他国の事例からなぜ安倍首相が憲法改正を急ぐのかを類推する

今回は、なぜ安倍首相の先導する憲法改正がダメなのかということを考える。我々は党派性の中にあり、これを冷静に分析することはできない。個人的には嘘つきの安倍首相が大嫌いなので、どうしても「安倍さんが嫌いだから憲法を改正すべきではない」という結論にしたくなってしまう。そこで、日本とは関係のない二つの国の事例を通じて、なぜ権力者が憲法を改正したがるのかについて考えてみたい。

社会主義が失敗したベネズエラの事例

今、ベネズエラで反政府デモが起きている。朝日新聞の記事によると死者は1100人にのぼるそうである。今回のデモはマドゥロ大統領の憲法改正提案について反対している。マドゥロ大統領は憲法を改正して選挙で勝てなくても政権が維持できるようにしようとしているのだ。すでに、議会は機能不全に陥っており、大統領に権限が集中している。大統領はこれをより確実なものにしようとしているのである。

マドゥロ大統領はもともとバスの運転手を経て労働運動に参加し、チャベス政権の副大統領になった左派政治家で、前任のチャベス大統領の反米左派政権を継承した。チャベス大統領はカリスマ性があり、農地を解放し石油の儲けを国民に還元するなどとの政策を実現し、国民に人気があった。

チャベス大統領は何回か憲法を改正し、最終的には自分が生涯大統領になれるようにした。チャベスの社会主義的な政策は富裕者の反発を招いたが、貧困層のほうが数が多かったために民主的に支持されていた。

チャベス大統領の人気はバラマキによって支えられていた。豊富な石油資源を掌握していたのでそれを国民にばらまくことができたのだ。だが、マドゥロ政権の失敗も原油によるものだ。いわゆるバラマキにより人心を掌握しようとしたのだが、原油安により原資が不足した。そこで、物価を統制しつつ紙幣の増刷を行った。この結果、当然ヤミ市場ができてインフレが起こった。今では食料を調達するのに長い列ができるようになり、薬も不足している。このため政情が不安定化しているのだ。

ベネズエラの民主主義はすでに破綻している。ニューズウィークのこの記事によると、外国から資金調達をするために「炭化水素法」という法律が邪魔になったのだが、何をまちがったのか国会そのものを停止してしまったということである。複雑な意見統合ができなくなってしまっており、政策すらまともに立案できなくなっている。外からみると全く意味不明だが本当にこういうことが起きているらしい。

ハフィントンポストの別の記事によると、もともとベネズエラは石油に依存しすぎていたために他の産業が発展しなかった。なんでも外国から買ってくれば良かったので産業が発展しなかったのだそうだ。バラマキ政治のつけは大きかった。

左派というのは、あるストーリーを作って、そのストーリーに従えばみんなが幸せになれるという思想である。うまくいっているときはいいのだが、これが生産性の向上にはつながらない。そしてバラマキできなくなると、そのストーリーが持続できなくなる。そこでストーリーに合わせてルールを変えようとする。マドゥロ政権の場合には、中央銀行を操作して通貨を発行し、憲法を何回も改正して意思決定ルールを変更しようとし、その結果大混乱に陥ったわけだ。

ストーリーにこだわり何でも中央からコントロールしたくなるというのは安倍政権に似ている。つまりベネズエラの例は安倍政権が辿り得るもっとも悪いシナリオとして使えるそうだ。

政権から滑り落ちる恐怖に支配されたトルコの場合

しかしながら、権力の集中が経済成長につながった事例もある。トルコでも憲法改正議論があった。こちらは政権から陥落することを恐れたエルドアン政権が権力の掌握を狙って憲法改正を画策して選挙の結果承認された。が、様子がかなり違っている。

トルコはイスラム教の影響の強い国だが、軍部がイスラム化を嫌い民主主義を擁護するという時代が長く続いた。もともとオスマン帝国からトルコ民族が独立してできた国だが、民族国家を目指したので、世俗主義・トルコ民族資本というのが国是だった。しかしながら国内がまとまらず、ついにIMFに救済されるまでになった。外貨を稼ぐような重工業がないのだそうだ。この国是を牽引してきたのがケマル・アタチュルク以来続く共和人民党である。

トルコでは議会が大統領を選んでいたが、イスラム主義の大統領が出ることを嫌悪した共和人民党が選挙をボイコットしたために大統領が選べなかった。そこで首相のエルドアンが国民による直接投票で大統領を選ぶように制度を変えてしまう。経緯はNHKの解説に詳しい。こちらも憲法が改正され大統領に強い権力が集中するようになった。だがエルドアンは経済改革に成功し、トルコの経済成長を実現した。さらに、シリアやイラクなどの政情不安を抱えており、強い政権が必要だった。

ベネズエラと違い、エルドアンは社会主義者ではない。だが、公正発展党は面白い成り立ちになっている。もともとは社会主義的な政策をとる政党であり、外国からはイスラム主義政党だとみなされているそうだが、自由主義的な中道右派政党を名乗っている。これが自民党に似ている。自民党も中道右派政党だという自己意識を持っているものだと思うが、実際の政策には、国家主導の社会主義的政策を含んでいる。

トルコでは右派の属性であるとされるナショナリズムも利用された。ニューズウィークの記事によると、国内をまとめるためにクルド人という敵を作ったという。

だが、この「敵と味方」を分ける政策は当然ながら反発をうむ。エルドアン大統領は新聞を接収しテレビ局を停波したりしている。この件は安倍政権がNHKに人事介入したり、高市総務大臣がテレビの停波をほのめかしたのに日本でも少しニュースになった。ニューズウィークが伝えるように言論弾圧もありジャーナリストは厳しい立場に置かれている。公務員などに40000人以上の逮捕者が出た。

また権力を掌握するために非常事態宣言も出された。BBCの記事によると新しい憲法には三権分立の仕組みがなく、大統領独裁の危険性があるということだ。エルドアン大統領は2029年まで大統領に止まる可能性があるという。

このことからわかること

この二国の事例からはいくつかのことがわかる。まず、安倍政権と共通の用語がいくつも出てくる。憲法改正、緊急事態条項、中央銀行への介入、マスコミへの介入と恫喝などである。その裏にあるのは民主主義の否定である。具体的には議会の権限を制限することで、行政府への権力強化が行われている。これも安倍政権が議会を軽視し、行政府と立法府の境目を曖昧にしているのとそっくりである。

だが、その帰結はかなり違っている。ベネズエラは明らかに破綻しているが、トルコは経済成長を実現している。つまり、憲法によって行政に権力を集中させることが必ずしも合理化されないということまでは言えない。だが、トルコの場合でも国内に敵対勢力が生まれる。この人たちがこのまま黙っているのか、それとも国外に退避したり、国内で反政府活動を行うようになるのかということはわからない。つまり、混乱は遅れてやってくるだけかもしれない。

中産階級や富裕層は資本主義との接点が多いので、親米・親ヨーロッパ型の民主主義を望むのだが、大衆はこうした考え方を理解しない。ベネズエラの場合には社会主義勢力が、トルコの場合にはイスラム教の勢力の考え方の方が理解しやすいのだろう。このことから類推すると、日本で自民党を応援している人たちも、都市型の中産階級や富裕層ではなく、こうした大衆的な類型の人たちであるということが推測される。

この層の人たちは、自分たちで話し合って問題解決するよりも、強いリーダーが何かを簡単に変えてくれることを望むのだろう。安倍政権が出てきた裏にはこうした人たちが増えているということを意味しているのではないかと考えられる。

結局、独裁志向の憲法改正は是なのか否なのか

自民党が大衆が支援する開発独裁型の政権だ。憲法改正の裏には開発独裁の行き詰まりがあるのだろう。これが顕在化したのが民主党政権への政権交代だ。この政権交代の防止が憲法改正の真の動機なのではないだろうか。

日本の場合に石油に当たる資産は土地なのだろう。土地バブルが弾けたのが、石油価格の下落と同じ効果を生んでいる。面白いことに日本の政治課題はほとんど土地の取り扱いを巡るものだ。土地の値段が上がると持っている人は自動的に豊かになれるので、面倒な理屈が必要な経済成長を達成しなくてもよいのである。日本の政治課題はほとんどすべて土地の問題が付随しているのは例外ではない。例を挙げると、加計学園、瑞穂の国記念小学院、築地の移転問題、広尾の病院問題などがある。国有や都有の土地を誰に優先的にばらまくかということが問題の根元になっている。

そのためには市場をコントロールしたり、土地の使い方を勝手に決めることができる権力が必要なので、民主主義を制限し「公」という概念を使って土地や私有財産の接収ができるようにしたいのだろう。つまり、安倍首相は憲法を改正して、土地を占有するのが目的なのだと言える。

だが、違いもある。ベネズエラと違ってある程度産業が発達している。トルコも問題の根元には外貨を稼いでくれるような重化学工業が発展していないという事情がある。こうした産業を発展させるためには、国による集中的なインフラ整備が必要だ。日本は必要な時期に独裁的な政権がインフラ整備を担ったので、現在のように反映しているのだと考えることもできる。

 

ここで考えなければならないのは2点であろう。日本は開発独裁政権を経て今のようなサービス産業型の国になった。こうした国では分散型の国家運営が望ましいように思える。例えばIT産業などはまとまった投資が必要ではなく、代わりに開発者一人ひとりの自由な発想と柔軟な産業変化が求められるからである。

もう一つは現在の日本は民主的な憲法の制限のしたで成し遂げられてきたということである。つまり、現行憲法下でも十分にインフラ投資ができていたのだから、ことさら独裁化が進む裏には政党の行き詰まりがあるものと考える方が自然である。

次世代のビジョンがないことが今の行き詰まりを生んでいる

このように憲法改正を産業発展の視点から見るとちょっと違った物語が見えてくる。日本の場合、世界経済から重工業型からの脱却を強制されているのだが、次のビジョンが見つからないために、権力を集中してより強くなるという間違った答えを導き出そうとしているのではないだろうか。さらに、民進党に至っては自分たちがどのような政権を目指すのかということすらまとめれないでいる。つまり、この二つの動きは「次の世代に進めない」という意味で同根と言えるだろう。

日本人は重工業で得た資金を使って国内の土地の値段をあげ、それを政治家が分け合うという成功体験があるので、なかなかそこから脱却できないのかもしれない。が、経済が発展しすぎたために、重工業だけでそれを支えるのはもはや不可能だ。かといって次世代の産業も育っておらず、過渡期にあると言える。

つまり、自民党は開発独裁の強化を狙っているのだから、この線で議論すると間違った議論に乗りかねない。重工業だけを強化しても中国と競争することにしかならないからである。

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