今や存在そのものが麻薬になりつつあるNHK

テレビを設置すると自動的にNHKと契約したと見なされて受信料を支払う必要がある。一部には「裁判をするまでは払わなくて良い」という人がいるのだが、裁判をすると負けてしまうのだから、実質契約の義務を負っていると言っても良いだろう。この裁判の結果を見て「NHKを見たくない人もいるのに不公正だ」と感じた人も多いのではないかと思う。

この判決にはNHKが国営放送ではなく公共放送なのだという前提条件がある。つまり、政府や企業に影響を受けない放送局だからこそ「公共性がある」というのだ。つまり、この公共性がなければ法律の正統性そのものが揺らぐ。裁判所はこうした複雑な問題から目を背け「NHKは公共放送であるはずだ」とかっこで括った上でこの判決を出した。

一方で、NHKが公共放送ではないと思う人が多ければ法律が改正されているはずなので、この前提は多くの国民から受認されているか黙認されていることになるだろう。では、NHKは何を公共財として提供しているのだろうか。

NHKが偏向報道をしていることは間違いがない。が、偏向報道だと非難されてはいけないこともわかっているので、そのあたりには気を配っていて、ちょっとやそっとではわからないことになっている。

しかし、やはり偏向報道はある。先日、サーロー節子さんがノルウェーで格調高く力強い演説をして「核兵器の廃絶」を訴えた。これはNHKにとっては厄介な出来事だっただろう。

日本人はノーベル賞を「良いものだ」と考えているので、NHKはこれを否定することができない。かといって、サーローさんの演説を詳しく聞くと明らかに日本政府(とそれを黙認する日本人)を非難している。これを「なかったこと」にしなければならないのである。

ノーベル賞は良いものだという印象がある。日本が自信をなくしていた時に湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞して以来「世界が認めてくれた」という意味を持っているからである。今でもノーベル賞を取ることが「日本の科学技術の凄さの照明」になると考える人が多いようで、逆に受賞者がでないと普段は学術振興に全く興味がない人までも「製造業大国の日本は終わってしまうのではないか」と大騒ぎする。

今回のICANの受賞について知っている人であれば核保有国の大使たちがこの式典をボイコットしたことを知っている。さらにサーローさんは「核兵器の傘の下にある人たちは全て加害者である」というようなことを言っている。つまり、日本人に「これまでのあり方でいいのですか」という問題を突きつけられているのである。サーローさんはこれを弱々しく言っているわけではなく、力強い調子で語っており、この主張には文字で読む以上の迫力がある。

しかしNHKは、視聴者に問題を突きつけるようなことはしなかった。ある番組では、サーロー演説の次に北朝鮮の映像を流した。つまり「核兵器を開発している憎い北朝鮮」という図式をそれとは言わずに演出し、さらにそれを考えさせる前に、今年の漢字に「北」が選ばれたことに続け「今年は北朝鮮が怖かったね」という印象を残した。

つまり、編集によって何も言わないで一つのニュースをなんとなく作り上げた。このニュースはいくつもの印象操作を行っている。第一に北朝鮮だけが核兵器開発をしているような印象が残るが、実はアメリカも中国も核兵器開発をした歴史を持っており今でも核兵器を持っている。北朝鮮はこれに対抗しているだけである。次に今年の漢字と結びつけることで「今年は怖かったね」という印象を残している。日本人は年末で全てを閉めてしまう癖がある。「今年は台風があって悲惨だったね」とか「津波で大変だったね」と総括してしまうと、それは「済んだ」ことになってしまうのである。だが、実際にはこの先北朝鮮からの脅威はなくならない。

では、これは政府からの圧力によってなされたものなのだろうかという疑問がわく。中にいる人たちがどう思っているのかはよくわからないのだが、政府からの圧力だけではないのかもしれない。

サーロー演説がボイコットされたことを伝えると、ほぼ自動的に日本が核の傘によって守られているということを伝えなければならなくなる。すると、なぜそのようなことになったのかを考えなければならず、最終的には、サーローさんの演説に感動したい「平和を愛している」美しい私たちと、彼女が名指しした「絶対悪を使っている加害者」である日本という二つの日本人像を視聴者に突きつけることになる。

これは、視聴者様に「考える」という苦行を与えることになる。みなさまのNHKとしてはそれは避けたいのではないだろうか。問題があったとしてもそれは政府が解決してくれるから「みなさんは考えなくてもいいんですよ」という安心感があってこそ、みなさまのNHKとしての体裁が保たれるわけである。

一方で、日本にはオプションがない。アメリカの力が弱まっており北朝鮮は制裁できない。かといって、日本で独自の軍事オプションも取れない。トランプ大統領はあてにできないが、かといって独自で動くと何をされるかわからないと言った具合である。日本は国際的な統制が取れなくなった現在の世界で、ふらふらと風に乗って漂流するしかない。だが、それを国民に突きつけることはできない。政府に不満が向くから抑えなければならないという意識の人もいるだろうが、それよりは「答えがない問題を突きつける」ことへの恐怖心があるのではないかと思う。

だから「北朝鮮は悪の帝国である」という漠然とした印象を与えつつ、国民には何も考えさせないという<戦略>を取るしかないのではないか。つまり、NHKはある種麻薬のような役割を持っていることになる。つまり、公共財としての麻薬がないと成り立たない国になりつつあるのではないかということになる。国力が衰退しており、依存するスキームも弱体化しているからである。

だが、やはり麻薬は麻薬であり問題解決には何も役に立たない。つまり、NHKは彼らの意思とは関係がなく社会に有害なものになりつつあるということである。裁判所もまた変化を恐れて行動を起こさないのでこれを追認している。サーロー流にいえば「麻薬としての報道は絶対悪である」ということになるだろう。

言論人と呼ばれる社会的に影響力のある人たちはこれを声を大にして言うべきなのだが、テレビ局に依存していていうことができない。ブログで書いたところでそれほどの影響力があるわけではないのだ、このような形で声を上げざるをえないのである。

NHKがこの先も公共放送でありたいと考えるならば、政府任命ではない第三者機関の設置を義務付けるべきだろう。第三者機関がやるべきことはNHKが流れで印象操作ができないようにストレートニュース以外のニュースを全て禁止することだろう。が、当然政府が監督権を手放すとも思えない。ゆえに、NHKが全ての設置されたテレビから受信料を取る法律にはもはや根拠がないのである。

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