いい加減な国防議論のツケ

先日、ある国防に関する記事を読んだ。これを読んで「いい加減な議論のツケの代償は大きいな」と思った。どう判断していいかさっぱりわからないからである。安倍政権などは「好き勝手できていいや」と思っているかもしれないが、失敗したら、例え国民の理解不足に起因する失敗だったとしても結果責任を厳しく問われることになるだろう。

記事は、相手の領土に到達する武器を持ったとしても専守防衛を逸脱するとは言えないと主張している。途中まで我慢して読んだのだがよくわからなかった。島嶼防衛でもいったん占領されたら遠くから狙わなければならないから必要だという。しかし、これだけでは同じ武器で敵国の本土も狙えるのだから議論としては全く何も言っていないに等しい。例えて言えば「うちのなかで必要になる日がくるかもしれないから、外でも人が殺せる武器をもたせて欲しい」と言っているようなものである。

武器導入の妥当性を判断するためのはその前提条件が妥当かどうかということを見極めなければならないのだがそれは難しい。「できる」という人がいたら、その人は確実に嘘をついていると思う。

そもそもの国防議論が幾重にも積み重ねられたミルフィーユ状の欺瞞の上に成り立っているからである。日本は軍事的オプションを放棄したことになっているが、日本にある米軍基地を防衛する必要から自衛隊が創設された。しかし、それでは理解が得られないので、表向きは国防の権利までは放棄したわけではないから自衛隊があるということになっている。そもそも自衛隊は米軍を守るためにあるわけだから全くの違憲でもともと集団的自衛を前提としている。だからこれ以降の憲法議論は全て欺瞞か嘘である。しかし、それでも通っているのは、軍事が法学者の神学論争によって成り立っているわけではなく、軍事的なバランスによって成り立っているからである。

沖縄の場合は、米軍が直接統治に失敗したために日本に統治を丸投げした。しかし、日本は形式的には主権国家なので、地位協定を憲法の上にかぶせて軍事的植民地を確保した形になっている。米軍は今でも沖縄を演習地のように考えているので、ヘリコプターから窓枠が落ちても何の調査もしないで「兵士が失敗しただけだから問題はない」などと言っている。沖縄がおかしなことになっているのは、日本には軍事的に沖縄を切り離して特区として統治する枠組みがないからだ。このため沖縄に許した米軍の治外法権が法律的には本土にも及びかねない状態になっておりこれを調整で乗り切っている。沖縄の県知事は主権のない軍事植民地のチーフのような存在なので、アメリカに抗議に行っても相手にしてもらえるはずはないし、日本政府は軍事基地の管理を任されているランドオーナーに過ぎないので交渉力はない。もし沖縄の人たちが本気で現状をなんとかしたいなら、実質的に米領であることを認めて国際社会に訴えるしかない。植民地は現在の国連憲章上は認められておらず、やがて独立させなければならないことになっているからである。米国がこれを持ち続けることはできるが、すると他の国にも同じことを認めなければならない。しかし、沖縄の人に「あたなたちは軍事植民地に住んでいるんですよ」などと言えば屈辱されたと感じるのではないだろうか。

実運用上は憲法より上に米軍との取り決めがある。ただし、このような軍事植民地は国連の取り決めでは作ることができないし、アメリカは民主主義国家の守護者ということになっているので、表立っては憲法の方が最高法規だということになっている。

このように日米関係は極めて複雑で「アート」になっているので、法律では扱うことができない。そこで日本は砂川事件をきっかけに「裁判所はあずかり知らぬこと」として司法が逃げてしまった。この時から日本は軍事・防衛に関する限りは完全な法治国家ではなく「運用でカバー」する国になった。安倍政権以前の政権が防衛政策を変更できなかったのは、いったんこれを動かそうとするとその不自然さが国民に知られてしまうからなのだが、幸いなことに安倍首相はこれが理解できなかったため、その怖さがわからなかった。

現在ではさらに複雑なことになっている。予算の関係から米軍が一国で覇権の維持ができなくなっているので、今度は米軍を肩代わりする必要が出てきた。主目的は米国の覇権の維持だが、表向きは日本の防衛ということになっている。素直に「集団的自衛が必要だ」と言えばいいのだが、それも言えないので個別的自衛が拡張すると集団的自衛になるのだというわけのわからない議論で押し通した。そして日本の領域は大切な石油を輸入する中東の海を含むなどと言っている。さらに、昔から憲法は集団的自衛の一部は容認されていたと言い出した。しかしながら、過去に憲法を変えないと国際的需要(実際には米国の要望だ)に応えられないといっていたこととつじつまが合わなくなるので、自衛隊を憲法に書き込むと付け加えている。

いろいろ書いてきたがこれをいちいち理解する必要はない。一言で言えば「めちゃくちゃ」だからである。

ところが問題はこれだけではない。状況がめちゃくちゃであることがわかっているのに、それに噛み付いて見せて目立とうとする人たちがいるのである。

「ガイドラインを曲解している」ということなのだが、そもそも憲法すら曲解しているわけだから、ガイドラインを曲解していることは驚くに当たらない。さらに実質的には憲法の上に軍事的枠組みがあるので(その意味では共産党が憲法と国会を管理する中華人民共和国と変わらない)国会議員が何かをいっても全く無駄なことである。多分、小西さんはそこまでわかって騒いで見せているのだろう。

もともとこの人は目立つためなら大げさなことを言って耳目を惹きつけるのを厭わない人である。今は「民進党と立憲民主党が合同会派を作るなら刺し違えてでも止める」などと歌舞伎のようなことを言っている。国会でプロレスラー顔負けの乱闘をやって見せたところからわかるように、政治はファンを満足させるための歌舞伎だと思っているのだろう。だが、刺し違えるつもりなんかない。


もともと嘘と欺瞞という砂の上に築き上げられたお城なので、もはや国防議論が有効なものなのか、それとも無駄なのかということがわからない。だから、国民は現在の世界情勢に合わせて国防議論を組み替える議論には参加できないし、参加するつもりもない。だから、実質的には何も変えられない。

いろいろな報道を読むと、どうやら日本はアメリカの国土防衛のためにミサイルシステムなどを「買わされて」いるようだ。だが、それが有効なものなのか(例えばグァムを防衛できるのか)もわからない。なぜならば表向きは日本を防衛するために設置されることになっているからである。いずれにせよ、何もなければこのままなんとなく許容されるだろうし、防げなければ大問題になる。

もう一つの懸念は政権の意欲の低下である。日本の政権はそもそも米国の軍事的主権に隷属しているので国土を守ろうという意欲はない。このため、北朝鮮から船が押し寄せても予算を増やして領域を警護するような地道な対応はしていないようだ、大和堆のような日本の領域であっても「北朝鮮の船が怖くて漁ができない」状態だというが、これを印象論で乗り越えようとしている。それは「北朝鮮が悪いことをしているから止めなければならない」というのである。

政府は日米同盟を維持するために、アメリカ政府の機嫌をとることには極めて熱心だが、国土防衛などはどうでもよいと思っているのは明白である。トランプ大統領が「日本はアメリカから武器を買っていればよく、それでアメリカの雇用が守られる」と言い捨てて帰ったことがいまになってじわじわと人々を不安にしている。単にお金儲けのために利用されているのではないかと考えて始めているのだ。日本人はそれでも日米同盟にしがみつくだろうが、それが破られるのは実効性がないことがわかった時だろう。

この数年、極めて杜撰で「歌舞伎的」な「プロレス的」な議論が行われている。歌舞伎もプロレスもショーなのでそれでも構わないのだが、実際には国の予算が無駄に使われていて、さらに実際上の脅威は増している。

北朝鮮が核兵器を開発した今となってはもう取り返しがつかない。Twitter上で不毛な「国防議論」を見るたびに言いようのない無力感を感じるが、この感覚はどれくらい共有されているのだろうか。

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