金子恵美議員は謝罪すべきだったのか

金子恵美議員が子供を公用車に乗せて保育園に送っていたとして批判を受けた。現在総務大臣政務官だそうだが、総務省によると運用上問題はないということだ。他のお母さんが送り迎えに苦労しているのにずるいのではないかという指摘が多く、多分今後は自主規制するようになるのではないかと思われる。本人は一度釈明して「違法性はなかった」といった上で、今後はタクシーなどを利用するといっている。

金子議員本人はブログで問題はなかったがいろいろ考えるところはあったというような説明をしている。

個人的には1kmくらいしか離れていないので、一緒に歩けばいいのになどと思ってしまう。朝の良い散歩コースになるだろうし、子供もお母さんと一緒に歩ければいろいろな発見があって楽しいのではないだろうか。

が、ここでは、フォーマットに則って、金子恵美議員は何か悪いことをしたのかを考えてみたい。説明責任はエージェントである政治家が税金を適切に支出しているかを説明すればいいのだった。

例えば、私用で別の場所にある保育所に寄っていたとすれば、ガソリン代が無駄になることが考えられる。これは税金であり、厳密に言えば無駄遣いをしたと考えられても仕方はない。しかし、同一ルートにあるとすればこうした無駄は起こらないので、税金の無駄遣いという指摘は当たらないだろう。ここが舛添前都知事と違っているところだ。湯河原は東京から遠く、自宅と都庁との経路には含まれていないので「無駄遣い」ということはできる。

ところが、考えるべきなのは、それだけではなさそうだ。つまり、働くお母さんに保育所を提供するのはいいことなのかという問題が残る。国会議員や霞ヶ関の役人たちにだけ優遇された保育園を作るのはずるいのではないかという視点である。

一般に、働くお母さんでも仕事に集中できるように職場に保育園を作るというのは、企業利益にかなっていると言える。より多くの優秀なお母さんを雇用できるからである。これを国会議員や霞ヶ関に当てはめることは可能で、通勤時に子供を預けるということには、優秀な働き手が仕事をしながら子育てができるという意味では便益があると言える。

政治家の場合には、お母さん世代が政治に参加することでより現場の視点がわかるようになるというメリットもある。子育てを終わったおばあさん世代やそもそも子育てをしたことがない男性議員が作る政策はどこかちぐはぐなものになるだろう。

例えば。ヤクルトは職場に保育施設を作っていると宣伝しているが、ここに自動車通勤してくるお母さんが子供を同乗させたとしても社会的な問題にはならない。同じように、国会議員の場合には自分で運転をして事故を起こしてしまうと大きな問題になりかねないので、運転手付きの車を使うということは考えられる。

つまり、職場環境を整えるという意味で仕事の一環であるか、それとも福利厚生事業としてプライベートに留め置くかという議論はできる。例えば、東国原英夫氏は「子育ては私的領域であり」と一刀両断している。

少子化が進み、労働人口が減ってゆく中においてはこれまでの常識を乗り越えてでも働くお母さんに便益を図るべきだという考え方はなりたつだろうし、これによる経済効果も推計できるはずであり。つまり、視点を転換する必要があるように思えるので、これは十分に議論になり得ることなのである。

ここに出てくる問題は「バランス」と「信頼性」である。ベビーカーが電車に乗せにくいお母さんのために駅前に保育園を作ることも、同様に特別扱いではあるが十分に経済合理性がある。だが、一般の人たちが自民党は十分にやってくれていると思えれば、そもそもこれが問題視されることはないわけだ。

つまり、金子議員が考えるべきだったのは「個人の遠慮」によって丸く収めるということではなく、自民党が子育て世代からあまり支援されていないという可能性だったのではないだろうか。世論調査などから多くの有権者は、安倍政権の政策は特に支持していないが、他に変わる政党はないので黙認しているという状態になっている。このため、議員が特別扱いされているという負の感情が生まれるのだろう。

これを払拭するために金子さんがやるべきだったのは、働いているお母さんと一緒に現状を考えたり、どのような進捗があるかを説明することだった。ここまでやってくれれば、政治屋さんから政治家さんに昇格できるかもしれない。つまり、問題があるから説明責任を果たすということではなく、積極的に自身の説明責任を果たすために情報発信するということである。自民党には障害を持った子供を抱えている野田聖子議員のような専門家もいるのだし、民進党と協力しても(少なくとも有権者は)誰も文句は言わないだろう。

東国原さんの議論の浅はかなところは、政治コメンテーターの職業的な常識に溺れて、本来政治家が果たすべき役割について少しわからなくなってしまったことからきているのだろう。優秀な宮崎県のPRマンであり、発信力に定評があっただけに、そこが少し残念ではある。

この問題をややこしくしているのは、他者との比較なのだが、なんとなく「国会議員だけ優遇されていいのか」という嫉妬心を持った人が多かったのではないだろうか。だが、議論を見ていると、お母さんたちが「私が苦しんでいるのに、国会議員だけずるい」と言っているわけではない。あくまでも外野の人たちが騒いでいる。実は、自分たちの満たされていない気持ちを、配慮が必要な人にぶつけて楽しんでいる可能性が高い。説明責任と騒ぎながら、実は説明責任に関する議論が行われないのは、このような理由によるものなのだろう。

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