なぜ少女は髪の毛を染めることを強要されたのか

生まれつき髪の毛が茶色い生徒が髪染めを強要され最終的には登校拒否に追い込まれた挙句、学校を提訴した。

学校を訴える以外に解決方法がなかったところをみると、教育委員会などからの調整はなかったのだろう。さらに、学校や関係者の間には外見上の理由をもとに学業の自由を侵害するのは人権侵害にあたり憲法問題であるという認識がなかったことが伺える。だが、それとは別にこの問題にはなぜ学校側が追い込まれていったのかという背景がある。学校がなくなるという危機感があるが、どう対処していいかわからず、外見を取り繕おうとしたのである。つまり、体裁を守ることの方が生徒に必要な教育を施すべきだという理念や目的に勝ってしまったということだ。

問題になった学校は羽曳野市にある府立の懐風館高等学校だ。口コミサイトを見ると市内にある二つの学校が合併してできた学校のようで、偏差値が45であることがわかる。平均点を50とすると平均よりやや下の学校ということになる。

生徒が口コミを書き込むサイトを見ると積極的に入るというよりは、入れるから入ったという学生が多いようだ。制服はかわいいと評判が高いが、その一方で髪型や服装の検査は厳しかったのだという。外見に力を入れていたことはわかる。

大学進学はできないことはないが、あまり手助けをしてもらえなかったという声が散見される。が、高校受験で思うような成果がでなくても、思い直して勉強し近畿圏で名前が知られた私立大学に行くことはできる。先生が相談に乗ってくれたということを書いている生徒もいた。

しかし、どちらかというと専門学校に行く生徒も多いようだ。懐風館は専門や就職なども多く、進学を目指してる方はやめておいた方がいいという情報があった。一方で、専門学校に行きたいと言ったところ嫌味を言われたという人もいる。

口コミサイトには、一定以上の大学に入る人は面倒を見てもらえないという情報があり、また定員割れだったから入ったという情報が複数ある。また、先生が指導したにもかかわらず盗難が多い学年があったそうだ。羽曳野高校時代は野球部が有名だったので、今でも野球部の活動に力を入れているらしいが、学生の方はあまり熱心ではないらしくうちはほとんどがクラブに入ってないですねみなさんバイトや遊びの方を優先してますという評判もある。

つまり、外見の保持には厳しいが、その教育内容はまちまちであることがわかる。さらに、学校全体で取り組む行事がない。羽曳野高校時代には野球部が有名で、文化祭もそれなりの規模だったがそれが縮小されたという書き込みがあった。学校が一丸となって何かを成し遂げるということがなく、それが内面での風紀の乱れに及ぶことがあるということである。

中でも気になった書き込みは以下のものである。

ひとり学校で一番偉そうにしている先生がいる。みんなその先生を恐れているように見える。その人の言うことは絶対。間違っていても言うことを聞く。先生が言っていることは絶対。先生同士のほめあいなれあい、見ていてしんどい。

伝統的な神学校のように「伝統を守ろう」という共通の目的がないために先生の間でまとまりがないのかもしれない。まとまりがないから「皮膚がボロボロになる生徒がいるから例外措置をみとめてはどうか」という調整ができなかった可能性があるのではないだろうか。さらに不登校になったがどう処理していいかわからず、名簿から名前を決して、周囲には「いなくなった」と説明したようだ。マスコミの取材がTwitterに流れてきていたが「裁判で判断してもらえばいい」という他人事のような教頭の言葉だった。あまり、当事者意識もなさそうだ。

確かに多くの生徒はそれなりに学校生活を楽しみ、そこそこの進路を見つけて卒業してゆくのだろう。しかし「規格」にはずれた生徒は大変だ。名前が通った大学に行きたいといえば支援してもらえないし、髪の毛が茶色だと染髪を強要される。

今回の学生は母子家庭に育っているという。さらに肌に合わないのか髪の毛を染めて皮膚がボロボロになった。それで染髪を止めたいと言ったところ、それでは学校にこなくても良いと言われ、過呼吸を起こし、実際に登校できなくなった。

ここまでを読むと「学校の管理責任」を問いたくなるし、多分マスコミが取材をするときにも学校を責めるようなトーンになるのでは無いだろうか。だが、学業もそこそこで先生や生徒にもそれほどのやる気はないし、場合によっては窃盗も発生するというような学校で「生徒の品質」を守るためにはどうすべきだろうか。

一番良いのは、やる気のない生徒を退学させて良い生徒を集めることなのだろうが、そもそも学年によっては定員割れを起こすような状態なのでそれはできない。だから、外見を整えて「きちんとしようとしている」ように見せることが優先されるのだろう。このようにして少しでもよい学生を集め、企業からの評判を保とうとしている様子が浮かんでくる。

つまり、どうしていいかわからないから、間違った方向に努力が進んでしまったということになる。背景にあるのは先生のリーダーシップの問題なのだが、先生も「成果」によって、やりがいのある進学校に行けたり、どうしようもない底辺校に飛ばされるわけだから、それなりに必死だったのではないだろうか。

しかしそのリーダーシップが行き着いたのは人権侵害である。が、いったんモラルとモチベーションがなくなってしまった状態では「これはいけないからなんとかしよう」と言い出す人はいなかったのかもしれない。

結果的にうまくいっている学校はやり方のノウハウを意識的に持っている(つまり形式知によっている)か伝統という形で暗黙知的に持っている。前者ならふわふわなケーキを作れるノウハウをレシピ本にして持っているか、美味しい味噌ができる味噌蔵を抱えているということになる。どちらにせよ、美味しいケーキ屋さんやうまい味噌屋さんになれる。すると大勢のお客が集まり、店員にもやる気と熱意が生まれる。

しかし、それが失われたところではとりあえず店内をきれいにして、そこそこのケーキや味噌を売るしかない。そこに形の崩れたケーキや味噌があってはならず「規格外品」としてはじき出されてしまうのである。

 

こうした問題が起こっているのは何も学校だけではないのではないだろうか。「憲法問題だから人権は守られなければならない」という人が多いが、実は人権侵害の裏にはもちべーしょんの低下がある。つまり、どうやったら競争できるかがわからなくなると、組織は集団による弱いものいじめを始めてしまうのだ。

学校側には多分生徒をいじめるなどという意図はなかったのだろうが、結果的には生徒を育てるという最優先すべき問題を「とりあえず外見を取り繕う」という問題のしたにおいてしまったということになる。さらに、社会も当事者たちもそのことに全く気がついていない。

このような状況にある人が多いのだろう。多くの人の共感を集めた。しかしながら、これに共感する人たちもまた何が悪いのかがわからないので「憲法上の人権問題だ」と騒ぐだけだ。だから、逆に「だったら憲法から人権条項を取り除こう」などと言い出す人が現れる。

我々の社会が、意欲が低下したかなりまずい状態にあるということがわかる。

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