Twitter バカの向こう側

NHKの「週刊ニュース深読み」を途中から見てちょっと暗い気持ちになった。東日本大震災の原発避難者がいじめられているというニュースに「いじめる側も放射能について漠然とした不安を持っている」という背景があるというのだ。知らないことが漠然とした不安を呼び、結果的に一番弱い子供に向かっていることになる。

嘘が飛び交っている

曖昧な情報が漠然とした不安を生んでいる。原子力発電所は国策で推進された歴史があり、自己保身のために様々な情報が錯綜することになった。さらにこれに是が非でも対抗したい人たちがいて不安を煽っている。

だが私たちは東日本大震災からなにも学ばなかった。豊洲の問題でも様々な思惑から様々な言説が飛び交った。中には豊洲移転を正当化するために築地の安全性を毀損する人たちが現れた。結果的に東京の魚そのものの信頼が揺らぐことに気がつかないのだろう。自分が正しいことさえ証明できれば、東京の魚なんてどうなってもいいという人ばかりなのかもしれない。

こうした状況で「正しい情報」を選択するのは難しい。さらに第一次情報がそもそも汚染されているということもわかってきた。「フェイクニュース」とか「オルトファクト」とか「ポストトゥルース」などという言葉が流行している。トランプ大統領が偽情報の発信源になり、日経新聞は政府関係者の「観測」を事実として流す。安倍首相は現実を捻じ曲げて建前を言い張っている。これらは「引用」が間違っているわけではない。「真実を隠蔽している」という見方はできるが、彼らが真実が何かをわかっているという保証もない。

私たちがやらなければならないこと

こんな中で私たちができることは何なのだろうか。最近の事例で考えてみたい。最近ネットではGPIFがトランプ大統領への貢物になるかもしれないというような言説が飛び交っている。このニュースを知るためにはかなり複雑な知識が必要になる。

建前上は独立しているので安倍首相が年金機構に指示をすることはない。かといって年金機構が忖度しないとは限らない。もともとは援助だったのだが、最近では国内外で「投資と援助」を使い分けている。援助の枠組みが使われるのは、多分国会の監視が必要ないからだろう。これを糊塗するのに安倍首相がよく使うのがwin  winだ。さらにアメリカが「投資」を受け入れてくれるかもポイントだ。基軸通貨国なのでファイナンスしなくてもいいのである。プライベートセクターの投資が歓迎されるのは政府の債務にならないからなのだろう。

結局この複雑な体系のバランスを見て、野党をうまく使いながら主権者として判断することが求められているのだ。

だが、そもそ何が不安なのかすらよくわかっていない

問題を解析するのは一大事だが、そもそも何が心配なのかということを言葉にすることすらできていないのではないかと思う。事実とされていることを習う訓練はしたが、自分が考えていることを表現する手段は学んでこなかった。

ブログを始めた頃には「意見があるならコメントに書いてくれればいいのに……」と思っていたのだが、最近それは日本人にとってとてつもなく難しいことなんだなあということを実感している。

最近、Twitterでメンション付きの引用RTをもらった。何か言いたいことがあるのかもしれないが、なにが言いたいのかわからない。「豊洲問題で合理的に事実が扱えない」という記事についてのコメントらしい。

最近は「そもそも計測するからイケナイ」という人もいるから驚き。安全に気を使うのは当たり前で、そもそも論なんてアリエナイ

そもそも計測するからだめとは言っていないのだが「そんなこと言っていない。よく読め」というコメントもだせない。ケンカになってしまうだろう。安全に気を使うのは当たり前というのは同意するが「そもそも論なんてありえない」というのは意味がわからない。意味がわかれば対処の仕方もあるのかもしれないが、意味がわからないとどうすることもできない。

考えてみると、感情を言葉にすることも難しい。「なにかを呟かざるをえなかった」ということは心理的な不調和を抱えていたということなのだと思うのだが、言語化しない限りそれは単なる怒りとしてしか知覚されないのではないか。それを140文字にまるめて「それが批判なのか賛同なのか」を示しつつ「批判の場合はなぜ批判しているのか」を書くことはとてつもなくハードルが高い。

どうして豊洲や安保法制の問題が議論(例え単なる罵倒合戦だったとしても)として成り立つのは、ある程度利害関係が明確で文脈が存在するからなのだろう。文脈がないとそもそも言語化すら成り立たないほど、知的な砂漠化が進んでいいるのかもしれない。

Twitterはバカ発見器という言葉の裏にあるもの

批判は特に「相手にわからせる技術」が必要になる。そもそも自分の感情を言語化する技術もない状態で異なる意見がぶつかるとしたら、これはもう「相手をバカ」と思わないとやってゆけないということになる。この状態で情報に被爆しても、情報は毒にしかならない。

意思決定できないのは情報が足りないからだと思われていた。しかし情報が増えてもそれに対処しない限り意思決定をする必要があり、そのためにはまず自分の中にある感情を言語化する必要がある。相手にそれを話すかどうかはそれ以降の問題だ。だが、これがとてつもなく大変なのである。