保守主義と農業

植木鉢の整理をしている。植物は、ものすごく調子が良かったのに、ある時を境に著しく調子を崩すことがある。たいていの場合根がなくなっている。だが根がなくなってもしばらくはわからない。勢いがなくなって初めて「ああ、根がなくなっていたのだ」と思うわけである。だからその前に挿し木を作ったり種を育てたりして株を更新する必要があるわけだ。

植木鉢を育てていると、日本人が今でも植物を育てていれば、根の大切さがわかるのになあと思った。日本の保守思想は農業民族だった日本人の知恵を基礎にしているので、農業への理解は非常に大切である。国や会社などの組織を植物に例えると栄枯盛衰が予測できるため、運勢学に応用されたりしている。

今の日本人は根の大切さがわからずに表面だけをみていろいろな議論をしようとする。西洋流にみると目的意識を持たないでその場限りの議論をすると批判するのが妥当だが、日本流にみると根の大切さを学ばずに議論をするから、いつまでたっても「地に足のつかない」議論になるのだと言える。

農作業の場合には、毎年植え替える稲のような植物を除いては、定期的に畑を変えたり、数年に一度植木鉢を分解して根の調子を点検する必要がある。主に見るものは、土壌と根の2つである。

土の中にはさまざまなものがあることがわかる。例えばコガネムシの幼虫が繁殖して根を噛み切っていることが多い。さらに大きかった土の粒が崩れていたり有機質が消費されて土が粘土状になる。こうなると根が窒息するので土をふるいにかけて細かな粒を取り除いてやる必要があるのだ。古来の農法だと山から有機質を持ってきたりして土壌を改良するのだが、現在では化学肥料をまけば栄養分は補給できるので、土の粒を整えるのが大きな仕事になる。

かといって毎年植物を植え替えていると根が伸びる時間がなくなるので却って植物が傷んだりする。だから、毎年掘り返して根を確かめるのもあまりうまい方法とは言えない。

農業的な文化を持っている地域では全てのものは永遠だとは考えない。このようにして盛りのものはやがて衰退する。衰退の仕方は様々だが時々取り出して点検をする必要がある。中国の暦は十二と十を組み合わせて六十の組み合わせでひとまわりになり、どちらも季節の組み合わせを意識している。

では、組織にとって根とは何だろうか。それは多分人材である。人を育てるには時間がかかる。あまりにも入れ替わりが激しいと人が育たないし、かといって全く人が動かないと腐敗してしまう。また、教育は空気に当たるものと考えられる。

例えば日本の自称保守は根の大切さを全く忘れている。そこで本来は国の基礎になる教育を人気取りのための取引材料に使ったりする。見た目にあたり枝葉ばかりを茂らせたがるのだが幼児教育の大切さには全く気がつかない。そこで「幼児教育は大切だから無料にする」などと言っておきながら「ただし例外がある」などということが平気でできるのである。もし、彼らが自称通りの保守であれば、自分たちの国を大切にするはずなので、どうやったら根を育てることができるかに心を砕くはずである。

教育議論一つを見ても保守と呼ばれる人たちほど関心がないことがわかる。国防や戦略といった議論にばかり熱心で、子育てや教育などは人気取りのために適当に利用できるおもちゃだと考えているわけである。彼らは大きな木を育てて周りを威圧したいが、実は全く根っこがない。だからその木はすぐに倒れてしまうだろう。

さらに単に戦争ができる国になれば日本人の民族の誇りが蘇るとか、他の民族をないがしろにすることで自民族の優位性が保たれるなどと考えている人も多い。

こういう人たちのことを「ネトウヨ」と呼ぶのだ。

農作業が日本の保守のこころねであると書いたのだが、もちろん日本の保守思想には欠点もある。農業は日光と水の量で収穫が決まってしまう。つまり誰かが儲けているということは、誰かが損をするということだ。儲けるためには上流で水を自分たちの田んぼに水を流すか、日当たりの良い場所を人から取り上げる必要があるということである。こうしたゼロサムの思想は日本人に染み付いており、ビジネスは「金儲け」という偏見の目にさらされることになる。つまり、日本の保守には「協力して新しい何かを成し遂げよう」という精神的な素地はないので、これは外から持ってくる必要がある。

根の大切さを忘れた国には未来はないし、人を育てることを忘れた組織には未来はない。いずれにせよ、日本人として保守思想を体感したいのならば、まず何かの植物を育てるべきである。

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