意気消沈する左派リベラル

たまたま行きがかりで政治ネタを書いている。だが、マスコミやネットの情報だけだと現実的なパースペクティブを失ってしまうので、時々現場の人に会うようにしている。だが、今回はかなりショッキングだった。左派リベラルは壊滅しかかっているとすら思えた。

だがもともとさほど実体のない運動であり、下手に政治に関わってしまったゆえに無力感を感じているのかもしれない。つまり、反政府的な盛り上がりがあったからこそ、現在の意気消沈ぶりがあるということになる。

民進党の市議の事務所は「来週はどの政党の応援をしているのかわからないが、ボス(奥野総一郎)が比例票頼みなので政策に構っていられないだろう」といっていた。この人は特に政党に思い入れがあるわけではないパートのお留守番の人である。だが、お手伝いなどで他事務所との交流があるらしく、先生方に対して独自の見解を持っていた。

例えば「小西ひろゆきさんが一夜にして豹変したのは面白かったですね」というと「東大出身の人は変な人が多いんですかね」と言っていた。小西さんは変わり者として知られているようだ。中央からは指示はないが民進党ののぼりは表に出さないようにしているということである。賢明な判断かもしれない。だが、意思決定はできないしそのつもりもない。単に「上から降りてきたことを守るだけ」だという。

しかし、本人が信じていないことに対して相手を説得できるはずはない。この辺りが野党の限界だったかなとも思う。

もう一方の市民ネットワークの事務所はさらに悲惨だった。もともとは主婦の助け合いグループをやっている団体で、その傍らでお勉強会をやっている。ここでは「私は単なる留守番なので政治のことはわからない」と必死の形相で断られたのだが、これも以前にはなかったことだ。本部に連絡したところ「情報がなくよくわからない」という。本部には戸惑いの表情があった。このままでは改憲勢力が多数になるのではというと「それは避けたい」と言いつつ「もう国政には関わりたくない」というスタンスのようだ。左派リベラル政党がいろいろと好き勝手なことを言ってくるので、かなりまいっているのではないかと思われる。

このスタンスは徐々に広がっているようで参議院選挙の時も自主投票だったようである。つまり左派リベラルの亀裂は徐々に進んでおり、市民団体が手を弾きつつあることがわかる。つまり無党派層が政治から離れているだけではなく地方の支えても距離を取り始めているようなのだ。

もともと彼女たちが政治に関わるのは「なんとなく社会にも意識があってえらい」と思ってもらいたいからである。にもかかわらず、政治に参加すると難しい議論を吹きかけられたり揶揄されたりする。これでは「立派だ」と思ってもらえないのだから、彼女たちが距離をおくのもわからないことはない。

いずれにせよ、どちらにも「私は政治のことはよくわからない」という諦めに近い気分が蔓延している。これが現在の左派リベラルの実体2近いのではないかと思う。盛り上がっているのは永田町だけである。

地震の後の反原発運動や、安保法制の制定時にはそれなりに盛り上がりがあった。

それは一連の運動が「戦争はダメ」とか「きれいな環境を子供達に残そう」という単純で立派なメッセージに依存していたからであろう。

だが、現在では同じ人たちが意気消沈している。目の前で議員たちが右往左往しているのを見ているのだから恥ずかしいという気持ちになっても当然といえば当然なのだが、一方で革新というのは今はない社会の実現を目指すのだから本来的に孤独であるとも言える。だが、均質な村落社会しか知らない人たちにそんなことを言ってみても無駄であろう。

デモに参加していた人たちは勉強会などで同じような考えの人たちに囲まれているうちに「これが99%の声である」と思い込んだのかもしれない。デモに参加しても同じような人たちがいて一体感を味わっていた。しかし、デモは現実の政策に何の影響も与えなかったし選挙結果も変えなかった。それどころか戦況はどんどん悪くなる。

つまり盛り上がりがあったからこそ、現在の意気消沈ぶりがあるということになる。

だがこれを左派リベラルの壊滅と考えるのもまた一方的すぎる見方かもしれない。

2009年の政権交代のときには自民党の人たちが同じように感じていた。「公共事業は全て悪である」というような極端な空気があり「話を聞きたい」などというと「お前は民主党の差し金で俺たちを笑いに来たのだろう」という極端な被害者意識があった。

どちらも実体のない被害者意識だが、現実に存在し、我々の周りに蔓延している。自民党はこの被害者意識から抜けらえず「民主党が勝ったのは国民がバカだからだ」という世界観を持つに至り、憲法改正案に天賦人権の否定という極端な主張を取り入れることになった。

デモが盛んだったときにはわからなかったことだが、デモはかりそめの一体感と引き換えに、その後の極端な鬱状態という副作用を引き起こすようだ。

その裏には政治リテラシーがない人たちがかろうじて政治を支えているという事情がある。自分で考えることがなく、答えをコピペしていることから起こるのだろう。

この状況をどう見ていいのかはわからないのだが、とりあえずありのままに報告しておきたい。

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