政治的な黄昏を生きる我々は安倍政権批判も政府批判もしなくなった

昼間のワイドショーがおかしなことになっている。もともと「韓国が日本に逆らっている」という話だった。それが「韓国のスキャンダル隠しだろう」ということになり、そのスキャンダルとはチョ・グク氏の疑惑だということなった。




ただ、チョ・グク法相候補の国民審査会(要は記者会見のことだ)くらいから疑惑そのもの報道するようになり、記者会見や野党の審査会の話をやりだした。ある人は韓流ドラマのようだといい、別の人はなぜこんなものに日本人は関心を持つのかと困惑している。メディアが視聴率に編集権を譲り渡したために自分たちが何のために何を報道しているのかがわからなくなっている。

この絵面がロッキード事件に似ているなと思った。小佐野賢治の「記憶にございません」が流行語になるほど注目された事件なのだが、視聴者は事件そのものではなく右往左往する関係者たちを楽しんで見ていたのだろう。この手のワイドショーを見ているのは高齢者なので昔のようなニュースを懐かしんでいるんだろうなあと思った。例えていえばサザエさんを見ているような感じである。

ではロッキード事件時代と今の違いは何だろうか。ロッキード事件が騒がれたのは政治家や国のリーダーは清廉潔白でなければならないと信じられていたからである。つまり政治家に期待値がありそれが裏切られたから騒いだのだ。だが今の人たちは安倍政権にそのような期待は抱かない。いろいろやってみたが「結局ダメだった」から行き着いたのが安倍政権だからである。我々は政治に期待しなくなったし日本の先行きに確信を持てなくなっている。

もともと、ワイドショーの目的は世間の敵を作って処罰することにある。つまり報道ではなく人民裁判ショーか古代ローマのコロシアムだ。ただ、そのためには次から次へと敵を作り出さなければならない。ただ、それができるのは「自分たちの生活はまともに機能しており、これからも機能し続けるはずだ」という確信があるからだ。

例えば高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違えて事故を起こしたとする。テレビはこれを悪者として裁こうとするのだが、考えれば考えるほど扱いが難しくなる。老いて行く自分たちを見つめなければならなくなるからだ。視聴者の不安と番組の中の出来事がリンクしてしまうと、ワイドショーこのコロシアム性がなくなる。つまり観客席とコロシアムの間の敷居が消えてしまうのである。

最近、統計不正について報じなくなった。国民の側に「頑張ればなんとなかる」という見込みがあれば政府批判をしているはずである。ところが「この先日本には見込みがない」という認識を持っているとそれができない。「落ち目の国に暮らす」という現実を見ないためにはテレビの電源を落とすしかない。だからテレビはこの話題を扱わなくなった。

最近、アルゼンチンでまたデフォルト騒ぎが起きているそうだ。アルゼンチンでは統計のごまかしが横行しているという。だが、そうした国はアルゼンチンだけではない。日本もよくあるありふれた罠にはまっているだけだ。特別な国ではなくなってしまったのである。

もっともこうした強引な統計手法の駆使は、トランプ氏が先駆けというわけではない。中国政府は、GDPを引き上げ、公害汚染関連データを押し下げる方向で算出していると長らく批判されてきた。さらに最近は、民間機関が不動産価格や景気動向のデータ公表をしないよう指導しているもようだ。インドやトルコ、アルゼンチンの当局も、統計を良く見せるため計算方法を変更したと後ろ指をさされている。

コラム:恣意的な統計作成に潜む「危険な罠」

外交も行き詰っている。ロシアを訪れている安倍首相がプーチン大統領にへつらうような発言をしたがプーチン大統領は薄ら笑いを浮かべただけだったそうだ。さらにプーチン大統領は歯舞の式典にわざわざビデオで参加したそうだ。歯舞の人口だけを見ればロシアから見てそれほど重要な地点とは思えない。日本を挑発するためにわざとやったのだろう。日本などどうでもいいとロシアは考えており、我々もまた「あの総理では仕方がないな」と考えるのでそもそもニュースにならない。

だが、これを特に報じた新聞社が二つあった。読売新聞と産経新聞である。

安倍首相はプーチン大統領と親しいというが、会談を重ねた結果がこの仕打ちである。島を返さず、日本から経済的実利だけ引き出そうとするプーチン政権の正体を認識しなければならない。安倍首相は首脳会談など開かず、さっさと帰国した方がよかった。

【主張】日露首脳会談 どうして席に着いたのか

朝日新聞や毎日新聞は「外交の安倍」などという言葉は信じていないのでこんな書き方はしない。日経新聞も含めて淡々と建前の会話を伝えているだけである。逆に産経新聞は外交の安倍という言葉をまだ信じていて日本に国力や外交交渉力があると信じているのだろう。だから席を蹴って帰れと言った。つまり批判は期待の表れである。だが、もうすぐ産経新聞もそれを言わなくなるだろう。

最近の世代は「中高年はなぜ政府・政権批判ばかりするのか」と反発しているという話をよく聞く。それは実は日本には実力がありそれが発揮できていないと感じていたからである。つまり日本に期待があったのだ。

しかし、日本に期待がなくなると何も言わなくなる。言っても無駄だからである。現在の世代はそもそも「日本が衰退する」という予言に呪われて生きているので批判が受け入れられない。あるものは政治に全く関心を寄せなくなり、あるものは極端な擁護に走る。我々は政治的な黄昏という新しい時代を生きていることになる。民主主義に何の期待もしなくなった社会である。

GHQ占領下でリベラル政権を潰したのは誰だったのか

占領下中道政権の形成と崩壊―GHQ民政局と日本社会党を読み終わった。後半の片山政権崩壊と芦田政権崩壊の部分である。




この本には二つのラインがある。一つはGHQの民政局のラインである。ケーディス民生局次長はニューディーラーであったそうだ。彼が日本の議会政治に積極介入し憲法改正を主導し片山政権を作り上げた。つまりここでいうリベラルとはアメリカ民主党のことであり、戦前の立憲政治でもソ連の影響を受けた共産主義でもない。そして片山政権はこのケーディスのラインに乗った。

ところがこの積極介入は思わぬ副作用を生んだようだ。この本には全く書かれていないのだがケーディスが昭和電工事件で汚職に関わっていた疑いが持たれているのだそうだ。それを暴いたのがG2であり、G2と吉田が近かったので「G2とGSの対立が吉田政権を作った」という評判につながったようだ。この本ではマッカーサーの使者としてアメリカに送られたケーディスが、衆議院選挙の結果に絶望して密かに職を辞したことなっているが、Wikipediaは昭和電工事件が露見しそうになったので身を引いたような書き方がしてある。

いずれにせよ、政治経験のあまりない人が議会の緊張から解き放たれて「好きなように国が作れる」となった時、舞い上がらないはずはないと思う。いつの間にか「僕の国ごっこ」になってもおかしくない。

この本では日本の憲法は日本の議会が作ったことになっている。押し付け憲法論が政治的課題になって共有される前の本なので特定の立場を強化するためにあえてそう書いたというものではないのだろう。

ケーディスは途中退場なのでそのあとの歴史検証でメディアに登場した時いささか無責任な対応をしているようだ。例えばこの古森インタビューはのちに改憲派によって好んで使われるようになった。各国の憲法を寄せ集めて突貫的に作られたという話になっているからだ。男女同権にしても若い女性のアイディアが採用されという経緯があるようだ。日本側も「この好ましい女性が書いたんだったら採用してもいい」と応じたという逸話があるそうだ。「あまりにも軽い」と考える人がいても不思議ではない。

いずれにせよケーディスは途中退場させられ民政局も縮小された。あまり日本の政治に深く関わらないようにというわけである。本国でもニューディーラーの影響力が失われて、代わりに社会主義者のようなレッテルが貼られ、最終的に「赤狩り」議論が行われるようになる。段階的な社会主義排斥運動はやがて「マッカーシズム」と呼ばれた。

ところがG2はその後吉田経由で日本の政治に口出しをしたわけではないようである。アメリカは「GHQが日本の復興プロセスに過度に関わらないように」という指示を出し、その後日本は吉田のもとで経済復興路線を歩むようになる。

アメリカの共産化への懸念が何だったのかはよくわからないのだが、アメリカ側の文脈から見ると民主党が推し進めようとしていた「社会保障・公民権・労働組合監視の撤廃」に対する共和党(企業)と南部民主党(黒人差別派)の揺り戻しだったのだと思う。つまり世界各地で労働者たちの反乱がありそれが最終的に本国の既得権益層を脅かすのではないかという懸念があったのではないかと思うのだ。

ところが、アメリカの政策変換があったからといって日本が吉田政権になった理由を説明できるわけではない。アメリカは日本の政治からは手を引いてしまうからだ。つまり、アメリカは民政局の過度の関与がなくなっただけで、日本の有権者が望めば引き続きリベラル政権が存続していたはずなのだ。ところが、有権者は一度は社会党を支持するが経済混乱は収まらず有権者は中道路線に飽きてしまう。最終的に議会が選んだのは吉田政権だった。第二次吉田内閣は民自党(のちに自由党)の単独政権だった。つまりGHQの態度変容が日本の政治を変質させたわけではない。もともとあった理想主義的な流れが取り除かれただけなのである。

吉田政権のもとで下野した社会党はこの時から迷走を始める。もともとGHQはアメリカ民主党的な社会民主主義路線は容認していたが共産化につながる過激な運動には警戒をしていた。つまり日本の社会主義者とアメリカの社会主義者にはズレがある。そのズレからはみ出した人たちが「左派」と呼ばれていた。

左派は政権からも排除され党内野党を形成する。閣外に出たことでこの対立が表面化し「大衆路線」か「階級闘争路線」かでもめたようだ。この間を取る形で大衆階級路線という理屈が考え出される。つまり中間層は遅れた階層であり、啓蒙・解放されるべき階層であるという「上から目線」の理屈を作って内向きに混乱を収めたのだ。

こののち、逆コースをたどる保守はそのうち日本を再び戦争(つまり第二次世界大戦のような戦争)に導くぞというような思い込みに支配されることになる。朝鮮戦争は現実的な危機だったのでこれが一定の説得力を持ち、安保闘争でも一定の成果をあげる。

その後は「自分たちも参加して作った憲法によって得られた平和を維持するためになんとしてでも改憲を阻止しなければならない」という護憲路線をとるようになる。一方で政権に関与することがなくなったので「極端に理想主義的な平和主義」と「大衆が社会党を選ばないのは啓蒙されていないからであろう」と独自の世界観を形成してゆく。左傾化というより浮世離れしてしまったのだ。

その後も現実路線と理想主義の間を揺れ続け村山政権が誕生するまで政権を取ることはなかった。そして現実に政権に関わったことで瓦解した。村山首相は左派だったので、左派による中道化(左派から見れば右傾化だろうが)というわけのわからない状態になり、左派も右派も離反してしまったのである。

1955年体制の社会党は自民党政治の不信任の度合いを示すバロメータにはなったが政権を期待されたことは一度もなかった。日本人は「リベラルな政治」を信じない。社会党は「既存政治へのブレーキ」としてしか機能してこなかったのだ。ブレーキはやがて磨耗し今歴史から消えつつある。だが皮肉なことに民主党系の野党に残っていてあまり意味のない軋轢を作り出している。

占領下で社会党政権をつぶしたのは有権者だった。だがそのあともブレーキとして利用され続けており、今も民主党各政党で「絶対に与党には協力しない」というブレーキの役割を果たしている。しかしブレーキとしてのみ存在しているうちに現実対処能力を失い政権奪取をきっかけになんども崩壊を辿る運命を背負わされてしまっているのである。

変わらない国日本で本格的なリベラル政権が生まれることはない

前回GHQが片山哲に肩入れした政権を作ったという様子をみた。これついて書かれているウェブサイトは少ない。いくか文献を当たらなければならないようだ。仕方なく「占領下中道政権の形成と崩壊」という本を借りて読み始めた。今、片山社会党政権ができたところまでを読んだところだ。社会党なのに左派政権ではなく中道と書かれている。保守政党は右寄りと見なされており共産党が左派だったからである。




これまで社会党や共産党は憲法改正プロセスには大して関与していないと思っていたのだが、どうやら制憲過程にはかなり積極的に参加していたようだ。社会党は当時第3党だったが第2党との間の差はわずか1名である。保守も社会党などを巻き込むことにこだわった。このため社会党と共産党はのちに護憲勢力になる。一方、自民党から護憲勢力は消えてしまいいつの間にか改憲政党だということになってしまった。この時の合意に加われなかった人たちがのちに党内抗争で勝ってしまったからである。

日本にはフランス人権、民本主義、キリスト教系人道主義というような伝統が戦前からある。ところがこの「美しい伝統」が庶民に支持されることはなかった。社会党が躍進したのは有権者が終戦直後の混乱を嫌ったからのようだ。社会党は第1党にはなったが過半数は取れなかった。そこで片山政権を作るためにはGHQが「ある介入」をしなければならなかった。

結局、片山政権・芦田政権も継続的な支持を得られなかった上に、最終的には疑獄事件で瓦解している。このパターンは繰り返し戦後政治に登場する。村山政権も自民党に取り込まれて社会党が分解されてしまった。最後は民主党政権である。これも最終的には瓦解して分解した。つまり「変化をもたらす政党」は日本では継続しないのである。

有権者の立場から見ると、リベラル系政権というのは「既存政権に対する不満のはけ口」でしかなく継続的な応援の対象にはならない。日本人は普段はメインストリームの政党を支持しそこからなんらかの利益を得ようとする。メインストリームに不満がたまっても個人で異議申し立てをしたり協力してデモを起こしたりはしない。彼らに対抗するために「反抗勢力」に力を与える。「後はご勝手に」というわけだ。

ところが変化を求める政権が長期政権になることはない。変化を求める政権は必ず内部対立が起きて最終的には分解してしまう。するとそのあとまた同じような政党政権が復活するのだが、有権者はなぜか満足してしまい何も言わなくなる。

つまり日本人にとってリベラルとは「嫌がらせ」なのである。

日本人は利益源がはっきりしている時にはそれを守ろうとして組織対立に慎重な姿勢を見せる。だからメインストリームの政権は崩壊しない。一方、変化を志向する政党はやがて確実に党派対立を起こす。日本人は話し合って何かを変えることができないのである。民主党がその後分裂したことを見てもそれは明らかだろう。

結果的に日本人は変化をもたらす「革新政党」を認めない。日本人が見せるのは本質的には変わっていないようにあたかも変わったかのように見せることができる政党だけだ。「我々は変わった。もうあれは過去のものになった」ということで変化しなくて済むからである。日本人は変化さえ変わらないために利用しようとする。

日本人は徹底的に変化を嫌うのでリベラル・革新政権というものは存在しえないということがわかった。その日本人が変化し続ける政治を見ると「民主主義が機能していない」という感想を持つ。日本人にとって変化とは混乱のニックネームに過ぎない。

つまり日本人は「民主主義が意思決定のプロセスである」という当たり前に思える定義を否定するのだ。

質問サイトQuoraではイギリスはなぜあんなバカな騒ぎを起こしているのかという感想が飛び交っている。確かに、直接民主主義的にEU離脱を決めてしまい収拾がつかなくなっている。国民が自分たちの行く末を決めようとしているから必死で議論をしているという感想には決してならない。「変わらなければあんな騒ぎは起こらないのに」と考えるのが日本人なのだ。

韓国も「うまくいっていない国」として評価される。地域対立もあり政府やメディアも政権ごとに人事が大きく入れ替わるのだそうだ。さらに大統領が変わると後追いで革命のような騒ぎになり前大統領か関係者が処断される。だが、これも民主主義の一形態である。決めたからこそ起きていることだ。

普通の国は決めたがる。決めたがるから対立が生まれることになる。その視点から日本を見ると日本は注意深く「決めないように決めさせないように」しているということがわかる。リベラルというのは政治が何かを決めようとした時にそのブレーキとして利用されているだけで政治勢力とはなりえない。リベラルにひと暴れさせると有権者は自分たちが大騒ぎしなくて済む。民主主義は日本人にとっては厄介で疲れる行為だ。

そんなことは代理にやらせておけばいいと思うのが日本人なのかもしれない。

戦前戦後のリベラルの継続性とGHQの内部対立

Quoraで「リベラルはGHQが持ち込んだ民主主義をよりどころにしている」と書いたところ「戦前にも民主主義思想はあったのでは?」というコメントがついた。ブログと違ってQuoraはこういう建設的なツッコミが入るのが面白い。「よく知らないので教えてくれ」と返信をしておいた。




丸投げするのも無責任なので色々とウェブ検索をした。出自が怪しい記事も含めて色々見つかった。それを何と呼ぶかは別にして、素地はあったが運動としては挫折したというのが本当のところらしい。ところが戦後にはまた別の混乱ファクターが見つかった。それがGHQである。

流れを整理すると次のようになる。もともと、フランスから持ち込まれた人権思想は知られていた。吉野作造が民本主義思想としてそれを整備した。ところが、この思想が議会政治に受け入れられることはなく、党派対立を繰り返したのち軍人に恫喝されて翼賛体制が作られた。普通選挙が実施されたのが1925年で大政翼賛会が作られたのが1940年だった。日本の戦前の民主主義は15年しか続かなかった。

敗戦で翼賛体制が打倒されると、党人たちは追放され官僚中心の内閣ができる。しかし吉田内閣がGHQに面従腹背だったこともあったのだろう、社会運動家の流れをくむ片山哲内閣ができた。ところが左派は内部対立に陥り、そのあとを芦田内閣(芦田は左派ではない)が引き継いだが瓦解した。最終的に吉田茂が首相に返り咲き、そのあとは自民党政権が続いた。

片山・芦田の挫折の背景にはGHQの党派対立があったのだという説がある。GSと呼ばれる政治管理部隊とG2と呼ばれる情報工作参謀部門が対立したという話が自民党の文書にも書かれているそう(本文未読)だ。GHQ内部の党派対立の結果GSの「日本弱体化計画」が否定され再び吉田茂のもとで同盟化政策が取られるようになったという流れである。この後日本は資本主義社会の一員として優遇される。

このネット史観を採用すると日本の立憲主義運動・戦前の社会主義運動・戦後の左派政党にはそれほどの継続性がないことになる。一方、現在まで続く日本の政治的な対立と矛盾を作っているのはGHQの内部対立にある。それではこの内部対立はどの程度組織的なものだったのか。

なぜGHQが内部対立を引き起こしたのかという質問も立ててみたのだがこれは回答がつかないかもしれないと思った。実際にはG2/GSという二つの組織がきれいに対立しているわけではなく細かな党派対立があったようだ。本国から「支配者」として送り込まれてきた人たちが好き勝手に自分の理想を追求し議論を始めたのではないかと思われる。実際アメリカの軍政は世界各地で失敗しており、ベトナムや朝鮮半島では戦争まで起きている。つまり日本人はこれを「受け流す」という意味では優秀だったことになる。

面白いと思ったのは「日本弱体化計画」という表現だ。「日本洗脳」などという言葉も聞くし、あるいは本当に「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」という言葉を使った人もいるのかもしれない。ところが、実際には組織的・継続的に弱体化が進んだというエビデンスはない。マッカーサーも日本の統治にそれほど関心がなかったようだし、これといった指導者がいたわけでもないからである。つまり彼らは日本をうまく統治したからといってその実績をアメリカに持って帰ることなど出来なかったのだ。

GHQは派遣元である本国の意向を忖度しながら出世のために成果をあげようとしていたはずだ。本国を見ているだけなので組織内部に一体感はでないだろう。この点は今のトランプ政権を見ていてもよくわかる。植民地経営が失敗するのはそれが統治ではなく成果を上げるための道具に過ぎないからなのだろう。

にもかかわらず「あれは日本弱体化・自虐史観・洗脳だった」という人が出てくる。GHQが組織的に洗脳していたと置くとそれを打破するために右派思想を強化しなければならないといえるからだ。一方右派の台頭を恐れる人たちはGHQが何をしようとしていたかは当然知らないし、憲法の制定過程もよくわからない。ただ単に現状を維持しなければならないと主張し続ける。

現在の右派思想の原点はおそらく経済的に台頭してくる中国や韓国に対する嫉妬と怯えの入り混じった気持ちだ。特に生産年齢の途中で危機感を持ち生産年齢を通過した高齢者たちは直接これには対抗できない。だから「軍隊を作って気持ちを一つにすればまた強くて尊敬される国になれる」と信じてしまうのだ。

一方で彼らはアメリカには対抗できないという怯えも持っている。だからアメリカは叩けない。そんな彼らにとってGHQに異常思想を持った人が潜り込んでおり組織的に日本を貶めようとしていたという物語はとても魅力的に映るはずだ。

今回の短い調べものでは「なぜ民主主義擁護派がなぜ右派思想に対抗できないか」もわかった。現在リベラルと呼ばれている、人権や民主主義志向は戦前からの歴史をみる限りは社会の大勢に抵抗する運動として時々顔を出すだけである。最近の民主党政権でもわかるようにこれが決して日本の政治史の主役になることはない。多分日本人は他人の人権や民主主義には興味がないのだろうという結論を置くと全てがすっきりとまとまる。

日本の高齢化をまざまざと見せつけられた韓国報道の過熱

週刊ポストが炎上した。「韓国はいらない」という見出しを打ったところ、執筆者たちが「もう小学館では書かない」と言い出し謝罪したのだった。ハフィントンポストが経緯を詳しく伝えている。「誤解が広がっている」というのはいつもの言い分だが、売れると思って打ったのだろう。見出しだけでなく中身もひどかったようだ。10人に一人が治療が必要なレベルと書いた記事もあったという。




ちなみに「これがなぜいけないのか」という問題を先に片付けてしまおう。日本は戦争を煽って新聞の購読数を伸ばした歴史がある。気がついたときには取り返しがつかなくなっており、戦後に朝日新聞などは盛んにこれを「反省」した。つまりビジネスヘイトは歯止めがきかなくなりやがて深刻な対立を引き起こす可能性がある。日本人は戦前の歴史をきれいに忘れてしまったらしい。

韓国人が火(ファ)病に侵されているというなら、日本人は群衆の病と忘却の病の持病を抱えていることになる。多分ジャーナリズムが細かな村にわかれており業界全体として検証作業や人材の育成をしてこなかったために、戦前の貴重な知見が蓄積されていないのだろう。

ところがこれを観察していて全く別のことに気がついてしまった。

サラリーマンが出勤前に見ているようなニュース情報番組はそれほど韓国について扱っているわけではない。彼らには生活があり従って様々な情報を必要としている。ところが中高年しか見ていない昼の情報番組は盛んに韓国を扱っている。つまりヘイトというより老化現象なのだろう。

このことは残酷な事実を私たちにつきつける。テレビは中高年に占拠されており、中高年は他人を叩くしか楽しみがないということだ。こういう番組をみんなで楽しく見ているとは思えないので少人数(一人かあるいは二人)が次から次へと「けしからん他人」を探しているのだろう。

ところがこれを見つめているうちに不都合なことが見えてくる。今回のチョ・グク法相候補はほぼ一人で11時間以上の会見をこなしたようだ。日本の政治家(正確にはチョ氏は政治家ではないのだが)にこんなことができる人はいないだろう。最終的には記者たちも視聴者たちも疲労困憊してしまったようだ。大谷昭宏さんなどはうっかりと「羨ましそうな」表情を見せていたし、辺真一氏も「少なくとも記憶にございませんとはいわなかった」とどこか誇らしげである。つまり韓国には自分の言葉で釈明が出来る政治家がいるが、日本にはそんな人はいないということが露見してしまった。民主主義が機能していないと笑っていたはずなのにいつのまにか「なんか羨ましいなあ」と思えてしまう。

しかし、この「かわいそうな老人のメディア」としてのテレビが見えてしまうと不都合な真実はどんどん襲ってくる。例えば最近のアニメは中年向きに作られている。2019年8月末のアニメの視聴率(関東)をビデオリサーチから抜き出してきたのだが、新しく作られたものはほとんどない。「MIX」は知らなかったがあだち充の作品のようである。目新しい幼児向け番組は「おしりたんてい(絵本は2012年から)」だけである。サザエさんなどは昭和の家庭を舞台にしている。我々が昔水戸黄門を見ていたようにサザエさんも昔のコンテンツと思われているに違いない。

タイトル視聴率(関東)
サザエさん9.0%
ドラえもん6.7%
クレヨンしんちゃん6.2%
MIX・ミックス5.8%
ちびまる子ちゃん5.8%
ワンピース4.6%
おしりたんてい4.3%
ゲゲゲの鬼太郎4.2%
アニメおさるのジョージ3.3%
スター・トゥインクルプリキュア3.1%

特にテレビ朝日は「ファミリー層を排除しようとしている」と攻撃の対象になってしまった。アニメを土曜日に動かしたのだそうだ。テレビ局も新しいコンテンツを作りたいのだろうが視聴率が取れない。最近の若い人は高齢者に占拠されたテレビを見ないのだろう。

アニメだけでなく音楽にも高齢化の波が押し寄せている。TBSは関東ローカルでPRODUCE 101 JAPANの放送を開始する。吉本興業が韓国のフォーマットをそのまま持ってきたようで、制服やショーの構成がそのままだ。ところがこれをみてショックを受けた。韓国版ではイ・ドンウクが練習生の兄貴(とはいえ三十代後半のようだが)として国民プロデュサーに就任していた。この視線で比較してしまうと日本版の国民プロデューサ(ナインティナイン)が老人に見えてしまう。ASAYANが放送されていたのは1995年だということで「昔の若者」が倉庫から出てきたような感じである。

ナインティナインが普段老人に見えないのは実は日本の芸能界がそのまま老化しているからなのだ。しかもこの番組も夜のいい時間には時間が確保できなかったようである。確かに老人が見てもよくわからないだろう。もはや歌番組は深夜帯のサブカル扱いなのである。

嫌韓本が広がる仕組みを見ていると、出版取次が「この本は売れるはずだから」という理由でランキングに基づく商品を押し付けてきているという事情があるようだ。高齢者であってもAmazonで本を買う時代に本屋に行くのは嫌韓本を求める人たちだけということなのだろう。テレビの動向を合わせて見ると、最終的に残るのは「昔は良かった」と「ヘイト」だけだろう。まさにメインストリームが黄昏化している。

幸せな生活を送っている人たちがヘイト本を見てヘイト番組を見て日中を過ごすとは思えない。結局見えてくるのは、高齢者が潜在的な不満と不安を募らせながら、他にやることもなくヘイト本を読みヘイト番組を見ているという姿である。つまりなんとか生活はできているが決して満足しているわけではない人たちがヘイトを募らせていることになる。

こうした人たちが韓国との間で戦争を引き起こすとは思えない。そんな元気はないだろう。多分、テレビに出ている人や雑誌で書いている人たちが心配するべきなのは民主主義の危機ではない。深刻な老化なのだ。

入試改革議論 – 保守の議論はなぜ乱暴なのか

大学入試「20年度は大きな改革でない」 下村博文氏という記事を読んだ。彼らに教育を任せておいたら数年のうちに国の教育はめちゃくちゃになるだろうなあと思った。この短い文章を読むといわゆる保守と呼ばれている人たちの問題点がよくわかる。相手をバカだと思っており反省しないのだろう。




日経新聞は「2020年の入試改革が混乱している」という認識を出発点にして教育行政に大きな影響力を持つ(と思われる)下村さんに話を聞いたのだろう。そこまでは良かった。下村さんは改革会議のメンバーであり文部科学大臣として工程表も作ったそうだ。いわば当時の責任者であり関係者である。

しかし下村さんは自分たちに問題があるとはこれっぽっちも思っていないようだ。だから記者との間で話が噛み合わない。ただ日経新聞も全くツッコミを入れていない。多分政治部の記者は教育には全く興味がないに違いない。「ああそうですか」とまとめてしまっている。

この記事は単なるお知らせであり批判的なジャーナリズムにはなっていない。議論は読み手が勝手にやってくださいということになり、視点を提供するというジャーナリズムの役割は放棄されている。反省がないのでこの問題はそのまま走り続ける。何年かやってみて効果が出ないといってまたシステムを変えるのだろう。

入試改革のもともとの意図は理解できる。採点のやりやすさばかりを考えて選択肢問題が「横行」しているという批判はよく聞くからだ。「自発的に考える人材を探すためにはそれではダメだ」という点までは理解ができる。

しかし普通に考えるとまず問題意識を持った政治家が高校や大学などに働きかけたうえで入試制度ではなく教育プロセスを変更する必要がある。政治家は変革管理のリーダーであるべきだ。変革管理のためには教育の担い手たちのコミットメントが必要であり、コミットメントを得るためには彼らに対して「支援者であり敵ではない」ということを示さなければならない。

ところが入試制度を変えれば世の中がすべて良くなるだろうという乱暴な認識があり、さらに相手に説明をもとめて改革への協力を呼びかけようという気力もないようだ。さらには高校の教員組合は潜在的な政敵であるという思い込みもあるのかもしれない。

改めて言語化してみるとめちゃくちゃだということがわかるのだが、記者があまりにもきれいに記事をまとめてしまっているので問題点が全く見えない。めちゃくちゃが「クオリティペーパーの立派な記事」に見えてしまうという点にこの国のジャーナリズムの抱える恐ろしさがある。日経新聞がこう書いているのだから問題はないだろうということになってしまうのだ。

もちろん高校にリサーチをしたり要望を聞き取ったりしてボトムアップで変革管理に取り組む方法もあるのだろう。多分、高校の側は自分たちの要求を押し付けるばかりで外からの変革は好まないだろう。「予算と人が足りない」という話になるはずである。実際に先生に話を聞くと「自分たちはいかに忙しく周囲から理解されていないか」という話になる。大学側も同じである。大学の先生たちもこと教育に関しては世間はバカだと思っている。実業の世界を知らないので企業の要望も分からない。こうした「分断された社会」では政治家の役割は本来はとても大切である。だが実際は政治家も分断された村を作っている。

例えば日経新聞のこの記事は政治担当記者が書いてまとめたのだろう。学校教育の実態はわからないから学校教育についての質問ができない。互いが互いのことを理解しようという気持ちが全くない。というよりそもそも日本にはお互いがお互いを理解する公共というものがない。その分野に特化した専門バカが跋扈する国なのである。

さらに下村さんは恐ろしいことも言っている。

「海外の大学で入試に学力テストを課すところは少ない。日本も全員がテストを受ける必要はなくなるだろうが、一気に無くすのはリスクがある。まずはより良いものに変えていく」

大学入試「20年度は大きな改革でない」 下村博文氏

下村さんのいう世界がどこの世界かは知らないが、アメリカの大学にもSAT®のような学力テストはある。留学生はTOEFLも受ける。授業を受けるためには必要ラインの学力があるからである。ただ、これは真面目に勉強すればそれなりの点数は取れるので、SAT®差別化はできない。下村さんや日経の記者がわかって書いているのか、それともわからずに書いているのかがわからないし、日経の読者がこれをどうとらえるかもわからないのだが、これでは学生の水準を図るテストが全く要らないように見えてしまう。

さらにテストは公平でなくてもいいなどと言い出している。なぜ日経新聞がこの意味を聞かなかったのか不思議で仕方がない。例えばこの議論だと女性の点数を低くして男性の医者ばかりを入れる大学は適格ということになる。保守と呼ばれる人たちが差別を正当な区別だと考えていることは知っているが、これはあまりにもあけすけだ。しかし、これが下村さんの持論なのだろう。

「大学には、一点刻みではない多様な入試をしてほしい。ただ、『公正公平ではない』という社会の批判に耐える覚悟と決意が大学にあるかという問題はある」

大学入試「20年度は大きな改革でない」 下村博文氏

「大学入試は公平公正でなければならないが画一的である必要はない」ならばわかるのだが、言われたまま書いて「こう言いましたから伝えましたよ」ではあまりにも無責任だ。

ただ、専門バカの世界では、聞き手側が吹き上がって炎上すれば「受け取られ方が悪かった」という言い方で済ませてしまう。誤解はすべて相手のせいであるという反省しない社会なのだ。

問題意識のなさ、多様性への無配慮、共感能力の低さなど日本の政治家は議論を先導するのに向いていない。同じ経験をした人たちに囲まれているため簡単な対話にすら慣れておらず、従って教育のような複雑な問題はそもそも扱えないのだろう。

もし下村さんが変革マネージャーとして入試改革を真剣にやろうとしているならこんな乱暴な話になっているはずがない。関係者のコミットメントが必要なのだからそれなりの説明をしているはずである。下村さんには日本会議に語りかける程度の配慮を持ってインタビューに臨んで欲しかった。

彼は明らかに「現場がバカだから俺たちのやり方が理解できない」と考えていて「言い放っている」。こういう人たちが大勢いて憲法改正や国会運営でも同じような乱暴な議論を展開し、周囲を怒らせたり戸惑わせたりしている。同じ経験をした仲間に囲まれるうちに自分たちだけが正しくて相手がバカだと信じ込むようになったのが保守という病なのだろう。

たまねぎとしての保守思想・反たまねぎとしてのリベラル思想

演歌と保守について考えている。演歌は古びた流行歌をリパッケージしたものであるという仮説をおいた。この仮説を置くと後になって「演歌とはなにか」が説明できない理由がわかる。つまり「よくわからないが、なんとなく演歌というものはある」という感覚を説明できるのだ。




ここから、もし演歌が純化運動を行えばそれは演歌の破壊になるだろうという予測が立つ。もともと寄せ集めなので純化すると自己否定につながってしまうだろう。ゆえに演歌は演歌の枠の中で新しいものを見つけ転がり続けるしかない。

今回は保守と演歌は同じものであるという仮説を立てている。ここから考えると保守が純化運動に走れば保守が崩壊するだろうという予測が立つ。

ここでは日本の保守はGHQが持ち込んだ民主主義に対して、古びてしまった戦前の党人政治家がでっち上げた擬似思想であると考えている。日本の保守政治が目指すのは国家社会主義の再構築である。戦前の議会政治よりは優れており戦後GHQが持ち込んだ民主主義よりは古びている。民主主義を信奉している人たちが保守の純化運動を戦前回帰・戦争への道だと考えるは当たり前のことであるが、当人たちは多分そうは考えていないであろうということもわかる。

演歌の担い手たちは実際にはジャズなどを基にして作られた西洋音楽である演歌を「日本の心だ」と信じている。同じように保守を信奉する人たちは戦時下の国家社会主義体制を「日本の心」だと信じるだろう。どちらもそのようにリパッケージされているからである。つまり日本の心は建前であり本音は自分たちの正当化だったということになる。だが生き残るのは建前の方なのだ。

現在の保守政治には西洋的な一神教志向が織り込まれている。しかし、その体制に戻ったとしても日本が再び偉大になることはできない。国家社会主義体制はその当時の状況に合わせて作られており、現在はそのような状況にないからだ。そもそも核になる主張がないのだから純化運動は失敗する。

保守は長い権力闘争の中で憲法改正をその核だと誤認するようになった。もともと保守合同(護憲派保守と改憲派保守が合同した)で始まった自民党は小泉政権下で「もともと改憲派だった」と信じ込むようになったと言われているそうだ。このように一度作られた箱は一人歩きする。実際に行われたのは官僚出身の政策通議員を駆逐し党内抗争が得意だった人たちが政権を掌握したということなのだが、一度勝利してしまうと今度は「本来やりたかったこと」を前に進めるしかない。

ところが核がない運動を維持する方法もあるにはある。外に敵を作ればいいのだ。

テレビを見ると嫌韓運動が様々なテレビ局で展開されている。その担い手たちは多分高齢者なのだろう。彼らは自己肯定感を求めて保守思想にシンパシーを持つのだが自分たちの根を探しても保守思想には行き着かない。彼らはありもしないものを探しているから敵が必要になる。

もちろん韓国に問題はある。韓国は日本との講和で得た金を元手に戦後復興を図った。ところが戦後復興を行ったのが軍事政権であり地域にも格差を作ったためそれに抵抗する運動ができた。彼らは当然うまく行かない理由を保守軍事政権に求めるだろう。それを投影して日本を攻撃する。実はこちらも対抗運動なので核がないかもしれない。そして、実はこういう運動はドイツ側でも起きているようだ。経済不調と不満がその根底にある。

「今日までドイツから大戦中の残虐行為への適切な賠償を受けていない」。ポーランドのモラウィエツキ首相は8月、独紙のインタビューで断言した。正式な請求はしていないが、議会の委員会が1日にも被害額の試算を公表する。地元メディアによると、8500億ドル(約90兆円)との試算が出る可能性もあるという

独・ポーランド、賠償で論争=侵攻80年、90兆円試算も

ギリシャで7月に就任したミツォタキス首相が29日、ベルリンを訪問してメルケル独首相と初めて会談した。ギリシャはドイツに対し、第2次大戦中のナチス・ドイツの占領下で受けた損害に対する巨額の賠償金を求めている。ミツォタキス氏は、経済危機からの脱却に必要なドイツからの投資を求める一方、国内でくすぶる「戦後補償問題」の進展にも期待感を示した。

ギリシャ首相、ナチス占領の賠償金に期待 独首相と会談

日本は保守運動(具体的には憲法改正)が進捗しない憤りから目を反らせるために嫌韓を利用するつもりだったのだろうが相手の「ど真ん中」に爆弾を放り投げてしまった。多分、ドイツの政治家はもっと冷静に見ている。一線を引いて反省を続けないと収拾がつかなくなるだろうということがわかっているのだろう。ただ、ドイツにもポピュリズムはある。いつまでも同じような「謙虚な態度」が続くかどうかはわからない。

さて、この一連の「保守の暴走」を見て民主政治が破壊されると危惧する人がネットには多いように思える。だがそれも心配しなくても良い。戦後の民主主義勢力というのは反政権である。彼らもまず「反政権」で箱を作って、そこに憲法や民主主義という理由付けをしているに過ぎない。彼らは自分たちを社会主義者・革新主義者・リベラルと自称してきたが、立憲主義はその最先端の実態のない箱の名前に過ぎない。どちらもありもしないものをあたかもあるようにして集まっている。それは虚空に響く反響のようなもので終わりがない。

今回収拾したのは「玉ねぎの皮をむいていたら実は皮が本質だった」というような話である。つまり何もないのだから何かが壊れる心配はしなくても良い。単に新しく作ればいいだけの話である。極めて単純な話なのだ。だが、運動に没頭する当人たちにはそれがわからない。その結果、ありもしない問題に時間を浪費することになってしまうのである。

演歌の誕生 – 日本人にとって理論化とは何か

政治問題を扱っていると「保守とは何か」という疑問にぶち当たる。「だいたいあの界隈ね」ということはわかるのだが、本質を抜きだそうとしても抜き出せない。本質が抜き出せないためにそれに対抗しようとすると対抗運動も崩壊する。




「日本の保守が害悪だ」とするとそれを潰したいわけだが、それが潰れない。だからいつまでたっても我々の社会は停滞したままだというのがこのブログの考えている行き詰まりである。そしてそれを我々は野党がだらしないからだと説明している。でもそれは説明になっていないし何の解決にもならない。

こんな時にはどこか別のところからヒントが降りてくることがある。今回のそれは演歌だった。後付けだが歌謡曲の保守思想である。この演歌というジャンルは1970年にはすでに存在しており「昔からあった」ような印象がある。ピンクレディーが奇抜な歌謡曲を歌っていた時「昔からずっとやっている歌手」が「日本の伝統である演歌」を歌っていたという感じなのだ。

Quoraで回答するためにその演歌について調べた。回答そのものはいい加減なものになったが調査の読み物はとても面白かった。演歌は実は昔からあったジャンルではない。1970年代に新しく作られたジャンルなのだ。

もともと演歌の演は演説の意味だった。川上音二郎が元祖とされているそうである。ところが政府が政府批判を認めなかったこともあり政府批判を基盤とした演歌はなくなる。そして、大衆音楽の中に溶け込んだ。個人としての日本人は社会や国家などは扱わせてもらえなかった。個人で自由に表現できるのは個人の心情だけだったのである。小説の世界では自己を確立して外に打ち出すこともなく、心情を扱う私小説が流行したりしている。

大衆の歌は流行歌と呼ばれたようだが、これとは別に艶歌と呼ばれる一連の歌モノがあったようだ。楽器を使って街中で歌本を売り歩くような人たちを艶歌師と言っていたようだ。艶歌はプロモーションの一環であり歌は売り物ではなかった。

戦後、流行歌は次第に西洋音楽を取り入れて変わってゆく。基地まわりをする人たちが西洋のジャズなど取り入れて新しい流行歌を作った。高度経済成長期になると、都会に出てきた地方の人たちが望郷の念を募らせ歌を聴くようになった。ニーズを持ったユーザーの集まりも生まれた。しかし、グループサウンズやフォークなどが出てくるとこうした歌は「古臭い」として嫌われるようになってゆく。時代が急速に変化しアメリカから新しいジャンルが次から次へと出てきていたのである。

そんな中、五木寛之が1966年に「艶歌」という小説を出して「艶歌の再発見」をした。つまり西洋音楽に乗らない日本人の感情を歌ったのが「艶歌である」と言ったのである。「演歌、いつから「日本の心」に? 流行歌が伝統の象徴になった瞬間」によると、もともと西洋音楽と日本の音楽を雑多に混ぜ合わせた「流行歌」というジャンルから再構築されたのが艶歌である。そして1950年代からこうした歌を歌っていた人たちが演歌を自認するようになってゆく。春日八郎がその最初の一人であろうとWikipediaは言っている。

ここで「艶歌」という名前がなぜか「演歌」に変わっている。この「演」という言葉がどうして再び出てきたのかという説明をしている人は誰もいない。おそらく昔からあって文字が簡単だったのでプロモーションに使いやすかったのではないかと思う。この時点で演歌は昔からあったということになっているのだから、もはやもとの「演説」という意味を意識することはない。その実態は古びた望郷の歌だったのである。

まず正当化すべき内容がありそのために正当化に使えそうな箱を見つける。そしてあとはその箱の中で好き勝手にやりたいことをやる。これが日本的なジャンルの作り方なのである。ただ、これだけだと例が一つしかないことになる。J-POPについても見てみよう。

演歌を古びた地位に追いやった一連の音楽は歌謡曲と呼ばれるようになる。これも意味があるようなないような不思議な名前だ。だがやがて若者は歌謡曲に飽きて洋楽を聞き始める。昭和の終わり東京に英語で音楽を流すJ-WAVEというFM局ができた。ちょうどテレビでMTVなどをやっていた時代だ。

WikipediaのJ-POPの項目をみるとJ-WAVEがこれまでの歌謡曲と違った新しいポップスにJ-POPという名前をつけたことになっている。1988年から1989年にかけてのことだ。ちょうど平成元年頃の出来事ということになる。J-WAVEは日本の歌謡曲の中から「洋楽と一緒に(つまり英語で)紹介しても」遜色がない音楽を集めてJ-POPという箱を作ったのだ。古くさいと思われていたものをリパッケージ化したのである。

だから、あとから演歌とは何かとかJ-POPとは何かと言われると実はよくわからない。平成の最初の頃の洋楽っぽい音楽もJ-POPだが「AKB48」も「モーニング娘。」もジャニーズが歌う演歌っぽい音楽もJ-POPである。単に正当化の道具なので誰もJ-POPがなに何なのかということは考えない。

面白いのは平成元年頃に作られたJ-POPという音楽が今でも使われているということだろう。これに代わる新しい言葉はできていないわけで、それはつまり新しい音楽の聞き手が現れていないことを意味するのだろう。邦楽は30年もの間J-POPから進化しなかった。アメリカから流行を取り入れるのをやめてしまったからだろう。

音楽では演歌はただ忘れ去られてゆくだけだ。誰も演歌に不満をいう人はいない。保守に対して文句をいう人が多いのは実はそれに変わる新しいものが現れていないからなのである。

もともと保守にも実態はない。それは戦後の民主主義思想に乗り遅れた人たちがこれこそ日本の伝統であったという再評価をして自身を正当化しているに過ぎないからである。そしてそれに対抗する人たちも、社会主義・革新・リベラルという名前をつけて正当化を図っているに過ぎない。保守という実体のないものへの対抗運動なのでさらに実態がない。つまり、保守やリベラルをどんなにみつめても課題や問題点は見つけらないことになる。

音楽の流行は西洋音楽によって作られる。日本でこれが起こらないのは、多分日本人が新しいものを作ろうとはしないからである。なので、西洋から新しいものが入ってくるまで日本人は今の状態に文句を言い続けるはずだ。

面白いことに一旦箱ができてしまうとそれは人々の気持ちを縛る。多分演歌界の人たちはファンも含めて「これが演歌である」という経験的な合意がある。それに合わないものは「伝統にそっていない」として排除される。保守にせよリベラルにせよ「我々はこうあるべきだ」という思い込みがありそこから動けなくなるのだろう。

平成というのは西洋から新しいものを取り入れるのを諦めてしまった停滞と安定の時代だったということになる。停滞に文句は言っているが実はそれが日本人にとって居心地の良い状態なのだ。

日本が独自に民主主義を作ればそれは何もしないための仕組みになるだろう

連日韓国のニュースをやっている。「韓国はうまくいっていない」と主張することでうちは韓国よりもマシだという気分に浸りたい人が多いのだろう。みんな安心して騒いでおり目を背けたいニュースがそんなにも多いんだなという気分にさせられる。




Quoraでは、韓国とは断交したいが中国や北朝鮮のトクになるのは困るという質問を見かけた。日本人は民主主義という概念は理解しないが、誰か他の人がトクになると悔しく逆に誰かが困っていると自分が嬉しいという「細かな社会的会計」の概念を発達させている。このため意思決定に時間がかかり結局何もしないことを決めてしまうのである。小さな集団では機能する社会的会計だが集団が大きくなりすぎると予測が人間の脳の容量を超えてしまうのかもしれない。

ワイドショーを見ていて「面白いな」と思ったことがあった。「大統領が変わるたびにこんなに政策が変わっていいのか」という戸惑いの声だ。有権者が方針を決めたらそれによって劇的に変わるのが「民主主義だろう」と思ったのだが、日本人には受け入れられないらしい。

民主主義は意思決定の仕組みなのだが、日本人が求めるのは継続性と安定である。つまり日本人が意思決定の仕組みを決めると「何もしない」ことを選ぶ可能性が高い。多分日本人が決める憲法は「みんなでよくよく話し合って何も変えないために誰にも権力を持たせないようにしよう」というものになるだろう。

これを考えていて、面白い問題を見つけた。それが英語入試改革である。2013年頃に楽天の三木谷社長が「日本人は実用的な英語ができないから試験をTOEFLにしたらどうか」と言っている記事を見つけた。この線に沿って受験の改革も進められたがどういうわけか現場が大混乱しているらしい。なぜなのだろうかと思った。

Quoraで聞いてみたら「入試が変わって学生が戸惑うのは当たり前」と受験生の事情を切断した上で「何のための改革なのかわからない」と戸惑う大学の教授の回答がついた。この教授は英語教育には自分の考えがあるようだ。そもそも高校の先生が英語を話せないのに「試験を変えたからといって高校生が英語を話せるようになるはずがない」と言っている。そこまでは確かにその通りである。ただそこから教育方針を決める会議が「企業と一部の大学関係者に限られている」という不満に流れてしまった。つまり彼には彼の言いたいことがあり、その他のことはどうでもいいとは言わないまでも優先順位が低い問題なのである。逆に三木谷さんから見るとアカデミズムがどう考えていようと自分の会社の成果さえ上がればいいわけだ。つまり、日本人はお互いに他の村のことを聞く気持ちがない。

企業は英語が話せる即戦力がとにかくほしい。どうしていいかわからないから入試を変えたらと提案した。ところがもともとの目的が伝わらずどういうわけか「入試を変えたら」という話だけが一人歩きし、おそらく民間英語テストの利権確保などの話も加わり、かといってそれでは評価できないから旧来のテストも残そうということになり、最終的に混乱に至ったということになる。

そして、その間の全体像を知っている人は誰もいない。よくプロジェクトマネジメントがないというような話を聞くが、文部科学省も決められた通りに会議を行っただけで全体を通して物事を調整しようという気持ちにならなかったのだろう。そして官邸も自分たちの考えを学生に押し付けることに関心はあっても、日本の教育そのものには関心がない。

ふらふらと散策しながら日本人が決められない理由を探してきたのだがもう3つも見つかった。どういうわけか日本人は「目標を立ててそのために制度を変える」のがとても苦手なのだ。

  1. 誰が損をして誰が得をするかわからないから意思決定ができない
  2. そもそも急激に何かが変わると不安だ
  3. 目的意識を共有しようという気持ちが全くない

ここで韓国との比較は面白い。韓国は権力構造が変わると処遇が変わるという国だった。最初から中央集権化が進んだからであろう。中央集権化が進んだのはおそらく中国が大きすぎる敵だったからだろう。ところが日本は最後まで完全な中央集権化は進まなかった。藩を単位とした小集団が作られその中で比較的自由に意思疎通ができた。それでよかったのだ。韓国のような強い敵がいなかったため、小さなグループがお互いを牽制しながら全体としては何も変えない仕組みを作ったのだと思う。それが藩の生き残りに有利に働くからだ。狭い空間で争って滅ぼされるよりも相手に干渉しないほうが生き残れる確率が高かったのだ。

日本人は小さなグループの中で自治的な関係を保つことを好み、あまり他者から干渉されたくない。中で小さな変化はあったとしても大きな変化が外からくることを本質的に嫌うのである。

また、同質な他者が集まる関係の中で取り立てて個人主義を発達させる必要もなかったのだろう。現代の民主主義は個人主義との相性が良くしたがって日本人が民主主義を理解できないのは当たり前である。

このため日本人が最初から民主主義をデザインするならば藩レベル(つまり県よりも細かい)の集団主義的な民主主義になるはずである。そしてその目的は藩の維持、つまり何も変えないことだ。

実際に日本の経済は成長と発展から取り残されてしまった。ところが皮肉なことに成長がないから格差も広がらない。停滞と安定は同じことである。これはこれで良さそうな気がするが、戦後日本が手を染めた自由主義経済は成長を前提にしている。つまり成長を前提にした仕組みと成長しない仕組みが軋轢を引き起こす。

ポピュリズムが日本ではまだ流行らないのはなぜか?静かに迫る「民主主義の危機」はそのような筋立てになっている。社会保障制度は成長を前提にしているため、これが崩れるだろうといっている。現代の日本は動きが止まった人間ピラミッドのようなものだ。すなわち重みに耐えかねた下の方から疲労骨折で圧死する社会である。ただ圧死者は少ししか出ないので全体としては格差が少ないように見える。しかし社会保障の仕組みはある日突然破綻するだろう。その衝撃はかなり大きなものになるはずだ。

それでも我々は小さなグループに閉じこもり何もしないことを選ぶのである。

上野厚労政務官の辞任 – 自民党はたぶん内側から崩壊する

上野厚労政務官の辞任というニュースが飛び込んできた。いわゆる「文春砲」で秘書があっせん収賄を匂わせる音声記録を文春に持ち込んだというケースである。内閣や政党の崩壊は中から進むんだろうなあと思った。




まず、この件について野党の追求が世論の支持を集めることはなさそうだ。官邸側も慣れっこになっているようで田崎史郎さんにテレビで説明をさせていた。官邸側が「政府と切り離してさえしまえばあとはどうとでもなる」と考えていることがわかる。

田崎さんは実際には大量の口利きなどできるはずはないから斡旋はなかったのではないかと言っていた。田崎さんがこう言っているということは取材が終わっていて官邸も大筋で了承しているということなのだろう。あとは厚生労働省側が「そんな話はない」といって資料を破棄してしまえばそれで終わってしまう。あったかなかったかはわからないがとにかく話としては終わってしまうのだ。

あと残るのは詐欺の可能性であるが、政権の立場からみると「政治家が説明責任を果たすべき」で終わってしまう。これで切り離し完了である。

そこで気になるのは上野さんのポジションである。上野さんは清和研(現在の主流派)なのだが「外様」なのだ。そして選挙に強くない。コマとして活躍できなければ切り捨てられてしまう人なのである。

官僚出身の上野さんは代議士の娘と結婚する。代議士はみんなの党から出馬しようとしたが公認されなかった。そのため娘婿である上野さんが名前を継いで立候補した。当時の読売新聞の記事の引用がところどころに残っている。渡辺喜美さんは名前も継いでよかったねというようなことを言っていたそうである。

ところが上野さんはあまり選挙には強くなったようで比例代表でなければ選挙に受からないという状態に陥った。比例頼みということは大きな政党に所属していなければ生き残れないので維新の党(渡辺喜美さんについて行ったのかもしれない)に移籍し、最終的に自民党町村派に所属することになった。家督を継ぐために養子をとり藩を渡り歩くというようなことが現代の日本でも時々起きているらしい。

TBSで見た田崎さんのストーリーでは上野さんはお金と支持者に困っていたのではないかということになっていた。「自民党は新規会員を集めなれけばならないノルマがあり」そのために「少額づつお金を集めようとしたのではないか」という説明だった。

町村派にいると言っても出自からして数合わせのための存在に過ぎないのだろう。自民党はライバルがいないので候補者を集めてこなければならない。そしてこういう基盤の弱い人は自分たちがかかえ込むに限る。ただし、何かあった時に面倒を見たり庇ったりすることはない。つまり安倍政権の強固さを背景にした冷たい関係が成立しているのである。

田崎説に従うと支持基盤のない上野さんは200万円の金と新規党員獲得に困っていたようだ。そして困窮しているのは多分上野さんだけではないだろう。つまりこうした人たちがいろいろな「創意工夫」で暴走している可能性は大いにある。そして上野さんの例でわかるように露見しても議員辞職はしなくて良い。だから、こうした行為は病気のように自民党内で蔓延するだろう。政策に強いいわゆる「保守本流」や石破さんたちの新派閥ではこんなことは起こりそうにない。ある程度倫理力がないと組織が保たないからである。

野党は「あっせん収賄の疑いがある」と騒いでいるのだが、あっせん収賄が証明できなかった場合のプランBについては考えていないようだ。つまり騒ぐだけ騒いで終わりになって「ああまたか」と思われる可能性が高い。そして野党が何か決定的なことを見つけないとマスコミは乗らないし有権者は騒がない。裏を返せば「野党が騒ぎマスコミが揺れる」ところまでは問題は膨らむということである。もちろんどれくらいの時間がかかるかはわからないのだが、ブレーキがないのだからそれは確実に進行するだろう。

上野宏史氏は東大を出てハーバード大学にも留学している。官僚になったこともありかなり頭が良い人なのだということがわかる。ただ、有権者は政策ではなく「上野さんの家の娘婿だ」という理由で票を入れている。あのお家のことはよく知っているから何かあれば面倒を見てくれるのではと思っている人が多いのかもしれないし、そこまで深く考えずに票を入れている人も多いのだろう。そして上野さんが政策で重用される可能性はない。武闘派の保守傍流は政策など気にしない。だから上野さんの才能が活きることはない。極めて残酷な話である。

そして、有権者は「なんとなく安心だから」という理由で票は入れてくれるが「保守の敵陣営に勝たなければならない」という動機はないし、政策も気にしない。つまり、上野さんは地元からも経済的支援も政策への理解も得られない。勝ちすぎた自民党にはそういう人がたくさんいるはずだ。ある意味才能の墓場と言える。トップである安倍首相の考える「ボクの政策」を支持するためのコマに過ぎないのだ。こんななか倫理観が働くはずはない。個人の論理では動けないから、良し悪しの判断を個人でしなくなってしまうからである。そ

経済的な困窮とブレーキのなさが合わさると内側から崩れるのが早まるのかなと思う。その時に野党の受け皿はできていないわけだからかなり大変なことになるだろう。小選挙区制度を導入し党の権限も強化したはずなのに昭和末期から平成にかけての政界再編騒ぎみたいなことがまた起こるだろうということになる。

日本の政党政治にはなんらかの欠陥がありそれが修正されていないのだろう。多分欠陥とは個人の考えを擦り合わせた上で社会化するというプロセスそのものだ。そう考えると自民党が破壊される前に議会制民主主義そのものが野党も巻き込んで壊れてしまうのかもしれない。