忖度という言葉は何をごまかしているのか

忖度という言葉が乱用されている。もともとは2017年3月に籠池理事長が会見で使ったのが流行の発端になっているようだが、2017年3月の初めに福山哲郎議員が安倍首相に「忖度があったのではないか」と聞いたのが一人歩きのきっかけのようだ。

が、この乱用はあまり好ましくないのではないかと思う。「勝手に意思を読み取った方が悪い」という含みがあるからだ。忖度せざるをえないのは「指示が曖昧」だからである。この責任を読み手にだけ負わせるのはあまりにも無責任だ。

安倍首相は様々な忖度を部下にさせていたことがわかっている。例えば加計学園の問題では自分と加計学園の関係をほのめかし「部下になんとかしろ」と言ったようだ。首相が直接的に指示すれば問題になることはわかっていたことをうかがわせる。山口敬之氏の問題では警察に「なんとか助けてやれ」というサインを出していたのだろう。これも首相が直接警察に介入したとなれば大騒ぎになる。

忖度を生む背景には曖昧な指示があり、曖昧な指示の背景には非合法な(あるいは不適切な)意図があることがわかる。忖度は指示の不全なので、指示について分析すれば、どんな場合に忖度が生じる得るかがわかる。指示には意図・方法・リソースが含まれる。

第一は冒頭で見たようにトップが責任を逃れて部下に「泥をかぶらせる」ための忖度である。部下も最後は上司がなんとか責任逃れをしてくれると思うので、結果的に集団思考の状態に陥るだろう。

次に上司が何をしていいかわからず、解決策を部下に求めることもある。どうにかして売り上げを伸ばすべきなのだがどうしていいかわからないので「とにかく頑張れ」と言ってしまうような場合が考えられる。とにかく頑張れと言われた人は、何か不正な手段に訴えたり、とにかく長時間働いてなんとかしようとするかもしれない。

最後に、指示は与えたがリソースが明らかに足りないことがある。例えば、人手が足りないのに「なんとかしろ」というと、部下は仕事を省いたり、他人に押し付けたりするかもしれない。必要なリソースがないのに成果を要求するとどこかで無理が生じる。

指示そのものを分析すると「どんなやり取りがあったのか」という後追い出来ない問題を棚上げにすることができる。どんなリソースが足りなかったのか、結果的に市場の効率がどう歪められたのかということは外から精査できるからだ。つまり、情報が隠蔽されている安倍政権を追及する手順は、例えば下記のようになるはずなのだ。

  1. そもそもあるべき姿とはどのようなものだったのか。
  2. そのあるべき姿が曖昧な指示によってどう歪められたのか。
  3. 歪められた原因は何にあるのか
    1. 目標達成までの道筋は明確に指示されていたか。あるいは途中で検証可能だったか。
    2. 目標を達成するためのリソースは十分に与えられていたのか。
    3. 法的な責任逃れなど、そもそもの指示の意図に問題はなかったか。あったとしたら、それは何が問題だったのか。
  4. 原因が特定できたらどうやってそれを改善するのか。

森友学園の問題が一番簡単に分析できる。森友学園は学校を作るのに必要な資金がなく、結果的にゴミをでっち上げて土地を格安に譲るという方法で利益供与が行われた。実はリソースが足りなかったのだ。

加計学園の場合は少し複雑だ。銚子市の学校の場合需要がなく資金もなかったので、結果的に銚子市の財政が破綻しかけている。が、今治市の獣医学部の場合には需給予測が曖昧らしく、需要と供給を満たすのかということがよくわからない。が、作ってから「実は需要がありませんでした」となると、被害を被るのは今治市ということになるだろう。

学校の問題は実はかつての公共事業のやり方に似ているのではないだろうか。公共事業は利権の温床になっていて需給シミュレーションを歪めて利権誘導していた。しかし民主党政権が「コンクリートから人へ」というスローガンで教育へシフトしたので、教育を新しい公共事業にしようという意識が生まれたのだろう。この延長が「教育の無償化」を言い訳にした改憲議論だ。高等教育も国の予算でやるとなれば巨大な利権が転がり込むことになる。実はつながっているのである。

いずれにせよ特区を作って学校を誘致するというには考えてみれば変な話だ。需要がないから獣医学部の空白地帯ができている可能性があるわけで、そこに学校を作ったからといって需要が生まれるわけではないからだ。獣医学部ができたら、そこに養鶏場が作られ、牧畜が盛んになるだろうか。忖度があったかなかったかという不毛な議論をしていると、こういう単純なことがわからなくなる。

山口氏の問題は別で、公平さが歪められたのが問題になっている。もし首相に伝がなければ逮捕状は執行されていただろう。法律がある人には適用されある人には適用されないということになると社会秩序はめちゃくちゃになり、結果的に人は法律そのものを信頼しなくなるに違いない。少なくとも「女性の意識を奪った上で欲望を満たす」のが「運が悪くて政権に伝がなければ捕まる」程度の犯罪になってしまえば、日本はもはや法治国家とは呼べない。

そう考えると、民進党の攻め方のまずさが浮かび上がってくる。間接的に曖昧な意思疎通があったということだけを問題にして大騒ぎしているのだが、これは照明が非常に難しい。政策立案能力がないので、そもそもあるべき姿を構築することができないのだろう。本来なら、曖昧な指示が行われた過程を検証し、どのようなルール設定をすればこうした問題がなくなるのかを国民に直接提示すべきだった。安倍政権に反省を求めても無駄だということはこの数年で痛いほど理解しているのではないだろうか。

野党4党はマスコミ受けを求めて攻め手を変えているので、マスコミは忖度という言葉を使うのをやめて「曖昧な指示が意思決定を歪めた」などという言い方をすべきだろう。まずはそこから始めてみてはいかがだろうか。