戦争の季節がやってくるのか

今回は何回かのシリーズにわけて「戦争のシーズンがやってくるのか」について書きたいと思う。このこういったシリーズものの難点はあとで読み返したときに面倒になって全部読まないという点にあるのだが、それでもこういう構成にしようと思ったのには理由がある。

NewsWeekの記事を読んだ後に「Gゼロ」後の世界―主導国なき時代の勝者はだれかを読んだ。漠然とした情報を入れた後でフレームワークを導入するといろいろ見えてくるところがあって面白いのだが、問題意識なしに読むと「さらっと」読み飛ばしてしまうなと思ったのである。

ティラーソン国務長官が解任されるかもしれないというNewsWeekの記事を読んだ。次に来る人は軍人出身ではないかといわれているそうだ。このニュースを聞くとやっぱりトランプ大統領は戦争をやりたがっているのかなと思う。すると北朝鮮を封じ込めようとした安倍首相は正しかったのではないだろうかとも思えてしまうのである。

しかし記事を読みすすめてゆくと「あれ」と思うことがある。アメリカ人の関心はむしろイランの核問題にありそうだというのである。イランの核合意にも国際的な枠組みがあるのだがあまりうまく行っていないようだ。だからといって政府を転覆するというのはいささかやりすぎではないかと思える。天然資源が豊富とはいえアメリカにはシェールオイルがあるのだから、そこまでしてイランにこだわるのは不自然だ。

いずれにせよ、イランや北朝鮮のようなルール破りが起こりそれが成功するのはどうしてなのだろうか。冷戦期であれば特に北朝鮮には勝機はなかっただろう。多分、ソ連か中国に睨まれて終わりになったのではないだろうか。多分何かが変わったために北朝鮮にもチャンスが出てきたのだと思うのだが、そのチャンスとは何なのだろうか。北朝鮮は勝者になるのだろうか。

日本にとって重要なのは、アメリカの北朝鮮封じ込めプランに同調する国がなさそうだということである。ヨーロッパはトランプ大統領が「エルサレムはイスラエルの首都である」と宣言したことについてかなり本気で怒っているようだ。ヨーロッパがアメリカに同調していたのはアメリカが西側世界のリーダーだったからなのだが、アメリカは自らこの役割を降りてしまった。すると、北朝鮮問題についてアメリカに同調する国は多くなさそうだ。アメリカはイランへの対応にかかりきりになり、ヨーロッパの支援も得られない。すると日本の役割はおのずから大きくなる。

これは、安倍首相にとっては誇らしいシナリオなのだろうが、日本には独力で対北朝鮮戦争を遂行する国力はない。安倍首相は忘れていると思うのだが、憲法でも戦争は禁止されている。加えて国民は特に世界平和に日本がコミットするなどという野望を持ち合わせておらず、社会保障体制さえ維持できればあとはどうでも良いと考えている。つまり、安倍首相が一人で張り切っておりそれを周りが冷ややかな目で眺めているという図式がある。

自民党が安倍首相の方針を支持しているのは、それが選挙に勝つための最善の道だと考えているからだろう。つまり、選挙に負けてしまえば一気に状況が流動化する。かといって政権を代替えできそうな野党もない。つまり、この安倍一強体制が崩れてしまうと政局が一気に流動化することになる。これが「盤石な日米同盟」という絵と一緒に崩れてしまったら一体何が起こるのだろうか。

憲法議論の焦点の一つになっているのが自衛隊と集団的自衛という国防上の問題だが、実際に話されているのはアメリカ一強の世界でどのようにうまく立ち回るのかという話である。ところが、アメリカは世界のリーダーの地位を自ら降りてしまった。もともとその外交力は極めて稚拙で戦争によって問題を解決ようとしてきた歴史がある。しかし、憲法議論を見ていると日本は国民も含めてこのアメリカ一強の世界にしがみつこうとしているように思える。

アメリカ一強体制が崩れたのを目の当たりにしたら日本人は突然目覚めて「これからは自立して行こう」と考えるだろうか。それとも「信仰心が足りないからだ」と考えてさらにしがみつこうとするだろうか。多分、後者を選択する可能性の方が高いのではないだろうか。

アメリカがあてにならないことがわかり、状況が読みにくくなってきているのだが、国内問題はあくまでも内向きに進んで行く。その間に当然大騒ぎが起こるだろう。すると政治的なリソースは憲法と戦争の問題に浪費され、その他に解決すべき問題について与野党が協力する機運が奪われてゆく。かといって野党にも支持が集まらず国民が政治にますます興味を持たなくなるのではないか……

NewsWeekの記事を読んだだけなのだが、漠然とした不安が広がってゆく。

 

今までの経緯を見ていると「戦争をするか」とか「憲法をどうするか」というような問題ばかりが語られる一方で、日本は衰退にどのように立ち向かうかという現実的な議論が忘却される可能性が高い。ある意味概念的な戦争の話をしていた方が目の前の問題に直面するよりも気が楽なのである。「国民もようやく目を覚ましてまともな議論ができる政治家を選び直すだろう」と言いたいところなのだが、果たして期待してもよいのだろうか。

そのような疑問と問題点を抱えたままで、イアン・ブレマーの本を読んでみたいと思う。

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