フリーランスが協力するということ

不思議な文章を読んだ。ブログで食べている人がいたが、Googleでの検索順位が下がってしまって食べられなくなったという話だ。ブログはGoogleがつくったエコシステムにあるので、収益がGoogleに依存してしまうのだ。つまりブログで食べて行くのはリスクが高い生き方でありお勧めできないという結論になっていた。

確かにブログで文章を書いても大した収入が得られるわけではないし、Googleが作ったプラットフォームに依存していただけでは不安定だ。だから活動を何らかの形でリアルに結びつけることが必要だという結論は容易に得られる。だが、どうもそうはならずに「やっぱりやめておこう」というのは、やめる理由を探すのが得意な日本人らしいなと思った。

リアルに拡張する方法はいくつもある。例えば、ブログ発信のスキルがあれば、オンラインコミュニケーションのプラットフォームが作れるようになる。Wordpressを使う技術やサーバーの管理方法の基礎などが学べるからだ。

また別の何かを紹介するブログも作れる。例えばおもちゃのコレクションが好きな人はそれを成果物にしても良いのではないだろうか。収入が得られたら個人的な趣味の分野の資金に使える。サーバー費用+趣味の費用くらいだったらそれほど無理なハードルにはならないだろう。いきなり「生計を立てよう」とするととてつもなく高いハードルになるが、月にワンコインくらい稼ぐのは「なんとか頑張ればできる」範囲だろう。

た海外の人たちは自分の知識をためておいてレジュメ(職務経歴書)のようにして使っているようだ。日本では弁護士などが専門知識の解説をやっていることがあり、IT技術者が技術文書をまとめておくポータルサイトもある。ただ、日本の会社はジョブディスクリプションがはっきりしないことが多く、専門分野を持っていることが疎んじられたりすることはある。なおかつ会社が知識を持っているという意識が強いので会社が専門的な情報発信を嫌うのかもしれない。これは社員のネットワーキングを阻害し、知識の陳腐化を招く大変危険な行為だがなかなか気がつけないのだろう。

また、アメリカではフリーランスの労働人口が1/2に達するという統計もあり、専門知識を開示するニーズが高いのかもしれない。

ブログを書いている人とプラットフォームを提供しているGoogleやYouTubeはサプライヤーとバイヤーの関係にあるのだから、同じ分野の人たちと協力してより良いニッチを作ることも可能だ。お互いの文章を紹介しあったりするだけでもよいはずである。特に政治的なブログを書いている人たちは専門家を集めてネットワークを作り、お金を出し合ってディレクトリサービスを立ち上げたり、腐敗した政治家の調査を分担してまとまったレポートを書いたりできるはずである。

ところがいくつかの理由でこれは難しい。日本人のフリーランスはコンサルタント商売が多い。企業の下請けとして何でもやるが、自分では何も作れないという人たちだ。おのずからフリーライダー志向が強くなりボランタリーなネットワーキングを私物化したり、客を奪おうと考える人が増える。そこまでの悪意がなくても専門知識(デザインやプログラミングなどが多い)を無料でもらおうとする人も多く見かける。これは自分たちがそのような使われ方をしているからだろう。形にならないものはタダというもっとも悪い文化を継承しているのだ。

次に社会人的スキルがないことがある。いったんフリーとして成功してしまうと「俺は周りに気を使わなくても生きていけるのだ」というような気分になってしまうようだ。さらに成果主義にたいする間違った考え方があるので、アフィリエイト収入を自慢してみたり、企業で真面目に働いている人をバカにするような発言を目にすることも多い。フリーランスの専門職が当たり前のアメリカと違って、やはりフリーでも生きて行けるのは特別すごい人に違いないという思い込みがあるのかもしれない。個人の能力に対する過度な自信があると、確かに協力してニッチを作ろうという気持ちにはなれないかもしれない。

さらにパイが限られているという幻想もある。例えば総放送時間が限られているテレビで俳優がやてゆくためにはテレビ局に気に入られる必要があり、結果的に労働環境が悪化する。そこで組合を作ればよいのだが「非組合員が優先して使われるのではないか」という恐怖心からなかなか協力関係に踏み出せない。ネットには総放送時間の縛りはないはずなのだが、どうしても同じような発想から抜け出せないのかもしれない。

バブル崩壊の過程でITバブルが起きた時、パートナー企業やフリーランスが台頭するのではないかという期待があったが、それはうまく行かなかった。結果的に非正規雇用が発展し、企業は労働者を囲い込みつつ、必要がなくなったら切るというような雇用慣行が横行することになった。結果的には知識が停滞するという現象が起きており、経済自体が縮小を始めた。本来なら普通にやっていても少しづつは成長するはずなのだが(日本人は優秀なので先進国と同じレベルで成長しないはずはない)それが起こらない。そこで現実を見渡すと「疲れているからもうどうでもいいよ」という人たちを多く見かける。

つまり、組織に属さない人たちがどのように協力してゆくかというのは個人の問題だけではなく社会にとても大切なテーマなのだが、意外と見過ごされているのではないだろうか。

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