消費税4000円還付システムの仕様と問題点について考える

消費税増税に伴う軽減税率の代替案としてマイナンバーカードの利用が考えられている。早くもふんぞり返った麻生太郎財務大臣の「マイナンバーカードがイヤなら還付はしない」という台詞が反感を買っているようだ。一般庶民は集団的自衛権には関心がないが、こうした話題には敏感に反応するので、発言には気をつけた方がいいと思う。

このシステム、意外と構築が大変だ。小売業者を信頼するならば、小売りのPOSシステムで「生鮮食料品」を判別させて、生鮮食料品の合計額データだけを送信すればよい。しかし、小売りを信頼しないとすると、全ての購買データに商品コードを添付して送ってもらわなければならない。全てのJANコードが標準化しているわけではないはずなので(野菜などはインストアコードというローカルな番号が振ってあるのだそうだ)、複雑な商品マスターを持つ必要があるかもしれない。それをいちいち役所側でチェックする事になるのだ。役所は膨大なデータを抱え込むことになるし、サーバーが落ちたら還付データは吹っ飛ぶ。もちろん蓄積されたデータは盗まれる可能性がある。データセンターがいくらになるのかという見積もりはない。

さらに「個人商店はどうするのだろうか」と思った。全国には飲食良品の小売りだけで39万店舗(平成19年当時)あるそうだが、JAN型のPOSレジを導入している店舗は全体で50万店程度だ。POSレジだけをみるとインフラは整っていると言えるかもしれない。朝日新聞が財務省への取材で確認したところによると、対象になる小売店鋪は75万業者あるそうだ。(2015.9.10追加)小規模業者には端末を無償で配るという計画を立てている。当然だが、これは税金である。税金還付の為に税金を使うわけである。費用は数百億円ということだ。

それでも店側で商品マスターを準備には手間がかかるはずだ。それらは維持コストとして商店にのしかかる。最悪の場合、個人商店では消費税還付が受けられませんということになるかもしれない。現在進んでいる商店街のシャッター化がますます加速するかもしれない。

昔はPOSレジの導入に100万円程度かかっていた様だが、最近では10万円くらいでiPadを使った端末が使えるのだそうだ。回線についてはあまり心配する必要はないのかもしれない。記事によると飲食店でPOSレジを導入しているのは約10%程度なのだという。業種によって偏りがありそうだ。iPadのレジ、クラウド型モバイルPOSが広まったワケ

通信仕様をクローズにするわけにはいかないだろう。つまり誰でも知っている(つまり誰にも盗みやすい)データが暗号化されているとはいえインターネットでやり取りされることになる。クレジットカードや金融機関並の仕様が求められるだろう。これを全国の小売店にあまねく普及させるわけだから、いかに野心的なサービスなのかがわかる。

と、具体的に考えてみると、財務省があまり何も考えずにこうした仕組みを想定していることが分かる。しかも年額4000円の還付の為にこのようなシステムを作るのだ。

反感を持つ人の中からは「国家が国民が何を食ったかまで把握しようとしている。コンピュータディストピアだ」という指摘も出ている。さすがにこれは言い過ぎだろう。しかし朝日新聞が「行動履歴、加工すれば売買可能に 個人情報保護法改正案」という記事を書いている。単に売買可能になるのではなく、個人が許可をしなくても売買が可能になるという点がポイントだ。現在の対象はSuicaなどの交通系カードだ。

こうした法律ができるのは、購買データがマーケターにとって大変価値のある情報だからだ。財務省が意図しているかは分からないものの、政府が収集した購買データは利権の温床になる。全国のほとんどの小売店を網羅する購買データなどというのは、マーケターや学者にとっては夢のようなデータなのだ。小売り業者に設備投資の負担を押しつけておいて、利権を自分たちで抱え込むというのは、なんとなく納得しがたいものがある。ビッグデータの利用には産業促進という側面があるので「いったん集めたデータを利用しない」という選択肢はないものと思われる。

お年寄りにマイナンバーカードを出させてスキミングする人は必ず現れるだろう。面倒な還付手続きを代行してあげますよと言ってATMに誘導する人も現れるに違いない。

最後に江川紹子というジャーナリストが「お母さんがまとめて買い物する家庭では世帯ごとでしか控除が受けられない」と言っている。裏技として家族分のカードを持って買い物に出かける主婦があらわれるかもしれないが、これは成り済ましになるだろう。

言うまでもないことだが、消費税を増税しなければこうした過大な投資も大げさなシステムも必要なくなる。

マイナンバーカードを買い物に持って行かせるのはどうかと思うよ

消費税の還付を受けるのにマイナンバーカードを使わせてはどうかというニュースを読んだ。(Reuter)最初はふーんとしか思わなかった。しかし、やがて「これはまずいんじゃないの」と思い始めた。どこがどうまずいのか説明できないのが、ちょっとやっかいだ。

個人的には、マイナンバーそのものにはあまり違和感がない。アメリカにソーシャルセキュリティナンバー制度というものがあり、なんとなく慣れているからだ。しかし、よく考えてみるとソーシャルセキュリティカード(と言っても薄っぺらい紙なのだが)には名前と番号しか書いてない。つまり、あのカードをIDカードとして使うことはないのだ。それでも番号の取り扱いに注意するように言われる。

ところが、マイナンバーカードには住所と名前が書かれている。おまけにICチップが埋め込まれており、各種の認証にも使うらしい。つまり、あればIDカード+電子キーなのだ。将来的にはオンラインバンキングの認証や個人情報ポータルの鍵に使うらしい。

どこの官庁が主導しているのは分からないが、カードが普及すれば利権が獲得できるのだろう。だから、買い物にマイナンバーカードという発想も出てくるのだと思う。「マイナンバーカードはオトク」と印象付けられれば、広く国民に受け入れられるだろう。そのことでお役所の頭のなかは一杯なのかもしれない。

消費税の還付を受けるために財布からいちいちIDカード+電子キーを出させるというのは、どう考えても危険だ。特にお年寄りなど、なくす人が続出するのではあるまいか。せめて非接触型(FeliCaとかSuicaとか)みたいにはできないものなのだろうか。

民主党はマイナンバー制度に反対していないようだ。だから、この漠然とした不安を質問してくれる野党はない。多分、社民党や共産党は反対だろうが「国民総背番号制度」みたいな極端なことしか言わないだろう。

そもそもお役所に「カードを盗まれたらどうするのか」などと聞いても「セキュリティは万全です」と言うに決まっている。これまでの年金システムのセキュリティの甘さから考えると、ハッキングの専門家を雇って危機対策を行うとは思えない。脆弱性が発覚するのは何か問題が起きたときだろうが、いったん発見されたらその対策費は膨大なものになるはずである。

マイナンバーの情報管理を分散型にして一元管理させないようにすれば、まだ安全性は高いかもしれない。カードそのものには情報は蓄積されないのだが、「ポータル」を作って一元管理するのだそうだ。つまり、いったんセキュリティが破られれば、全ての接触情報がもれなく流出してしまうのである。

このシステムを主管するのはどの官庁なのか、と考えると憂鬱度はさらに増す。いろいろな官庁が縄張りを争って同じようなシステムを作り、システム開発費が膨らむはずだ。日本の官僚システムは縦割りなので、集団無責任体制になるのは目に見えている。その結果、システムのどこかに穴が開いたとしても誰も責任を取らないだろう。中にはシステム開発などしたことない役所もあるだろうからチェックが疎かになり、あまり良心的でないシステム開発業者を使うこともあるかもしれない。

せめて今のうちにITインフラ庁くらい作って責任者を明確にしておかないとまずいのではないだろうか。

改革政党の末路

バブル崩壊後、多くの政党が改革を訴えてきたが、金融危機対策は行われず、財政バランスも改善しなかった。政治家は考え方で結びつくよりも「好き嫌い」を優先させて離合集散を繰り返した。また、国民も改革を継続的に支持しなかった。

日本の無党派層は「嫉妬の感情」によって政権交代に関与してきた。その端緒になったのが1993年の政権交代だ。バブル期に土地や株の値段が上がると、その分け前に預かろうという政治家が増えた。1988年年にリクルート事件が起こり多くの政治家が関与していることが分かると、国民の政治不信が加速した。同じ年に消費税が導入され、翌年に施行された。

国民は当然「自分たちには負担を押しつけるくせに、自分たちは良い思いをしている」と感じる。この「ズルい」という感覚が1990年代に政治を動かす大きな原動力になる。

この流れで出てきたのが、小選挙区制の導入と政治資金規制などの「政治改革運動」だった。バブルが崩壊すると政治改革への期待はさらに高まったが、宮沢首相は自民党の議員をまとめることができなかった。これに反発した小沢一郎と羽田孜が宮沢内閣倒閣に動き、自民党が分裂した。

守旧派になった自民党は選挙で敗北し、1993年に8党連立による細川内閣が誕生し、小選挙区導入と政治資金規制を決めた。しかし、細川首相が「国民福祉税」として消費税を増税する方針を打ち出したことから国民の反発を受け、そのまま瓦解した。

細川内閣の後継は羽田内閣だった。10党1会派による連立だった。しかし、一部に社会党はずしの動きがあったため反発した社会党が離脱した。羽田内閣は少数与党内閣になり、新予算の成立を待って64日で瓦解した。

1994年4月、羽田内閣で統一会派からはずされた社会党と小沢一郎と反目していた新党さきがけが自民党と組んで、社会党の党首を総理大臣に頂く村山政権を成立させた。この「自社さ」の枠組みは1998年の橋本内閣まで続いた。しかし、政権与党となった村山社会党は原発政策、日米安保、自衛隊を肯定する発言を行ったため支持者の離反を招き分裂騒動が起きた。一部の議員は民主党に流れ、社会党は社会民主党に名前を変えた。

この時代はバブルが崩壊直後にあたる。もし早目に手を打っていれば慢性的なデフレ状態には陥らなかったかもしれない。しかし、国民は政治改革に夢中でバブル処理を早くやれという声は上がらなかった。諸政党が乱立し思い切った金融改革は行えなかった。

小選挙区制で少数政党は成立しにくくなったが、社会が複雑になったので有権者の政治的意見は多様化したのだ。このため、諸派が乱立し連立政権を組む過渡的状況が生まれた。民主党が多様な政治的見解の寄せ集めなのは、そのころの名残だ。

当時、特に目立っていたのは「小沢一郎が好きか嫌いか」という理由による離合集散だ。

小沢一郎はもともと、大きな政府主義の田中派に属しており、竹下政権では消費税導入に尽力した。その後、政治改革がブームになると「改革派」「新自由主義者」を自称するようになった。諸派が集ってできた新進党の党首に就任するも党内グループの反発を招き離脱して自由党を設立した。その後、自民党への復党を画策するものの断られ、民主党に接近した。民主党では「地方重視・雇用重視(つまり大きな政府)」へと転向し、民主党2009年マニフェスト(財政裏付けのないバラマキ政策)へとつながった。民主党政権末期に野田政権が消費税増税を決定すると反発して離党した。その後、左派に接近し日本未来の党と合併する。それでも党の勢力は盛り上がらず、政党を維持できない状態にまで追い込まれた。そこで、反核・反原発勢力に支えられて当選した山本太郎参議院議員が入党し、左派政党の党首になった。

これまで何度も「改革」が求められてきたのに、改革政党は長続きしない。これは国民が「改革」を望んでいないのだと考えないと説明がつかない。

TED2のコマーシャルは何を言っているのか

テレビを見ていると突然ヒワイなコマーシャルが流れてくる。聞いていて恥ずかしくなるが、誰も問題にしない。ちなみに内容を翻訳するとこんな感じらしい。最近は英語ができる子供もいるので「お母さん、これどういう意味?」と聞かれないとも限らない。

テッド;ノートPC借りてもいい?
ジョニー:いいよ、どうぞ
テッド:なんてこった!
ジョニー:どうした?
テッド:ポルノばっかりだ!
ジョニー:そのうちキレイにするつもりだったんだ。
テッド:なんて整理方法なんだ。時計回りのリムジョブ(※1)、反時計回りのリムジョブ?
ジョニー:別の方向から舌を回したいときもあるだろ。
テッド:男性器のあるカワイコちゃん(※2)?
ジョニー:オーマイゴッド! 俺は病気だ。だろ? 助けが必要なんだ。
テッド:ジョニー、男性器のあるカワイコちゃんなんていないの、これはオッパイの大きな男なの。

※1 リムジョブとは、オーラルセックスの一つの方法らしい。グーグルで画像検索するとどんなものか分かるが、気持ち悪い画像がたくさん出てくるので、やめたほうがいいと思う。
※2 チックとはひよこの事だがかわいい女性を意味する。グーグルで画像検索するとたくさんのひよこの絵が出てくる。ディックは人名だが、男性器の俗語でもある。

Ted2のCMはYouTubeにたくさんアップされている。早口なので聞き取れない部分もあったが、検索すると文字起しをしている人もいた。

擬似大統領制のススメ

2015年8月30日に国会前で大規模な安保法案反対の集会が開かれた。主催者発表による参加者は12万人だった。野党の党首が4人(民主・共産・社民・生活)が集ったが、必ずしも野党の支持率増加には結びついていない。過去にも盛り上がったデモはあった。2012年に代々木公園に反原発を訴える17万人が集ったのだ。しかし、運動はそのまま失速し、政治状況に影響を与えることはなかった。デモに参加することで達成感が得られたのだろうが、有権者のコミットメントを促す仕組みがなかったのだ。

このような可視化された無党派層は、支持率低下に苦しむ野党にとっては垂涎の的だ。しかし、無党派層の政治参加を促すのは至難の技で継続的な支持獲得に成功した政党はない。

過去、無党派が政治に参加したルートは一つしかなかった。それは「改革」を通じて風を起す事だ。しかし、実際には人々は改革を支持しているのではない。自分たちを出し抜いて儲けようとしている集団に対して、罰を与えるために反対勢力を応援するのだ。罰せられた相手が苦しむのを見ることには社会的報酬があるのだろう。負のコミットメントはあるが、長続きしない。

しかし、有権者が正のコミットメントを持ちたくても、現在の選挙制度はそれを許さない。

現在の選挙制度には問題がある。そもそも小選挙区制で選択肢が少ない上に、有権者が地元の議員を応援してもその議員の主張が必ずしも受け入れられるとは限らないのだ。自民党にはTPP賛成派の議員もいれば、反対派の議員もいる。数の上では反対派が多いのだが(反対議員連盟には240名の参加者がいた)トップが賛成の方針を決めるとそれに従わざるをえなくなった。民主党の中にも護憲派と改憲派がおり、どちらが優勢になるかはそのときの党内情勢次第だ。それぞれに純化運動があり党が割れかねない状態が持続している。

普段から政治的な意見を政治家にとどけるという手はある。しかし、政治家にとっては「個人のご意見」に過ぎない。たいした達成感は得られないのだ。社会的なコミットメントがなければ、継続的な政治参加は望めない。

そこで、有権者が直接党首を選ぶように仕組みを変えてみてはどうだろうか。党首候補者は常にツイッターなどを通じて自分の意見を主張し、これをフォローする仕組みを作る。党首選に参加したい有権者は1000円程度の年会費を支払い一人一票で党首を選ぶ。1000円(あるいは100円でもいいのだが)という負担のないコミットメントは大きなコミットメントにつながる。これをフットインザドアと呼ぶ。

これはAKB48総選挙の仕組みと同じだ。「党首」を選ぶ過程を通じて、政策のセンターを選ぶのだ。野党はプロダクションのようなものだ。AKBも同じように複数のプロダクションの集まりである。バラバラに唱っていたのでは今のようなプレゼンスを得ることはできなかっただろう。

この方法を使えば、野党再編は必要なくなる。AKBを応援するのに指原莉乃がどこのプロダクションに所属しているかを気にする人はいない。

無党派の政治参加が増えて野党連合が議会の多数派になれば、行政府の長を選ぶ擬似大統領制が憲法改正なしで実現するだろう。

現代の政党は幅広い総合デパート型でないと生き残りができない。すると政策の差は縮まり、同じような政党が複数できることになる。で、あれば何らかのイノベーションを起こしてプロセスを改善するしかない。直接の投票で有権者の声を政策に繁栄できる仕組みができれば、優位性を獲得することができるだろう。

民主党はやっぱりバカなのか

ツイッターを見ていたら「民主党を解党して、自民党に代わりうる政党を作るべきだ」という民主党議員のつぶやきを見つけた。バカなのではないか、と思った。

自民党と政権交代するためには、自民党とは違うポジションを見つけなければならない。自民党とはどのような政党なのだろうか。

自民党はもともと親米・自由主義の政党だった。田仲角栄の時代に社会党の支持者を取り込むために「大きな政府」領域に進出した。大きな政府とは手厚い福祉と公共事業の実施だ。さらに、権力闘争の過程で利権を持った勢力を駆逐するために、大きな政府政策を維持したまま(つまり福祉を削らずに)小さな政府路線(つまり道路・郵政の民営化と派遣の拡大)を取った。

野党時代にネット右翼層を取り込んだ。ネット右翼層は中国や韓国が経済的に日本に追いつきつつあることに焦っているのだが、見下したり否定することで相対的な日本の国力の低下を直視することを避けている。ネット右翼は、一言で言えば「政治的な正しさと複雑さ」に疲れた層だ。彼らは「日銀の独立性」や「立憲主義」といった制限をなくせば、心配事は消えると思っている。

民主党は時々の自民党の対抗軸が堆積してできた政党なのだが、自民党そのものが揺れ動いていたので、同じように矛盾を抱えた政党になった。

自民党政治を支えているのは国民の「変わりたくない」「面倒なことには関わりたくない」という気持ちだ。安倍首相の人気を支えているのは「面倒なことは考えなくてもいい」というあけすけなメッセージなのだ。

現在焦点になっている集団的自衛権の問題について語るのは意味がない。日本政府には軍事に関する支配権がないので、国会で議論するだけムダだ。日本政府は予算をいくら与えるかという権限はあるが、軍事外交方針に自己決定権はない。これをを取戻すためにはアメリカと向き合う必要があるが、日本の政治家にそのような度胸があるとは思えない。与野党含めて軍事的な主権がないことを「見ないフリ」をしているし、国民もそれを黙認している。

政界地図

政党にとってのブルーオーシャンは残っている。一つは国家に庇護してもらうことを諦めてグローバルな自由競争社会への適応を目指す領域だ。自由主義領域(あるいは小さな政府領域)と言ってもよい。しかし、その為には国民を説得する必要がある。大阪系の維新はその領域を狙っているように見える。

もう一つは、非正規の人たちを取り込んで「自分たちの問題に向き合うべきだ」と説得する方法である。しかし、この層の一部は「偉大な国家や民族」という幻想に浸ることで自分を満足させている。また、ある一部は経済的な不満や将来への不安を直視しないで、別の形で政府が間違っていることを証明したがっており、それが反原発運動や戦争反対運動の原動力になっている。どちらも、不満や不安をぶつけやすい相手に投影しているに過ぎない。この層を取り込むためには、政治運動に参加してもらわなければならないが、まず現実の問題を直視するように説得するところからはじめなくてはならない。

現在、政治家も国民も「見て見ぬ振り」をしている。相手に変われという前に目を見開いて目の前の状況を直視するべきだ。それができるまでは何度解党しても国民の支持を得ることはできないだろう。

民主党は寄せ集めの部品でできた時計のようなものだ。それを壊しても組立て直しても、動かない時計ができるだけだろう。

自衛隊は戦前の陸軍と同じ仕組みで暴走するだろう

自衛隊の統合幕僚長がデンプシー統合参謀本部議長と会談した際に「自民党が選挙で勝ったから、安保法案は2015年の夏までに成立するだろう」と語った件が参議院で問題になっているらしい。関連して、ツイッター上には、デンプシー統合参謀本部議長と河野克俊統合幕僚長が握手する写真が流れてきた。この写真を見て「自衛隊は戦前の軍隊と同じ仕組みで暴走するんだろうなあ」と思った。と、同時に日本人にはこの暴走を止める手だてがないのだなあとも考えた。

戦前の日本には国民が軍隊を制御する仕組みはなかった。日露戦争で出費が嵩み、国民の不満が爆発したので、慌てて選挙権を拡大したが、それでも国民の半数(つまり女性)は選挙権が得られなかった。

理論的には天皇が統帥権を持っていた。だが、実際には暴走を止める事はできなかった。日本の権力構造は「中空」になっていて、誰も責任を取らない体制が伝統的だからだ、などと言われることがある。

日本の陸軍は政府から独立していたから暴走した。

military一般的には、現在の自衛隊はシビリアンコントロールが働いているから安心だと考えられている。ところが、自衛隊は米軍と一体化している。つまり、自衛隊は二つのコントロール経路を持っていることになる。一つは米軍で、もう一つは日本政府だ。

この二つが相矛盾なく成り立つ為には、両者の意思が完全に一致してなければならない。だが、異なる二つの主体がいつも完全に一致するなどということがあり得るだろうか。

自衛隊の統合幕僚長が米国の統合参謀本部議長と握手をしている写真を見たときに思ったのは「自衛隊は心理的に米軍に取り込まれているのだろうなあ」というものだった。これは、大手企業とやりとりをしている出入りの業者の営業マンに見られる心理状態だ。

本来営業マンは自分の出身会社の利益を守るために行動するはずなのだが、大手企業に出入りしているうちに、あたかも自分が大手企業の一員であるかのように行動しはじめる。その方が大きな仕事ができて気分がよいからだ。同じように自衛隊も「軍隊以下の存在」と思われるより「世界一の軍隊の一部」として扱われた方が気分がいいに違いない。

米軍に監督されている自衛隊が単独で暴走することはないだろう。問題なのは内閣の方針と米軍の方針が衝突した時だ。そのとき自衛隊は米軍に背き、国民の味方をしてくれるだろうか。米軍にとっては、自衛隊に日本政府と日本国民を鎮圧させ、自分たちに都合のよい政府を樹立するほうが手っ取り早いし、自衛隊にとってもその方が心地よいのではないだろうか。つまり、自衛隊は日本人を鎮圧する動きをするだろう。

法律などどうにでもなる。そもそもイラク戦争を見ても分かるように、日本の内閣はイラク戦争で米軍と自衛隊が一体化する状態を黙認し「確認のしようがない」と言っている。実際には支配権がないのだから確認しても責任の取りようがない。加えて日本国民一人ひとりはこの件に関して部外者だとされているので、国民が違憲裁判すら起すことができない。立憲主義はあってなきがごとしなのだ。

つまり、戦前と同じように日本政府は自国の軍隊に対する支配権を持っていない。今回の安保法制はその状態を追認しているに過ぎない。

このような事態を避けるためには、日本国政府は「あたかも自分たちが支配権を持っているかのように振る舞う」しかない。一方、野党も内閣を追求すれば事態がコントロールできるというフリをするしかない。もし逆らえば傀儡であることがばれてしまうからだ。過去の歴史を考えると、この動きはどうにかしたほうがよい様にも思えるし、恐ろしさを感じる。しかし、安倍政権を攻撃してみても仕方がないことだとも思える。内閣も議会も単なる予算の担い手、つまりは単なる金づるにしか過ぎないからだ。

ファッションデザイナーと工芸デザイナーの誕生

gdp-europe産業革命はイギリスで1760年代から始まった。植民地からもたらされる豊富な資源と農業から解放された労働力などが背景になっている。このころからヨーロッパは急成長を始めた。サミュエル・ハティントンはgreat divergenceと呼ぶ、結果、豊かな中産階級が生まれた。

衣住のデザイン化はこのような豊かなヨーロッパで成立した。

1815年頃、アメリカから綿が豊富に流入しテキスタイルの機械化が進んだことで、ファッションの近代化が始まった。

1839年〜1841年頃にトーマス・クックが鉄道による団体旅行を思いついた。ヨーロッパ旅行が一般化しつつあった。トーマスクックは1851年に開かれた第一回ロンドン万博への団体旅行を成功させた。ロンドン万博は、工業化とデザインの祝典だった。

1860年に中産階級向けに服をデザインしていたチャールズ・フレデリック・ワース(シャルル・フレデリック・ウォルト)が、メッテルニッヒ公爵夫人に予めデザインした服を売り込んだ。これが皇后の目にとまりパリで評判になった。ワースのデザインは海外から観光客を呼び寄せるまでになる。ワースがオートクチュールを始めるまでデザイナーはいなかった。消費者が「生地を買い」「装飾品を選び」「仕立て屋に行き」「お針子に仕立てさせる」という作業を行っていた。

ビクトリア朝のイギリスでは産業革命の結果、安価な日用品があふれた。ジョン・ラスキンは職人と手工業の復活を唱え、ウィリアム・モリスに支持された。1861年にモリスは生活と芸術の一致を目的にしたアートアンドクラフツ運動を提唱し、さまざまな実践活動を行った。自然界のモチーフを取り入れたデザインが有名だ。モリスはその後、社会主義に傾倒した。

イギリスではモリスの運動は支持されなかったが、大陸に受け継がれた。その結果、フランスでアールヌーボーが花開いた。モリスのデザインも取り入れられたが、社会主義的なイデオロギーは引き継がれなかった。ガラスや鉄といった近代的な素材が取り入れられ、自然界のモチーフが多用された。デザインは次第に過剰になりグロテスクな造型も生まれた。

1890年代のフランスはベルエポックと呼ばれ、ロートレックのポスターがパリの街を飾っていた。

1892年にバルセルミー・ティモニエがミシンを商業ベースに乗せ、アイザック・シンガーがミシン業界を席巻した。工程の分業化が進み、デパートで注文服を受け付けるようになった。

1893年にシカゴで万博が開かれて、アメリカでもデザインが生活に取り入れられはじめた。アメリカでは雑誌が牽引役になった。雑誌は競争が激しく付加価値競争が起こったからだ。1900年頃には広告の取り扱いが9500万ドルになった。広告代理店が生まれ、広告スペースが売買された。

このように、純粋な芸術を暮らしの中に取り入れようという応用芸術の動きは万国博などを通じて海外にも広がった。1919年にはドイツにバウハウスが作られた。バウハウスでは先生は教授ではなくマイスター(職人)と呼ばれた。工芸と芸術を統合させようという努力が見られたのだ。イギリスではアーツ・アンド・クラフツ運動は実業家と結びつかなかった。フランスは豪華な手作業にこだわり芸術が大衆デザインにならなかった。ドイツだけが近代デザインに目覚めた。デザイナーという職業はこの頃のドイツで誕生した。

1929年に大恐慌が起きた。バウハウスはその後共産主義化し、審美性もなくなった。バウハウスはナチスに敵視されて1930年代に閉校させられた。

安価な装飾デザインが手に入るようになると、アートの世界では揺り戻しの運動が起きた。1960年代にアメリカを中心にミニマリズムという運動に発展した。

1960年代にはファッションがさらに「民主化」された。

1959年にピエールカルダンがプレタポルテ(既製服)を作り、高級だった服装を普通の人が買えるようになった。1965年にイブ・サンローランがプレタポルテのブティックを開店した。ジョルジョ・アルマーニは1975年に自身の会社を設立したが、その服装は斬新すぎてイタリアでは受け入れられなかった。アルマーニの服装を受け入れたのは、俳優やアーティストといった人たちだった。これがアメリカの高級デパートで扱われるようになった。1980年のアメリカン・ジゴロでリチャード・ギアが着たことで世界的に有名になった。

しかし、一般にファッションが広まると、ファッションの差別化効果は弱くなった。21世紀に入ってすぐユニクロのような「ファストファッション」という形態が一般的になった。ファストファッションは日本だけの現象ではなく、ヨーロッパやアメリカでも流行している。ついには「究極の普通」を目指すノームコアというスタイルが流行するまでになった。

参考
– グラフィック・デザインの歴史 アラン・ヴェイユ
– ファッションの歴史(下巻)J.アンダーソン
– ジョルジオ アルマーニ 帝王の美学
– ヨーロッパのGDPの推計は経済歴史学者Paul Bairochのもの。Wikipediaから引用

デザイナーなんかいらない – オリンピック・エンブレム騒動

佐野研二郎氏のデザインした五輪エンブレムが使用中止なった。ネット上にはこのオリンピックは呪われているのだから、開催を辞退したほうがいいのではないかという意見があふれた。

1964年の東京オリンピックは高度経済成長のきっかけになった出来事だった。オリンピックを応援する人たちは、過去のオリンピックを再現して、勢いのあった高度経済成長時代を再現したいと願っている。その証拠に、「オリンピックのエンブレムには1964年のものを使うべきだ」と主張する人もいる。

次にどのようなエンブレムができたとしても、それは「あの」オリンピックロゴと違っている。それが人々を不機嫌にさせるだろう。このままでは2020年のオリンピックは1964年の壮大なパロディーになってしまうだろうが、多くの国民はそれを望んでいるのかもしれない。

オリンピック・エンブレムの選定は大手広告代理店が仕切ったようだ。そこで、広告代理店は自分たちに使い勝手がよいデザイナーを選んだのだろう。彼らが重用したのは、修正に対応できる「小回りのきく」アートディレクターだった。その小回りとは、多くの無個性なデザイナーを使って、世界各地から集めてきたデザインをコピー・アンド・ペーストすることだったのだ。日々消えて行く広告デザインを量産するにはこれが最適な方法なのだろう。

では「コピペ」は悪いことなのだろうか。必ずしもそうはいいきれない。

広告代理店のデザインについての考え方は、ユニクロに似ている。ユニクロは会社のロゴマークや過去のアート作品などをTシャツにコピペして、それを「デザイン」と呼んでいる。だが、それを問題だと考える人は誰もいない。

ユニクロのデザイナーが「クリエイティビティ」を発揮したらどうなるだろうか。たちまち仕事を失うに違いない。ユニクロは、流行っているデザインを取り寄せ、それを単純化することで、大量生産を成り立たせているコピペビジネスだ。洋服は単なる部品なのだから、それでも問題にはならない。

五輪エンブレムも各種広告やグッズなどの「横展開」が重要視されていたようだ。エンブレムも単なる部品なのだろう。

では、いったい何が問題だったのだろうか。それは佐野氏の名前が「クリエーター」として前面に出てしまったことだ。

もし、ユニクロのデザイナーが「自分がクリエーターだ」と主張したら、どのような騒ぎが起こるかは目に見えている。さらに「このTシャツはオリジナルなのだから10万円払え」と言えば、単に嘲笑されるだろう。仮にオリジナルデザインのTシャツを作っても「見た事がない」「違和感がある」「気持ちが悪い」と敬遠されるのではないかと思う。

ユニクロのデザイナーがバッシングを受けないのは、彼らが無名で、デザインに付加価値があると訴えないからだ。だから、オリンピックのデザイナーも無名でなければならない。その証拠に、五輪招致ロゴは何のバッシングも受けていない。

そもそも、このオリンピックは1964年の模倣なのだ。つまり、2020年のオリンピックは壮大なコピペなのだから、このオリンピックにはクリエーターなど存在してはいけないのだ。

さて、本文は以上なのだが「それでもデザイナーは必要とされているのではないか」と考える人もいるのではないかと思う。むしろ、プロのデザイナーや「日本を発展させたい」と考えている人はこの問題を真剣に捉えるべきだろうし、現在の状況に反発心を持たなければいけない。デザインが重要視されない世の中で、デザイナーの存在儀を考えるのはなかなか難しいのだが、いくつかヒントになることはある。

デザイナーがどうやって誕生したかについては、多くの記録が残っている。例えば、過去に書いた記事が参考にして欲しい。グラフィックデザイナーは、アートを工芸品に取り入れることによって生まれた職業だ。また、ファッションデザイナーの誕生について書いた記事も参考になるかもしれない。

デザイナーはいろいろな要素があって成立する職業だ。まず装飾を許容する豊かな「場所と人」がまとまって存在する。そして、テクノロジーが発達して装飾がこれまでよりも安く供給できるようになる。そして、それをメディア(新聞、雑誌、映画、万博、デパートなどなど)が中間層に伝える。最後に中間層がそれを模倣するのである。

つまり、余剰(豊かさ)こそが、デザインを支えている。だから、人々が藁のようにすがりついているオリンピックでデザイナーが必要とされないのは、むしろ必然だと言えるし、デザイナー叩きがネットの安価な娯楽になっている状況は憂慮されるべきなのだ。

ヨーロッパのデフレと日本のデフレ

前回のエントリで日本のデフレの歴史をおさらいした。バブル崩壊の後始末に失敗したせいで景気が減速した。デフレが顕在化したときには既に遅く、そのまま20年もデフレが続いた。金本位制がなくなってからこれだけ長期化したデフレはない。そのために、どのような仕組みでデフレが起こったのかが分からず、対策が取れなかった。

2014年にヨーロッパでもデフレの兆候があり、クルーグマンは「日本だけの特異な現象ではなかったようだ」と言い「日本に謝罪」した。もし、このままヨーロッパが長期デフレに入れば、日本も参考にできたかもしれない。しかし、実際には長期デフレにはならなかった。いろいろなところに書かれている顛末をまとめると次のようになる。

リーマンショックのあと、2009年に政権交代が起きたギリシャで粉飾決算が露呈した。その後、ユーロ危機が起こり、ヨーロッパ各国は緊縮財政を実施し、競争力回復のために雇用規制を撤廃したので失業率が増えた。優良企業は成長している新興国に退出し、穴埋めに安い労働力である移民が入ってきた。このため、若者に職場がなくなった。ユーロゾーンで値下げ競争が起こった。スペイン・ポルトガル・ギリシャが先行した。このため、2014年に入ってデフレ懸念がささやかれるようになった。各国が金融緩和(ユーロの増発)を求めたがドイツが反発した。しかし、2015年1月にECBが国債の買い入れを決定。量的緩和を始め、7月頃には物価が上向き始めた。どうやら長期デフレには入らなかったようだという観測が流れた。

賃金の低下(日本は中国の安い商品の流入や非正規雇用化によるが、ヨーロッパは移民の流入による)という共通点はあるが、ヨーロッパは短期間に手を打った点が違っている。また、ヨーロッパでは民間への貸し付けが堅調であり、日本とは状況が異なっている。長期的にデフレ状態にならなければ、投資意欲はそれほど衰えず、金融緩和策は有効ということなのかもしれない。

以下、ヨーロッパと日本の状況を数字で比べてみたい。ヨーロッパの状況は日本に比べると「たいしたことない」ように思える。また、日本でも民間部門の借り入れやGDPデフレータの伸びは始まっているので「アベノミクスの効果が出ている」のか、と思わせる。一方で物価は上がっておらず、実質賃金も(ここにはグラフがないが)伸びていない。時間差によるものなのか、影響が及ばないのかは今のところはよく分からない。

日本の株価。バブル期の株価がいかに異常だったかがわかる。小泉政権下で少し上がり、民主党政権下では顕著に下げた。株価下落の原因はリーマンショックなので民主党のせいにするのはかわいそうだが、株価を上げられなかったのも事実だ。アベノミクスの影響で株価は回復基調にある。


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企業収益のグラフ。リーマンショックの影響の大きさが分かる。しかし、それ以外の時期では順調に収益が上がっている。


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「民間部門へのローン」というグラフ。企業業績は堅調だが、投資意欲はデフレ開始時期に下がったまま、最近まで上がらなかった。比較に使ったのはヨーロッパ。堅調に伸びていることが分かる。ただし国ごとにかなりグラフの形が異なる。日本の貸し出しは最近になって回復傾向にある。リフレ派のシナリオ(「インフレ期待が強まると投資が堅調になる」)が裏付けられている。


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一方、小売りの売上げ(前年比)は成長が止まっていることが分かる。ヨーロッパはユーロ危機以前は成長していた。しかし、ユーロ危機以降、成長が止まり売上げが落ち込んだ。


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日本の物価(CPI)とヨーロッパの物価(CPI)の変化を調べたもの。ヨーロッパの物価は2014年頃から伸びが止まり、このレベルで「日本型のデフレに突入するのではないか」と騒がれた。日本は20年程物価が上がらない状態が続いており、第二次安倍政権になってはじめてCPIが上昇したが、これは2014年4月の消費税増税によるものだろう。1997年にも物価が上がった時期があるがこれは消費税が5%に上がったからだ。


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中国の物価は変動が激しい。特にニュースにはなっていないが、中国の人たちはどうやって凌いだのだろうか、と疑問になるレベルだ。1990年代の中国には中央銀行制度がなく、地方政府の言うままに通貨を印刷していたのだそうだ。


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日本のGDPデフレータは、デフレが顕在化した1998年頃から最近まで落ち込んでいた。日銀は何回も対策を打ったが効果はなかった。安倍政権になってからは上向き傾向にある。


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ギリシャは大幅にGDPが落ち込んだのだが、デフレータの落ち込み方で見ると日本と良く似たカーブを描いて落ち込んでいることが分かる。

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