大本営の片棒を担ぐマスコミの不安心理

佐賀のヘリコプターの墜落からしばらく経った。気がつくのは、このニュースを扱うマスコミが減ったということだ。代わりに扱われているのは秋篠宮家の結婚の延期と北朝鮮からやってくる美女応援団の話だ。どちらも政権とは関係がない「無難な話題だ」であると言える。特に平昌オリンピックについてはオリンピックを成功と結びつけたくないという心理が垣間見える。北朝鮮の「本当は抑圧されているけれど楽しそうにしていなければならない人たち」と韓国のオリンピック運営がいかに失敗しつつあるかという点にばかり注目が集まる。

ここから気がつくのは私たちが抱えている不安の大きさである。しかし、一旦この不安を正面から観察してみると、意外と「根拠がないのではないか」とも思えてくる。つまり、不安は不安のままにしているから扱い難い怪物のように見えるのではないだろうか。

佐賀県にヘリコプターが落ちた件はとても重要なニュースだ。国民を守るはずの自衛隊が国民の財産を毀損し場合によっては人命を損なう可能性があったというだけでも重大なのだが、実は一部の専門家は早くからこの問題点を指摘しているようなのだ。マスコミは知っていながらこの問題を無視し、与党も(積極的に関与した証拠はないものの)黙認していた様子がわかる。さらに野党も概念的な平和論にとらわれて実際のオペレーション上の問題についてほとんど取り上げてこなかった。

このケースが重要なのは「平和国家としての日本の位置付けが危ない」というような概念的な問題でもないし「中国が攻めてきたらどうしようか」という強迫めいた話でもない。官僚組織を政治がうまくコントロールしておらずこれが人命に関わる可能性があるというありふれた問題である。にもかかわらずマスコミがこれを取り上げようとしないのはどうしてなのだろうか。

第一に考えられるのはマスコミが政府を「忖度している」というものなのだが、本当の問題は「なぜ忖度してしまうのか」という点にあるのだろう。

産経新聞のようにリテラシーが低い人達を相手にしてページビューを稼がなければならなくなった媒体は横に置いておくとして、いわゆる「左系」の新聞が取り上げないのは、下手に動いてしまうと安倍政権から恫喝される可能性があるからなのだろう。例えば森友学園の問題では安倍首相が朝日新聞をかなり恨んでいる様子で、国会でもことあるごとに朝日新聞に恨み節を述べている。首相がこんなことを繰り返せば「何か不利益があるのでは」と考えても不思議はない。現在軽減税率についての議論が進んでいる最中であり、政権を刺激したくないのかもしれない。

しかしながらよく考えてみるとこれも不思議な話である。極論をいえば、朝日新聞は森友学園の件に関しては誤報を出しても構わなかったと思う。もし日本に新聞社が朝日しかなければ誤報は問題になるだろうが、他の報道機関がチェックすれば良いだけの話だからだ。全く間違いのない人がいないのと同じように、全く間違いを犯さない新聞社などあるわけはない。むしろ全く間違えないようにしようとすれば「大本営発表」しか報道できないということになってしまう。これはジャーナリズムの死だろう。

森友学園の問題がおさまらないのは、これが明らかに黒だからだろう。つまり政府の財産は公平に扱われておらず安倍昭恵氏がこれに関わっていたことは間違いがない。江田憲司議員のように「首相夫人が私的な活動を増やせば、意図しないまでも広告塔になる危険性が増す」ことは間違いがない。一方で、政府にほ法律を運用する権限があり裁判所は政治のチェック機関としてはほとんど機能していない。このために政府が「白だ」と言い張れば誰も納得はしないが逆らえないという状態にある。

しかしながら問題はそれだけではないのかもしれない。新聞社にせよテレビ局にせよ、なんらかの問題が起これば世論が沸き上り安倍政権が簡単に崩れてしまうということをよくわかっているのではないだろうか。だからこそ「最初の一言」が言い出せない状態になっているのだと思う。

これは考えてみれば不思議な話である。これほどマスコミが政権の脆弱性について恐れを持っていた時代はない。例えば過去のロッキード事件は政権が倒れる可能性は予見できたはずだが、かといってこれで「国がダメになる」と思う人はいなかったはずである。むしろ「不正が正されれば国は良くなる」と考えていた。それは「自民党は代わりになる優秀な政治家がたくさんいる」からであり「自民党が政権から離れても他の政党が代わってくれるだろう」と考えることができたからだ。

現在の言論統制は民主党政権ができた「反省」が生きているのだと思うのだが、政権が必死に隠蔽をしているというよりも、実際には国民の側が、もはや日本の国はよくなる見込みがなく、何か変化があればそのまま倒れてしまうのではないかという不安を抱えているということなのかもしれない。

しかし、よく考えれば朝日新聞が政権を倒したからといって日本が直ちに消えてしまうなどということはありえないのだ。この意味で「中国が攻めてくる」というのと同じように「朝日新聞が日本を滅ぼす」というのも一種の被害妄想だと言える。国のあり方に自信があればこうした被害妄想にとらわれることはないはずなのだが、こうした強迫観念から抜け出せないのは、実は「自称保守」の人たちが日本を信頼していないからなのだろう。

しかし、これはネトウヨだけの問題ではない。「自称リベラル」な人たちも「明日安倍政権が戦争を起こすかもしれない」と思い込んでいるし、新聞社も「下手に政権を叩けば会社が終わってしまうかもしれない」と恐れている。私たちの社会はその根源がどこにあるのかはわからないものの言いようのない不安に苛まれているのかもしれない。

しかし、いったん立ち止まって考えて欲しいのだが、国というのは誰かの一撃で一瞬に瓦解してしまうものなのだろか。実はそれが的外れの思い込みであるという可能性について考えるためには、まず不安に名前でもつけて具体的に誰かに誰かに話してみることなのかもしれない。

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