やっぱり細野豪志はダメだなと思ったという話

やや八つ当たり気味だが、細野豪志はやっぱりダメだなと思ったので書く。ついでに日本の保守というのが何なのかわかった気がする。多分、なくても構わない。

はフィントンポストで細野さんが民進党を離党した理由というのを読んだ。憲法草案もすべて起草したわけではなくつまみ食い気味だったのだが、産業政策もつまみ食いだったようだ。「第四次産業革命を推進する」と言っている。聞きなれない言葉だ。

実は、第四次産業革命は経済産業省が提唱しているモデルらしい。これもパクリなのだ。読んでいてだんだん腹が立ってきた。中に「バーチャルデータ」というわけのわからない言葉が出てくる。データはすべて触れないから、すべていわばバーチャルなので「このおじさんたち何を言ってるんだろう」という感じなのだが、どうやらリアルとの対比としてバーチャルという言葉が使われているらしい。

曰く、バーチャルデータではアメリカに勝てないのでリアルデータで勝負するというのだ。ちなみに「個人の健康データや、クルマの走行データ、工場の稼働データ」などがリアルデータで、アマゾンやフェイスブックやグーグルがバーチャルなのだという。だんだん頭が痛くなってきた。

例えばアマゾンで本を頼んだとする。その本はバーチャルなものなのだろうか。本屋で買ってきた本とアマゾンで買ってきた本は同じものなのでこの区分は全く無意味だということがわかる。つまりチャネルが違うだけなので、購買データに違いはない。

問題は「おじさんたちがわかっていない」という事ではない。彼らの性根が透けて見えるのである。

経済産業省がこうした区分をしたがるのは、アメリカにデファクトスタンダードがあるので、スタンダードの策定に関与できないからだろう。作ることはできるかもしれないが、相手にされないだろう。そこで無理やりにバーチャルとリアルを分けた上で、リアルデータについては経済産業省が仕切ると言いたいのではないだろうか。つまり標準化に関与したいのだ。

さらに、バーチャルは総務省の管轄になっているのかもしれない。日本の役所は協力を嫌がるので、自分たちだけで仕切れるものを押したがるのである。いわば縄張り争いのために、既存の省庁体系に現実を当てはめようとするわけである。

実力がないから世界から相手にされないわけだから、IoTの分野でも出遅れることが予想される。しかし反省はない。さらにスタンダードを作って自分たちが支配する会社に押し付けたいという考え方そのものが、日本のIT技術の障壁になっている。

アメリカの場合、それぞれが競争した結果生き残ったものがスタンダードになる。まだ煮詰まっていないアイディアがいくつも出てきて、生き残ったものが標準化するのである。だが、日本の会社はリスクを負いたくないので「先に正解を教えて欲しい」と思うところが多いように思える。そして国からお金がもらえる標準化策定作業を優先してしまう。当然ユーザーを見ていないのでアメリカに先を越される。1990年代やそれ以前からこうしたことを延々とまるで賽の河原で石を積むように繰り返している。

このことから、日本の省庁体系がもはや脱工業主義的な社会には適合できないという事がわかる。日本の国力増加を目指すというなら、省庁再編をしますくらいのことを言っても良さそうだが、細野さんは多分この分野にあまり興味がないのだろう。

いわゆる民主党系の保守という人たちはいつもこうだ。例えば離党前の長島昭久氏はとってつけたように子育てなどのTweetをしていた。興味がないのだろうが、票は取れると思ったのかもしれない。こうした事が起こるのは日本人が物語に耽溺しやすいからだろう。

平和について語る人がやけに好戦的で、その上に戦争や軍隊について無知であるという事がよくある。彼らは平和主義憲法について語っているだけで何もしていないのに、あたかも平和を守った気になっている。同じように保守の人の中には大きな物語やいわゆる「国家像」を語る事に耽溺して、何が国力の基になっているかということを考えない。

こうした人が夢想する「強い俺」は年代によってイメージが異なっている。少し年配の人だと、日本が五大工業国として世界に君臨し、力強く東アジアを統一しようとしていた年代を「強い日本」像と捉えているのだろうし、もう少し若い人たちは高度経済成長時代にアメリカからうらやましがられていた製造業大国日本を「強い日本」だと考えるのだろう。

こうした製造業万歳の頭で考えると、アマゾンのようなバーチャルは所詮偽物にしか過ぎない。例えば本屋さんで本を買うのは風情があり正しい行為だが、アマゾンで本を買うのはどことなく情緒がない邪道だなどということを本気で考えているのではないだろうか。

かつてはワープロで卒論を執筆するのは邪道であり、鉛筆でなんども書き直すのが正しい論文の書き方であると指導された。時代に取り残されている人が自分たちを正当化しつつ「大きくて強い俺」を夢想するのが日本の保守なのだろう。

細野さんが、これを自身の産業政策の柱に据えたいうことは、自分は産業政策には全く詳しくなく、大した興味もないし、時代からも取り残されかけているが、なんとなく目新しいことを言ってみたいという気持ちがあるからだと思う。だったら「小池さんや若狭さんとくっついて塵芥のように消えてくれ」というような気分になった。

こういう時代から取り残されてゆく事を「精神的に豊かだ」などと考えて正当化することは、害悪をもたらす事はあっても、なんらかの受け皿になる事はありえないと思う。

このような記事もいかがですか