前原民進党はどのように崩壊するのかを予想する

9月の最初に前原民進党がどう崩壊するかを予測した。この時には「キレるとかなり極端なことをし」「純化欲求の求のために暴走する可能性がある」と書いた。社会党系の人を切るのは予想できたが、まさか政党として自殺するとは思わなかった。

以下、文章があまりにもひどいのでやや直した。この後「少数者を探し出しては血祭りにあげることが横行するのでは」と予測している。当たらないといいなと思う。(2017/9/19)


民進党の党首選挙を見た。地方では枝野さんの方が強いと思っていたので、この勝ち方は意外だった。枝野さんが「地方で頑張っている地方議員のために頑張る」と言ったのはスルーされれたことになる。左派の人たちは枝野さんが左旋回してから追い込んだなどと言っているがこれは負け惜しみだろう。地方組織と左派は負けたのだと思う。

Twitterにいる有権者には左派リベラルの代表としての民進党への期待があるようだが、政治に携わっている人たちには「正当性」への嗜好みたいなものがあるのだろう。つまり「本物の政治家」でありたいのに、<女々しい>左派や<卑しい>共産党に頼るヒモのような存在でいいのかという悩みだ。

欧米型の二大政党制は自由と平等という理念の間を揺れ動くことになっているのだが、日本の場合にはこうした理念による二大政党制が成り立たない。政治家にはさしたる目的意識がないのに自意識が強すぎるのではないかと思う。こうなると自分を客観的に見るのが難しい。

政治家が持っている<正当性>の基準は曖昧でつかみにくい。が、小池百合子東京都知事を見ているとなんとなくその一端がつかめる。小池さんは「女性でありながら」既得権益と戦うしなやかな女戦士で、「女性としての幸せ」より「国益を優先するために」戦っている。つまり、男性的な闘争心が「本物の政治家」のもっとも重要な資質なのだと考えられる。

一方で野田聖子さんのように「女の幸せを追求するために子供を産む」と総理の資質が亡くなったなどと言われる。子供に障害があると「足手まといの子供がいて、政治に専念できない」などと考えられてしまう。これは、日本人は政治に「男らしさと競争」を求めるので、弱さは排除されるべき属性なのだろう。だから弱さを代表する左派リベラルは邪魔なのだ。

男性型競争社会を志向する日本人は、擦り切れるまで集団に尽くすことが美徳とされる。より居心地のよい社会を目指してお互いに助け合うのは「負け犬の言い訳」であって取るに足らないことなのかもしれない。

自民党は実利的に両者のバランスをとっている。政権政党なので男性型闘争にばかり力が入ると有権者の一部が離反することがわかっており、競争には権力闘争という目的がある。しかし、民進党には支持者がいないので思う存分男性的な競争を求めて暴走する余地がある。有権者は離反するだろうがそもそも誰も期待していないので支持者が減る心配をすることはない。

前原さんは党首になってからの最初の演説の中で高揚のあまり言葉をかんでしまった。彼はこれから「男らしい政党のたくましいリーダー」として振る舞わなければならないので、自分を鼓舞するために冷静さを失ってゆくだろう。この力みは崩壊の一因になりそうである。自民党と「競争」して男らしさを証明するためには自民党より過激にならなければならない。

一方で若狭さんは「民進党の枠組みを残したままでは合流しない」と言い続けている。数が足りない若狭新党はこのままでは対等合併にならず主導権を握れないので、この提案は当然のものと言えるだろうが、これに擦り寄りたい前原さんはどうするだろうか。多分、旧社会党の「女々しい奴ら」を排除することで純粋性をアピールすることになるだろう。自らが男であることを証明するためには極端に走らなければならない。地元のヤンキーが悪いことをして目立ちたがるのと同じだが、前原さんは高揚のあまり言葉をかんでしまうほど気が弱いので、キレるとかなり極端なことをするのではないか。

同じことは連合でも起きている。連合の中には「自分たちはエリート労働者の組織」であって「卑しい弱者に目を向ける」共産党とは違うと考える人がいるようである。そこで「残業ゼロ法案」に賛成した。これからも繰り返し「純化運動」に邁進するはずであるが、労働者自体はこの本部の暴走には懐疑的なようだ。

言い方は悪いかもしれないが、植民地にいる混血の人がマジョリティの人たちに代わってマイノリティをより過激に弾圧するのに似ている。民進党や連合が形として崩壊するかはわからないのだが、形が残ればこうした純化運動が起こる可能性が高いのではないだろうか。

一方で、Twitterで見ている人たちは、特に社会主義運動に肩入れをしているとは思えない。つまり彼らは行き過ぎた競争社会に疑問があり、それを牽制してくれる勢力が欲しいだけなのである。有権者と当事者の間にズレがおこるのは、多分有権者の方は政治的なイデオロギーをアイデンティティではなく実利的に捉えており野党共闘を特に「女々しい」とは考えていないからだろう。

政治家の人たちが考える「男らしさ」とは何だろうか。これが実は人によって違っている。自民党を中心とした人たちは「年配の男性が尊敬される」ことが男らしさだと考えている。が、小池新党は例えば「家でタバコを吸っている人」を悪者扱いすることで「自分たちの方が偉いのだ」と考えたがっているようだ。つまり、少数者を悪者を扱いすることで序列を作るマウンティングが「男らしさ」なのである。

すると、彼女たちが「男らしく」いるためには常に悪者がいなければならない。つまり少数派探しが自己目的化することになるだろう。前原民進党がこうした戦力と協力するためには少数者を探し出して次々と血祭りにあげる必要がある。攻撃が外に向かうか内に向かうかでかなり現象は変わってくるのではないだろうか。

職場の男性のマウンティングは単に権力闘争に過ぎないのだが、権力や意思決定権を持たない女性のマウンティングはそれが自己目的化する上に逃げ場がなくなる。女性のマウンティングは果てしない。LINEいじめをやめたいがやめられないというのが女性のマウンティングである。

前原民進党がどう崩壊するかはわからないが、純化欲求のために暴走するか抑圧的になってゆく可能性が高いのではないかと思う。こうした闘争は私たち有権者のニーズを全く無視しているが、とにかく有権者の希望を裏切り続けるのが民進党の「芸」なので、引き続き生暖かい目で観察して行きたい。

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