小池百合子東京都知事はサイコパスなのか

Twitterを見ていたら、小池百合子東京都知事はサイコパスであるというような話が流れてきた。人格障害の一種だと考えられているのだから名誉毀損に当たりかねない話である。出元を調べたところ脳科学者の中野信子さんがニュース情報番組の中で軽く触れたようである。2017年9月27日のワイド!スクランブルの中でそう発言したらしい。

にわかには信じられなかったのでYouTubeにアップされているもので確認したところ第一部の10時57分から58分になる頃に苦笑しながら中野さんが「女性に珍しいサイコパスですね」と語っていた。中野さんを紹介するスーパーにも「サイコパスに詳しい」というような意味合いのことが書いてあるので、専門家にはそのような見方をする人もいるのかもしれない。

ただし、サイコパスといってもその種類は様々だ。草思社文庫から出ている「平気でうそをつく人たち」はサイコパスを扱った本だが、すぐに破綻する嘘をつく人もいれば、長い間嘘が露見しない人もいる。それはサイコパスの知的能力にばらつきがあるからである。Wikipediaにはサイコパスの定義が載っている。

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。

  • 良心が異常に欠如している
  • 他者に冷淡で共感しない
  • 慢性的に平然と嘘をつく
  • 行動に対する責任が全く取れない
  • 罪悪感が皆無
  • 自尊心が過大で自己中心的
  • 口が達者で表面は魅力的

よく「安倍晋三さんはサイコパスだ」などというわけだが、安倍さんは身内をかばうところがあり、共感能力が全く欠如しているとは言えない。また安倍さんなりには「良心」がある。さらに嘘をついているという認識もあるので、何の説明もしないで記者会見すら行わずに国会を解散した。

一方、小池さんは「誰が利用できるか」ということを基準に人を選んでいることから共感能力がない人だということはいえそうである。彼女の通ったあとには混乱が起こるが、記者会見でそれを聞かれても全く意に介している様子はなく、自説を述べて笑顔を浮かべている。一方で、相手とその先にある関係性は読めているようなので、人間関係の認知には問題がないのではないかと思う。

サイコパスというラベルには人格的破綻というニュアンスがあるので「小池さんはサイコパスなのだ」という云い切りは避けたいと思う。ただし、この特性がわかると小池さんのことがよりよく理解できる。と、同時にヘアの考える定義はサイコパスの人から見ると間違って聞こえるかもしれない。

例えば「嘘をつく」というのは間違っている。曖昧な情報に対して相手が勝手に期待しただけであって嘘ではない。また、責任という言葉も大げさで押し付けがましい。それはしがらみであって、そんなものにとらわれていては自由に行動ができない。

小池さんにとっては「今どんな行動を取るのが自分にとってもっとも得策なのか」ということだけが重要であり、そのあとで状況が混乱しても自分さえ関わらなければそれはどうでも良いことなのではないだろうか。人々はそうやって自由に生きるべきであり、しがらみにとらわれるのは馬鹿馬鹿しい。

だから、小池さんが通ったあとには混乱が残るが本人は比較的無傷である。これは将来起こるかもしれない混乱を本人が全く感じていないからである。と同時に、いつも逃げ道が用意されていることがわかる。だから小池さんは一つの党や役職に止まることができない。同じところにいると責任を取らされるリスクがあるからである。築地・豊洲の問題をみる限り、現在の東京都はかなり混乱しているはずだが、彼女は国政に逃げるつもりでいるだろうからそれほどの危機感を持っていないのだろう。

記者会見で小池さんに「総理になる準備があるか」と聞かれた時、小池さんは日本の首相は国会対応に縛られているという意味のことを言っていた。普通の人は権力があるのだから責任もあると考えるのだろうが、それは不当な取引だと思っているのだろう。だから「国会が変わらない限り首相にはならないだろう」という。

日本は議会が首相を互選する議院内閣制をとっているので、どうしても首相には「しがらみ」が生まれる。だがこうした性向がある小池さんにとっては「自分の思い通りにコマとしての人間を動かす」ことだけが楽しいので、責任を取るポジションには立ちたくないということがわかる。都知事として楽しいのはパワポで夢を語っている時であり、それになんら実現性がなくてもそれは構わない。

だからしがらみのない政党というのは、自分が好き放題にできる全く新しい政党というような意味なのである。今のように持参金を持って彼女を称えてくれる前原さんの存在はとてもありがたいはずだが、かといって前原さんとの間に交わした約束を守るつもりなどないだろう。

小池さんは政権を取るといって議員の期待を集めたのだから、衆議院選挙に出ないのは論理的におかしいと言っている人がいる。確かに、議員には「政権が取れるかもしれないから」とほのめかしたかもしれないが、それは議員が勝手に期待したことで彼女には責任はない。だからそれは彼女の嘘ではない。むしろ政権を彼女にプレゼントしてくれない無力な議員が悪いのだ。

細野さんは過半数の立候補者は集められないと言っているので、実際にはできないことを彼女は知っている。評論家の人の高潔な人格が伝わってくる話ではあるが、できもしないことに対してなぜ小池さんは責任をとって面倒を引き受けなければならないのか。多分、小池さんにはこの理屈が火星語のように聞こえているはずである。

彼女がその時にそこで言ったことはその場では真実なのだが、あとになって状況が変われば「結果的に嘘になってしまう」可能性があるということになる。それはビジョンであって約束ではない。ビジョンなのだから実現できない可能性はある。例えば公明党候補のいるところには都民ファーストの対抗馬を立てないというには「そうなるといいですね」という夢であり、後で結果的に都民ファーストが候補者を立ててもそれは嘘ではない。だから罪悪感を感じないのだろう。

この観点で小池さんのインタビューをみると、どの言葉にも一切コミットがないということがわかる。衆議院選挙に出ないのかと聞かれて明言を避けていた。これは彼女が「責任というしがらみ」を嫌うからだ。同じように、2030年までに脱原発する工程表を作るといってもそれは嘘にはならない。それが遅れることがわかるのは2030年だし、その時にはその時の話を考えれば良い。彼女にとって重要なのは期待してくれている人に夢を語ることである。

築地を一旦更地にして元に戻れるようにすると言っているが、そうならなくても彼女は責任をとらないだろう。それはそのような約束を信じた人が悪いのであって彼女の責任ではないし、そうしなかったのは諮問機関の委員と案を作るコンサルタントたちである。

安倍さんと小池さんのどちらが悪質かという話がある。安倍さんの嘘は正常者の嘘であり、嘘をつくとそれを隠そうとする。それなりの罪悪感があるからだ。だからこそ人々はその嘘を感知することができる。だが、一方で小池さんの頭の中にある「本当と嘘」の線はそれとは別のところに引かれているので、彼女は多分「嘘をついたことがない」と感じているはずだ。だから、過去のことを聞かれても全く罪悪感を感じない。だから聞いている方も「彼女は嘘をついている」とは思わないのである。

多分、小池さんの登場で考えるべきことは、なぜこのような人が人気を集めるのかということではないだろうか。それは安倍さんのように誰かを贔屓してしまうと、誰かを怒らせることになるということの裏返しだ。小池さんによれば安倍さんが悪かったのは、誰かの望みを叶えようとして実際に動いてしまったことだろう。

日本人はなんらかの理由で一体になれないのだが、現在の選挙制度上はすべての人の約束をかなえてやらなければ政権を取ることができない。すると、結果的にはすべての人に口当たりの良いことを言って、誰の言うこともかなえないのが一番のよいアプローチということになる。

それだけではなく、有権者は「選挙時の約束」には敏感だが「実際に何が起こっているか」ということにはほとんど関心がない。そのような状況は「夢を語りたがる人」にとってはとても魅力的な狩場なのではないだろうか。

多分、小池さんにとっての地獄とは最高の地位に上り詰めて人を振り回した結果すべての人を怒らせ、なおかつ逃げ場がないという状態だろう。日本ではそのポジションは首相に当たる。彼女が首相にならざるをえなくなった時、彼女にとっての地獄が始まるのだろう。

このような記事もいかがですか