということで大騒ぎになっている。とても不思議な気持ちで見ていた。

全体の論調としては「再び使うのはバカだ」ということになっているようである。

しかし、覚せい剤をめぐる制度には問題がありそうだ。初犯は執行猶予がつくらしいのだが、実質的にはそのまま野放しになってしまう。そして覚せい剤を使うと自力で止めることはおろか、自分が中毒になっていることを認めらることすらできないらしい報道されているブログなどを読むと、そもそも現状認識ができなくなっているらしく「自分で正しい判断ができなかった」可能性が高い。

だから問題を解決するためには、法的に拘束した上で収容施設を作って治療するしかない。そのためには刑務所ではない施設が必要になる。

それではなぜASKA容疑者はそのまま実質的に放免されてしまったのか。それは国が対策費用を削減したいからだろう。刑務所に送り込めば、刑務所を新たに建設する必要がある。社会で監視する人も足りないようだ。ASKA容疑者には家族がいたので「家族に面倒を押し付けた」のだ。つまり、これは認知症の家族介護と同じ状態なのである。

これを「極論だ」という人はいるだろう。だが、認知症と言っても本人に意識が全くなくなるわけではない。中には車の運転ができる人(ただし家には帰れない)もいるし、PCデポに出かけて行って契約を結ぶことができる人もいる。この対処を専門性のない家族に丸投げしているのが現在の制度である。

となるとこの問題には「国と家族の関係」という根本問題がある。自民党の憲法草案にある「家族の相互扶助義務」の憲法条文化だ。だから「安倍がなんかやると(どうでもよい)芸能人の覚せい剤報道が増える」などと被害妄想丸出しのツイートをしている場合ではないのだ。

もちろん認知症の介護と覚せい剤患者は異なる。だから認知症の人を刑務所のような施設に入れろと言っているわけではない。認知症の場合は環境を変えてしまうと症状が悪化する場合があるはずなので、家で見守りが必要になるだろう。つまり、集中的に「管理可能」な覚せい剤使用者以上に高額の費用がかかることになる。

確かに「覚せい剤使用者の面倒は社会でしっかりみるべきだ」などというと、自分の責任で薬に手を出したのに、なぜ俺の税金が使われなければならないのかなどという人がいるかもしれない。確かに論としてはあり得る。で、あれば「他人の問題」なのだから、ほっておけばいい。あなたには関係のないことだ。

確かに覚せい剤患者は事故責任かもしれないのだが、家族はどうなのだろうか。彼らは専門知識も法的拘束力もなく、専門家に相談すれば家族を刑務所に追いやることになる状態で一体何ができたのか。

にもかかわらず、社会的な問題を絡めてこの問題が語られるのだろうか。そもそも他人の転落を見るのは楽しいが、それではあけすけすぎるので、ニュースのような体裁をとっているのだろう。

遠巻きに誰かが苦しんでいるのを冷ややかにみて何もしないのはいじめにすぎない。つまり、あの一連の報道はニュースのような体裁の、家族に対するいじめなのだ。

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