日本の憲法第9条をめぐる議論はなぜ不毛になるのか

小川和久さんという人が朝日新聞のある記事に反論している。もともと対米追従派で安保法制制定時に「独自防衛をすると何倍もお金がかかるようになるから絶対にダメだ」というキャンペーンを張っていた人なので、反発の理由はわかる。つまりはポジショントークなのだろう。

最近の政権側のポジショントークはだんだんおざなりになりつつある。野党側が自滅してしまった上に、ほとんどの国民がそもそも興味を持っていないことに気がつきつつあるのだろう。だが、記事を読んだだけでは何がめちゃくちゃなのかがよくわからない。

最初に目につく問題は、リベラルを応援し人権擁護を訴える立場を「日本の知的エリート」と決めつけている。実際には「社会に影響力があり政権に協力的でない人たち」を叩きたいだけなのだが、そうは言えないので「リベラルは」などというレッテル貼りをするわけである。

次の問題は筋の立て方である。日米同盟が対米追従なのであれば、イギリスなどを含むアメリカの同盟国は対米追従になると言っている。NATO加盟国はソ連との対抗上「選択的に」アメリカとの軍事同盟を結んでいるのだが、日本が選択的にアメリカとの関係維持を求めたことはない。岸内閣が安保体制を維持したことを引き合いにして「民主的に選択した」と言い張ることはできなくはないが、これは説明不足もあり国民から猛反発を受けた。また、広島の上空で危険なオペレーションを行っても日本は抗議できないし、沖縄(忘れているかもしれないが沖縄は日本の一部だ)でヘリコプターが落ちて国民の財産権が侵害されても日本政府は何もしない。加えて横田空域はアメリカに占有されたままである。これは同盟そのものよりも運用や協定によって不平等な運用がなされているからである。いずれにせよ、成り立ち上からも、運用上からも、日米同盟は対等な軍事同盟とはとても言えない。ヨーロッパではこのような対等ではない契約にはなっていないようなので、半占領状態にあるといっても良い。

日本がアメリカと軍事同盟を結んでいるのは日本のためではない。アメリカの支配下に置かれることで、日本が周囲に軍事的に進行するのを抑えているわけである。小川さんは多分このことがわかっているのだが、ポジションとして日本はアメリカに大いなる協力をしているパートナーだと言い張っている。

しかし、最大の問題は実は日米同盟そのものにはない。小川さんはアメリカが喜望峰までをカバーするためには日本に基地を置かなければならないと言っている。しかし、なぜアメリカは喜望峰までを独自にカバーしなければならないのかよくわからない。もし、喜望峰までカバーする必要があるのだったら、どこか別の国と同盟を結べばいいだけの話だし、技術革新によって遠隔地からカバーする方法にも触れていない。さらに、現在では国連などの国際的協調の枠組みがあるのだから、かつてのようにプライベートな同盟関係で経済権益を守るというやり方を取る必要があるのか疑ってかかる必要がある。

喜望峰の近辺にアメリカの同盟国がないのはなぜなのだろうか。それはその近辺に旧植民地支配国がないからである。つまり、日米同盟を含むアメリカの同盟というのは実は旧帝国主義リーグなのである。

では小川さんの論がおざなりだということはカウンターの勝利を意味するのだろうか。反論されている加藤典洋という人の文章もピンとこない。こちらもなんとなく変だなという感じはするのだが、よくわからないので細かく見てみよう。

  1. フランス革命に対する反動として保守が生まれた。
  2. 保守には共通の目標が必要だ。
  3. しかし、安倍政権は保守ではない。単なる対米追従だ。
  4. 日本国家の目標は対米独立であり、安倍政権はそれを放棄しているから保守とは言えないのだ。
  5. 憲法第9条の改定も独立を装ってはいるが、実は対米追従策に過ぎない。
  6. 国難を叫ぶ’風潮は大正デモクラシーの後にも見られた。当時と現在の状況は似ているので、これを研究しなければならない。
  7. リベラルに否定的な空気があるが、これは大正デモクラシーが否定されてゆく動きと似ているので枝野さんは頑張るべきだ。

まずは、小川さんから片付けてゆくと、加藤さんの文章の「対米追従」という言葉に脊髄反射しているだけなので、特に文章に対する反論にはなっていない。一方、加藤さんの文章の言いたいのは「俺は大正デモクラシーについて研究しているのだが、これをもっと取り上げてくれ」ということなのではないかと思う。つまり、研究所の宣伝なのである。

それを我慢して読んでいると「日本の目的は対米独立なのだ」という論の展開に無理があることがわかる。なぜならば、日本とフランスの状況は異なっているからだ。つまり、日本には革命(あるいは急進的な社会変革)がないので、保守が存在しえないである。ゆえに、その後の論がすべて無効になってしまう。

加えて、現状維持を目指しているのがいわゆる日本の左派リベラルで、現状を変えようとしているのがいわゆる日本の改憲派保守だ。つまり、革命勢力は「保守の側」というわけのわからない領域に突入する。日本の保守運動を復古的な動きだとする人もいるかもしれないが、彼らが目指すところは自民党などの政党の一党独裁体制であり、どちらかといえば中華人民共和国に近い。中国は共産党の独裁になっているのだが、日本ではそれはあからさまなので「公」という概念をおき、それを守護するのが自民党だという筋立てになっている。

後半は本当に言いたいこと(つまり研究の宣伝)なので論が通っている。これに政権批判をくっつけてしまったことでやや破綻した仕上がりになっている。この蛇足部分に小川さんが反論して、おざなりで現実を見ていない日米同盟論をいつものように連呼している。

だから、この<議論>に何か意味がありますかと問われると「ありませんね」と答えるしかない。

冷静に考えてみると加藤さんも小川さんもそれで構わない。なぜならば加藤さんは本が売りたいだけなのだろうし、小川さんは対米懐疑派を潰していればそれなりに仕事が回るのだろう。だから、この手の議論は特に何かを解決しようとしているのではないということがわかる。

では、こうした論をつぶさに見てゆくことには全く意味がないのだろうか。論を観察してみると、どちらもが「国連を通じた世界的な枠組みづくり」について全く触れていないことがわかる。一方はアメリカが日本を対等な軍事同盟の相手として認めてこなかったという歴史にルサンチマンを感じていることがわかるし、もう一方はどう考えてもバカにされている相手についてゆくために「実はアメリカが成功しているのは日本のせいなのだ」という心理的合理化を図っていることがわかる。

つまり、どちらもアメリカに過剰なまでにとらわれている。だが、よく考えてみると冷戦構造が崩れ、中国やインドなどの国が大きなプレイヤーとして経済に組み込まれた状態で、アメリカとヨーロッパを中心とした連合体だけで世界秩序の維持をしつづけなければならない理由は見つからない。逆にこうした枠組みに過剰にこだわると却って分断が進んでしまうことになる。

さらに、当事者であるアメリカにも世界の警察官であり続ける意欲はないようだ。TPPのような枠組みすら国益のために脱退するという状態になっている。しかし、アメリカは世界で一番強い国で、日本はその隠れたサポーターなのだと考えているうちは、とてもこうした世界的な変化にはついて行けないだろう。

日本の第9条の議論が不毛になるのは、その前提になる「防衛と秩序づくり」の議論の参加者がアメリカしか見ていないからなのだ。

参考文献

 

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