豊洲の設計の問題は実は他人事じゃないかもしれないなあと思った件

豊洲の件はまだもめているようだ。「東京のお魚の問題だし関係ないや」と思っているのだが、最近ちょっと考えが変わった。

近所に大手レストランの工場がある。最近のレストランは価格を抑えるために工場で調理してから出荷するらしい。レストランでは「レンジでチン」なのだろう。近くのホームセンターに行く道すがらなのだが、油の匂いがしてちょっと気持ちが悪くなる。この工場ではトラックは横付けではなく後ろから荷物を積載するようになっている。その方がたくさんのトラックが収容できて「効率的」なのだろう。

最近、隣の敷地で冷凍ブロッコリをさばいているのを見た。排水設備のない露天で氷漬けのブロッコリをさばいていたのだ。もしかしたら工場の敷地なのかもしれないし、関連業者が周囲に集まっているのかもしれない。排水がないので氷をフェンス越しに捨てていた。

ここからわかることは幾つかあると思う。まず、工場で食品は「できるだけ汚れない」状態で扱われているのだなと思う。冷凍したら美味しくなくなるんじゃないかと思うのだが、スーパーで買う野菜も流通過程で冷凍されていることが多いのかもしれない。

が、設計通りには物事は進まず、例外的な処理を「現場でなんとかしている」状態なのだと思う。土ボコリが立っているところで冷凍ブロッコリを扱うのはあまり衛生的に見えない。もともとは土に生えていたものなわけだから、まあ別に洗えばいいやと思うのだが、冷凍ブロッコリというのはもう洗っているものなのではないかとも思う。後工程でちゃんと洗っていますようにと願うばかりだが、ブラックボックスなのでよくわからない。

あの後ろからトラックを入れる工場を見てから、豊洲関連のツイートを見ると別の感情が湧く。例えば、トラックが横付けできないと雑梱ができないというようなつぶやきを見つけた。小規模の業者の場合、一つのトラックで様々な種類の魚を扱う必要があるのではないかと思った。つまり大量に同じ食品を扱っている業者は後ろ着けでもそれほど困らないのではないだろうか。

そこから考えられる可能性は、小規模の業者と大規模業者では「求めるスペックが違っている」という可能性だ。つまり、都には最初から小規模事業者のことなど眼中にないという可能性がある。

もちろんそれも問題なわけだが別の可能性も排除できない。それは、設計する人がそもそも現場を見ていないのではないかという疑念だ。つまり、設計通りにことが運べば「発砲スチロールの箱から魚がこぼれ落ちることなどない」わけで、エラー処理を考えていないということだ。エラー処理を考えられないのは、現場で誰かがミスをするということを想像できないからなのだが、現場を知らない人が設計したらそうなるに決まっている。設計者が考えるのは発注主のタイトな予算に合わせてできるだけ「効率的な」設計をすることだろう。いちいち「たら・れば」を考えていたら予算に合わせられない。

ブロッコリがどうして露天で捌かれていたのかはわからないのだが「早く処理しなければならないが場所がない」という状態にあって、仕方なく現場の判断で行ったのかもしれないなあと想像してしまう。多分、現場の人たちはマネージメントに苦情を言ったりはしないだろう。文句をいうとクビが飛ぶ(あるいは契約を着られる)可能性があり、それは危険だ。早いところこのブロッコリを片付けてしまおうと思うに違いない。後のことは工場の中の人たちが適当にやるだろうというわけだ。

築地の人たちは「伝統文化を支えている」などと思って仕事するかもしれない。が、現代の食品流通に携わる人たちってどうなんだろうかとも思う。パートや出入り業者の人たちが日本の食の安全を支えているなんていう気概ややりがいを感じているだろうか。でも、それを責めるわけにはゆかない。なぜならば「同じ食べるなら安い方がいいや」と思ってしまうからだ。

素人が何も知らないで、現場の工場に取材することもなく長々と書いてきたのだが、つまり僕の疑問というのは次のような点だ。豊洲の設計がなんとなくまずいということはよくわかったのだが、これは日本の食品流通では割とよく起こっていることなのかもしれないなあと思うのだ。

工場は多分難しいISOなんとかみたいな規格が遵守されているんだろうが、その前工程で何が起きているのかはわからない。「国産は安心」などと思ってしまうわけだが、実はどうなんだろう。

多分、個人的にはあのレストランには行かないと思う。食品が衛生的に扱われているのかよくわからない。だから今回は工場の名前は書かなかった。が、多分加工食品を全く食べないで生活するというのは極めて難しいのではないか。

豊洲の問題を他人事のように眺めて「みんなバカだなあ」などとのんきに構えているわけだが、実はあの暴対なつぶやきの中にかなり危険で私たちに身近な問題が隠れているのかもしれないなあと思った。が、知識がないので「できるだけ関わらないようにする」くらいのことしか言えない。知らないというのはつくづく悲しいことである。どのように扱われているかわからない食べ物を単に「安いから」という理由で食べている僕がバカなのかもしれない。