IT系の営業がダークサイドに堕ちる時

日本のIT産業は「IT土方」と呼ばれる身分制なので、顧客と会社の接点である営業が、自分は顧客側の人間だと錯誤してしまうことがある。特に都心にかっこいいオフィスを構える広告代理店が相手だとそういう気分に陥るようである。

「がっつりプログラミング系」の会社だと、仕様書がきちんとあり、機能を定義したりして歯止めがきいたりするのかもしれないが、デザインという厄介な要素が加わるとわけのわからないことが起こることがある。これに広告代理店が加わるとさらにわからなくなる。

第一の要因は、デザインには必ずしも正解がないにもかかわらず、クライアントによってはいろいろと口をはさみたがるという点にある。

オーストラリア、カナダ、スウェーデンのデザイナーと仕事をしたことがあるが、彼らはデザインにメソッドがあり、最終的には「クリエイティブブリーフ」と呼ばれるサマリーを出して顧客に確認をする。海外では割と当たり前の手法なのだと思うし、日本人は白人系の外人の話はありがたがって聞いてくれるのでこの手法は日本でも成立する。しかし、日本人のデザイナーだとだめだ。日本人が唯一話を聞いてもらえるのは外人と英語で話をしている時である。ということで意味もないのに日本人しかいないミーティングに見た目の良い外人(つまり太っていない人)を連れ出したりするのも割と有効である。アジア系でも英語で話をしている人(つまりニューヨークに留学経験のあるタイ人とか)だと話を聞いてくれるが、下手な日本語を話す台湾人とかだと逆にナメられる。

だが、広告代理店はそもそもブリーフが成立しない。オブジェクティブがないからだ。日本人がオブジェクティブと呼んでいるのはクライアントに夢を見せるための曼荼羅のようなパワーポイントだが、のちにビジネス界でも「ポンチ絵」という名前がついていることを知った。これはマンガの昔風の表現だ。

彼らは必ずも数字によって成果物を判断しない。どれくらい商品の売り上げアップに貢献したということはあまり重要視されず、流行しているものを「あのライバル社がやっているあれ、うちでもできないかなあ」くらいのことになりがちだ。数字は成果を確認し反省点を洗い出すところに意味があると思うのだが、日本人は数字が出るとそれがコミットした最終ラインということになり責任問題に発展する。

この辺りから、正解がないのに理想があるということになるので修正に歯止めが効かなくなってしまう。理想はあるのだがそれがわからないという人が多く、会議体で決めたりすると誰も正解がわからないのに「なんか違う」ということになりがちである。

これだけでもややこしいのだが、さらに「広告黎明期から仕事してます」みたいなおじさんが入るとわけがわからなくなる。大抵アートディレクターなどと呼ばれている、海外からのかっこいい成果物に参ってしまって見よう見まねで覚えたような「職人」タイプだ。一度、神宮前の古いアパートを改装したコンクリート打ちっ放しのオフィスで(そういうところで働くのがかっこいいとされているらしい)「グリッドデザインの基礎」みたいなことをこんこんと説教され「いやウェブって幅が変わるから」と心の中でつぶやきつつ、表面上は目を輝かせながら「へえーすごいっすねえ」と言い続けたことがあった。レスポンシブデザインなどが出る前の話だ。

ITデザイン系の営業が難しいのは、こうした文化の間にある「バイリンガル状態」にある人が「自分がどっちにいるのか」わからなくなってしまうという点だろう。「ドキュメントドリブン」の世界と「センスドリブン」の世界の間でダークサイドに墜ちてしまうのだ。

広告代理店のオフィスに出入りしているうちに、MBAマーケティングなんかを読むようになり、いっぱしのマーケティング用語(なぜか全部カタカナ)を使うようになったら「ダークサイド」に堕ちてしまった証拠だ。本来ならデザイナーなりプログラマーのエージェントとして働かなければならないのだが、要件は聞いてこないで、代理店の会議で聞きかじったマーケティング用語でわけのわからないことを言い始める。が、こういう人は根が真面目なので、まだチームをぐちゃぐちゃにすることはない。「お付き合い」していればやがてプロジェクトはなんとなく終了して嵐は収まる。

厄介なのは「ITに憧れて入ってきた」というようなタイプだ。広告代理店には締め切りまで一生懸命何回でも修正して「頑張った感」を出すという奇習があるのだが、アートディレクターさんが乗り込んできて「メールで修正のやり取りをするのは面倒だ」と言い始めたことがある。その時にはプログラマーやデザイナーを犠牲にするわけにはいかないので(パソコンの前で色が変えられるということは絶対に教えてはいけない)キラキラ系の営業を人身御供に出した。会議室に缶詰になり、時々差し入れなどを渡してやり「広告って大変な仕事なんだねえ」などと感心してみせる。たいてい忙しくなってくると、なんだかわからない一体感みたいなものが醸成されて、幸せな気分になるようである。徹夜などすると何か脳内麻薬が分泌されるのだろう。

重要なのは、こうした「作品」は誰にも正解がわからず、そのまま消えていってしまうということだ。効果測定していないから当然なのだが、効果測定してしまうと価格なりの成果が出せていないということがバレてしまう。だからそれができないのだ。「管理料」という消費税みたいな費目もよくないと思う。お金をとった以上働かなければならないし、働いたら一生懸命感を出さなければならないので、最終的には過労労働につながるのかもしれない。とはいえ、営業は伝書鳩のようなもので技術にもデザインにも興味がないので、何もできない。となると、曼荼羅の精緻化が一大プロジェクトに発展したり、会議が演説になったりするわけだ。

つい最近、広告代理店で新入社員が過労死したという事件があった。まあ、ああいう働き方してたら過労死する人も出てくるだろうなあなどと思うのだが、そもそも「正解」が何なのか追求してこなかったドメスティックの代理店がいきなり海外系のエージェンシーと競合しようとするとそういう悲惨なことが起きてしまうのではないかと思う。

逆にいうと、それなりの広告測定をしているエージェンシーが出てきているということなのではないかと思うのだが、現在の状況はよくわからない。