日本の高齢化をまざまざと見せつけられた韓国報道の過熱

週刊ポストが炎上した。「韓国はいらない」という見出しを打ったところ、執筆者たちが「もう小学館では書かない」と言い出し謝罪したのだった。ハフィントンポストが経緯を詳しく伝えている。「誤解が広がっている」というのはいつもの言い分だが、売れると思って打ったのだろう。見出しだけでなく中身もひどかったようだ。10人に一人が治療が必要なレベルと書いた記事もあったという。




ちなみに「これがなぜいけないのか」という問題を先に片付けてしまおう。日本は戦争を煽って新聞の購読数を伸ばした歴史がある。気がついたときには取り返しがつかなくなっており、戦後に朝日新聞などは盛んにこれを「反省」した。つまりビジネスヘイトは歯止めがきかなくなりやがて深刻な対立を引き起こす可能性がある。日本人は戦前の歴史をきれいに忘れてしまったらしい。

韓国人が火(ファ)病に侵されているというなら、日本人は群衆の病と忘却の病の持病を抱えていることになる。多分ジャーナリズムが細かな村にわかれており業界全体として検証作業や人材の育成をしてこなかったために、戦前の貴重な知見が蓄積されていないのだろう。

ところがこれを観察していて全く別のことに気がついてしまった。

サラリーマンが出勤前に見ているようなニュース情報番組はそれほど韓国について扱っているわけではない。彼らには生活があり従って様々な情報を必要としている。ところが中高年しか見ていない昼の情報番組は盛んに韓国を扱っている。つまりヘイトというより老化現象なのだろう。

このことは残酷な事実を私たちにつきつける。テレビは中高年に占拠されており、中高年は他人を叩くしか楽しみがないということだ。こういう番組をみんなで楽しく見ているとは思えないので少人数(一人かあるいは二人)が次から次へと「けしからん他人」を探しているのだろう。

ところがこれを見つめているうちに不都合なことが見えてくる。今回のチョ・グク法相候補はほぼ一人で11時間以上の会見をこなしたようだ。日本の政治家(正確にはチョ氏は政治家ではないのだが)にこんなことができる人はいないだろう。最終的には記者たちも視聴者たちも疲労困憊してしまったようだ。大谷昭宏さんなどはうっかりと「羨ましそうな」表情を見せていたし、辺真一氏も「少なくとも記憶にございませんとはいわなかった」とどこか誇らしげである。つまり韓国には自分の言葉で釈明が出来る政治家がいるが、日本にはそんな人はいないということが露見してしまった。民主主義が機能していないと笑っていたはずなのにいつのまにか「なんか羨ましいなあ」と思えてしまう。

しかし、この「かわいそうな老人のメディア」としてのテレビが見えてしまうと不都合な真実はどんどん襲ってくる。例えば最近のアニメは中年向きに作られている。2019年8月末のアニメの視聴率(関東)をビデオリサーチから抜き出してきたのだが、新しく作られたものはほとんどない。「MIX」は知らなかったがあだち充の作品のようである。目新しい幼児向け番組は「おしりたんてい(絵本は2012年から)」だけである。サザエさんなどは昭和の家庭を舞台にしている。我々が昔水戸黄門を見ていたようにサザエさんも昔のコンテンツと思われているに違いない。

タイトル視聴率(関東)
サザエさん9.0%
ドラえもん6.7%
クレヨンしんちゃん6.2%
MIX・ミックス5.8%
ちびまる子ちゃん5.8%
ワンピース4.6%
おしりたんてい4.3%
ゲゲゲの鬼太郎4.2%
アニメおさるのジョージ3.3%
スター・トゥインクルプリキュア3.1%

特にテレビ朝日は「ファミリー層を排除しようとしている」と攻撃の対象になってしまった。アニメを土曜日に動かしたのだそうだ。テレビ局も新しいコンテンツを作りたいのだろうが視聴率が取れない。最近の若い人は高齢者に占拠されたテレビを見ないのだろう。

アニメだけでなく音楽にも高齢化の波が押し寄せている。TBSは関東ローカルでPRODUCE 101 JAPANの放送を開始する。吉本興業が韓国のフォーマットをそのまま持ってきたようで、制服やショーの構成がそのままだ。ところがこれをみてショックを受けた。韓国版ではイ・ドンウクが練習生の兄貴(とはいえ三十代後半のようだが)として国民プロデュサーに就任していた。この視線で比較してしまうと日本版の国民プロデューサ(ナインティナイン)が老人に見えてしまう。ASAYANが放送されていたのは1995年だということで「昔の若者」が倉庫から出てきたような感じである。

ナインティナインが普段老人に見えないのは実は日本の芸能界がそのまま老化しているからなのだ。しかもこの番組も夜のいい時間には時間が確保できなかったようである。確かに老人が見てもよくわからないだろう。もはや歌番組は深夜帯のサブカル扱いなのである。

嫌韓本が広がる仕組みを見ていると、出版取次が「この本は売れるはずだから」という理由でランキングに基づく商品を押し付けてきているという事情があるようだ。高齢者であってもAmazonで本を買う時代に本屋に行くのは嫌韓本を求める人たちだけということなのだろう。テレビの動向を合わせて見ると、最終的に残るのは「昔は良かった」と「ヘイト」だけだろう。まさにメインストリームが黄昏化している。

幸せな生活を送っている人たちがヘイト本を見てヘイト番組を見て日中を過ごすとは思えない。結局見えてくるのは、高齢者が潜在的な不満と不安を募らせながら、他にやることもなくヘイト本を読みヘイト番組を見ているという姿である。つまりなんとか生活はできているが決して満足しているわけではない人たちがヘイトを募らせていることになる。

こうした人たちが韓国との間で戦争を引き起こすとは思えない。そんな元気はないだろう。多分、テレビに出ている人や雑誌で書いている人たちが心配するべきなのは民主主義の危機ではない。深刻な老化なのだ。

入試改革議論 – 保守の議論はなぜ乱暴なのか

大学入試「20年度は大きな改革でない」 下村博文氏という記事を読んだ。彼らに教育を任せておいたら数年のうちに国の教育はめちゃくちゃになるだろうなあと思った。この短い文章を読むといわゆる保守と呼ばれている人たちの問題点がよくわかる。相手をバカだと思っており反省しないのだろう。




日経新聞は「2020年の入試改革が混乱している」という認識を出発点にして教育行政に大きな影響力を持つ(と思われる)下村さんに話を聞いたのだろう。そこまでは良かった。下村さんは改革会議のメンバーであり文部科学大臣として工程表も作ったそうだ。いわば当時の責任者であり関係者である。

しかし下村さんは自分たちに問題があるとはこれっぽっちも思っていないようだ。だから記者との間で話が噛み合わない。ただ日経新聞も全くツッコミを入れていない。多分政治部の記者は教育には全く興味がないに違いない。「ああそうですか」とまとめてしまっている。

この記事は単なるお知らせであり批判的なジャーナリズムにはなっていない。議論は読み手が勝手にやってくださいということになり、視点を提供するというジャーナリズムの役割は放棄されている。反省がないのでこの問題はそのまま走り続ける。何年かやってみて効果が出ないといってまたシステムを変えるのだろう。

入試改革のもともとの意図は理解できる。採点のやりやすさばかりを考えて選択肢問題が「横行」しているという批判はよく聞くからだ。「自発的に考える人材を探すためにはそれではダメだ」という点までは理解ができる。

しかし普通に考えるとまず問題意識を持った政治家が高校や大学などに働きかけたうえで入試制度ではなく教育プロセスを変更する必要がある。政治家は変革管理のリーダーであるべきだ。変革管理のためには教育の担い手たちのコミットメントが必要であり、コミットメントを得るためには彼らに対して「支援者であり敵ではない」ということを示さなければならない。

ところが入試制度を変えれば世の中がすべて良くなるだろうという乱暴な認識があり、さらに相手に説明をもとめて改革への協力を呼びかけようという気力もないようだ。さらには高校の教員組合は潜在的な政敵であるという思い込みもあるのかもしれない。

改めて言語化してみるとめちゃくちゃだということがわかるのだが、記者があまりにもきれいに記事をまとめてしまっているので問題点が全く見えない。めちゃくちゃが「クオリティペーパーの立派な記事」に見えてしまうという点にこの国のジャーナリズムの抱える恐ろしさがある。日経新聞がこう書いているのだから問題はないだろうということになってしまうのだ。

もちろん高校にリサーチをしたり要望を聞き取ったりしてボトムアップで変革管理に取り組む方法もあるのだろう。多分、高校の側は自分たちの要求を押し付けるばかりで外からの変革は好まないだろう。「予算と人が足りない」という話になるはずである。実際に先生に話を聞くと「自分たちはいかに忙しく周囲から理解されていないか」という話になる。大学側も同じである。大学の先生たちもこと教育に関しては世間はバカだと思っている。実業の世界を知らないので企業の要望も分からない。こうした「分断された社会」では政治家の役割は本来はとても大切である。だが実際は政治家も分断された村を作っている。

例えば日経新聞のこの記事は政治担当記者が書いてまとめたのだろう。学校教育の実態はわからないから学校教育についての質問ができない。互いが互いのことを理解しようという気持ちが全くない。というよりそもそも日本にはお互いがお互いを理解する公共というものがない。その分野に特化した専門バカが跋扈する国なのである。

さらに下村さんは恐ろしいことも言っている。

「海外の大学で入試に学力テストを課すところは少ない。日本も全員がテストを受ける必要はなくなるだろうが、一気に無くすのはリスクがある。まずはより良いものに変えていく」

大学入試「20年度は大きな改革でない」 下村博文氏

下村さんのいう世界がどこの世界かは知らないが、アメリカの大学にもSAT®のような学力テストはある。留学生はTOEFLも受ける。授業を受けるためには必要ラインの学力があるからである。ただ、これは真面目に勉強すればそれなりの点数は取れるので、SAT®差別化はできない。下村さんや日経の記者がわかって書いているのか、それともわからずに書いているのかがわからないし、日経の読者がこれをどうとらえるかもわからないのだが、これでは学生の水準を図るテストが全く要らないように見えてしまう。

さらにテストは公平でなくてもいいなどと言い出している。なぜ日経新聞がこの意味を聞かなかったのか不思議で仕方がない。例えばこの議論だと女性の点数を低くして男性の医者ばかりを入れる大学は適格ということになる。保守と呼ばれる人たちが差別を正当な区別だと考えていることは知っているが、これはあまりにもあけすけだ。しかし、これが下村さんの持論なのだろう。

「大学には、一点刻みではない多様な入試をしてほしい。ただ、『公正公平ではない』という社会の批判に耐える覚悟と決意が大学にあるかという問題はある」

大学入試「20年度は大きな改革でない」 下村博文氏

「大学入試は公平公正でなければならないが画一的である必要はない」ならばわかるのだが、言われたまま書いて「こう言いましたから伝えましたよ」ではあまりにも無責任だ。

ただ、専門バカの世界では、聞き手側が吹き上がって炎上すれば「受け取られ方が悪かった」という言い方で済ませてしまう。誤解はすべて相手のせいであるという反省しない社会なのだ。

問題意識のなさ、多様性への無配慮、共感能力の低さなど日本の政治家は議論を先導するのに向いていない。同じ経験をした人たちに囲まれているため簡単な対話にすら慣れておらず、従って教育のような複雑な問題はそもそも扱えないのだろう。

もし下村さんが変革マネージャーとして入試改革を真剣にやろうとしているならこんな乱暴な話になっているはずがない。関係者のコミットメントが必要なのだからそれなりの説明をしているはずである。下村さんには日本会議に語りかける程度の配慮を持ってインタビューに臨んで欲しかった。

彼は明らかに「現場がバカだから俺たちのやり方が理解できない」と考えていて「言い放っている」。こういう人たちが大勢いて憲法改正や国会運営でも同じような乱暴な議論を展開し、周囲を怒らせたり戸惑わせたりしている。同じ経験をした仲間に囲まれるうちに自分たちだけが正しくて相手がバカだと信じ込むようになったのが保守という病なのだろう。

演歌の誕生 – 日本人にとって理論化とは何か

政治問題を扱っていると「保守とは何か」という疑問にぶち当たる。「だいたいあの界隈ね」ということはわかるのだが、本質を抜きだそうとしても抜き出せない。本質が抜き出せないためにそれに対抗しようとすると対抗運動も崩壊する。




「日本の保守が害悪だ」とするとそれを潰したいわけだが、それが潰れない。だからいつまでたっても我々の社会は停滞したままだというのがこのブログの考えている行き詰まりである。そしてそれを我々は野党がだらしないからだと説明している。でもそれは説明になっていないし何の解決にもならない。

こんな時にはどこか別のところからヒントが降りてくることがある。今回のそれは演歌だった。後付けだが歌謡曲の保守思想である。この演歌というジャンルは1970年にはすでに存在しており「昔からあった」ような印象がある。ピンクレディーが奇抜な歌謡曲を歌っていた時「昔からずっとやっている歌手」が「日本の伝統である演歌」を歌っていたという感じなのだ。

Quoraで回答するためにその演歌について調べた。回答そのものはいい加減なものになったが調査の読み物はとても面白かった。演歌は実は昔からあったジャンルではない。1970年代に新しく作られたジャンルなのだ。

もともと演歌の演は演説の意味だった。川上音二郎が元祖とされているそうである。ところが政府が政府批判を認めなかったこともあり政府批判を基盤とした演歌はなくなる。そして、大衆音楽の中に溶け込んだ。個人としての日本人は社会や国家などは扱わせてもらえなかった。個人で自由に表現できるのは個人の心情だけだったのである。小説の世界では自己を確立して外に打ち出すこともなく、心情を扱う私小説が流行したりしている。

大衆の歌は流行歌と呼ばれたようだが、これとは別に艶歌と呼ばれる一連の歌モノがあったようだ。楽器を使って街中で歌本を売り歩くような人たちを艶歌師と言っていたようだ。艶歌はプロモーションの一環であり歌は売り物ではなかった。

戦後、流行歌は次第に西洋音楽を取り入れて変わってゆく。基地まわりをする人たちが西洋のジャズなど取り入れて新しい流行歌を作った。高度経済成長期になると、都会に出てきた地方の人たちが望郷の念を募らせ歌を聴くようになった。ニーズを持ったユーザーの集まりも生まれた。しかし、グループサウンズやフォークなどが出てくるとこうした歌は「古臭い」として嫌われるようになってゆく。時代が急速に変化しアメリカから新しいジャンルが次から次へと出てきていたのである。

そんな中、五木寛之が1966年に「艶歌」という小説を出して「艶歌の再発見」をした。つまり西洋音楽に乗らない日本人の感情を歌ったのが「艶歌である」と言ったのである。「演歌、いつから「日本の心」に? 流行歌が伝統の象徴になった瞬間」によると、もともと西洋音楽と日本の音楽を雑多に混ぜ合わせた「流行歌」というジャンルから再構築されたのが艶歌である。そして1950年代からこうした歌を歌っていた人たちが演歌を自認するようになってゆく。春日八郎がその最初の一人であろうとWikipediaは言っている。

ここで「艶歌」という名前がなぜか「演歌」に変わっている。この「演」という言葉がどうして再び出てきたのかという説明をしている人は誰もいない。おそらく昔からあって文字が簡単だったのでプロモーションに使いやすかったのではないかと思う。この時点で演歌は昔からあったということになっているのだから、もはやもとの「演説」という意味を意識することはない。その実態は古びた望郷の歌だったのである。

まず正当化すべき内容がありそのために正当化に使えそうな箱を見つける。そしてあとはその箱の中で好き勝手にやりたいことをやる。これが日本的なジャンルの作り方なのである。ただ、これだけだと例が一つしかないことになる。J-POPについても見てみよう。

演歌を古びた地位に追いやった一連の音楽は歌謡曲と呼ばれるようになる。これも意味があるようなないような不思議な名前だ。だがやがて若者は歌謡曲に飽きて洋楽を聞き始める。昭和の終わり東京に英語で音楽を流すJ-WAVEというFM局ができた。ちょうどテレビでMTVなどをやっていた時代だ。

WikipediaのJ-POPの項目をみるとJ-WAVEがこれまでの歌謡曲と違った新しいポップスにJ-POPという名前をつけたことになっている。1988年から1989年にかけてのことだ。ちょうど平成元年頃の出来事ということになる。J-WAVEは日本の歌謡曲の中から「洋楽と一緒に(つまり英語で)紹介しても」遜色がない音楽を集めてJ-POPという箱を作ったのだ。古くさいと思われていたものをリパッケージ化したのである。

だから、あとから演歌とは何かとかJ-POPとは何かと言われると実はよくわからない。平成の最初の頃の洋楽っぽい音楽もJ-POPだが「AKB48」も「モーニング娘。」もジャニーズが歌う演歌っぽい音楽もJ-POPである。単に正当化の道具なので誰もJ-POPがなに何なのかということは考えない。

面白いのは平成元年頃に作られたJ-POPという音楽が今でも使われているということだろう。これに代わる新しい言葉はできていないわけで、それはつまり新しい音楽の聞き手が現れていないことを意味するのだろう。邦楽は30年もの間J-POPから進化しなかった。アメリカから流行を取り入れるのをやめてしまったからだろう。

音楽では演歌はただ忘れ去られてゆくだけだ。誰も演歌に不満をいう人はいない。保守に対して文句をいう人が多いのは実はそれに変わる新しいものが現れていないからなのである。

もともと保守にも実態はない。それは戦後の民主主義思想に乗り遅れた人たちがこれこそ日本の伝統であったという再評価をして自身を正当化しているに過ぎないからである。そしてそれに対抗する人たちも、社会主義・革新・リベラルという名前をつけて正当化を図っているに過ぎない。保守という実体のないものへの対抗運動なのでさらに実態がない。つまり、保守やリベラルをどんなにみつめても課題や問題点は見つけらないことになる。

音楽の流行は西洋音楽によって作られる。日本でこれが起こらないのは、多分日本人が新しいものを作ろうとはしないからである。なので、西洋から新しいものが入ってくるまで日本人は今の状態に文句を言い続けるはずだ。

面白いことに一旦箱ができてしまうとそれは人々の気持ちを縛る。多分演歌界の人たちはファンも含めて「これが演歌である」という経験的な合意がある。それに合わないものは「伝統にそっていない」として排除される。保守にせよリベラルにせよ「我々はこうあるべきだ」という思い込みがありそこから動けなくなるのだろう。

平成というのは西洋から新しいものを取り入れるのを諦めてしまった停滞と安定の時代だったということになる。停滞に文句は言っているが実はそれが日本人にとって居心地の良い状態なのだ。

日本が独自に民主主義を作ればそれは何もしないための仕組みになるだろう

連日韓国のニュースをやっている。「韓国はうまくいっていない」と主張することでうちは韓国よりもマシだという気分に浸りたい人が多いのだろう。みんな安心して騒いでおり目を背けたいニュースがそんなにも多いんだなという気分にさせられる。




Quoraでは、韓国とは断交したいが中国や北朝鮮のトクになるのは困るという質問を見かけた。日本人は民主主義という概念は理解しないが、誰か他の人がトクになると悔しく逆に誰かが困っていると自分が嬉しいという「細かな社会的会計」の概念を発達させている。このため意思決定に時間がかかり結局何もしないことを決めてしまうのである。小さな集団では機能する社会的会計だが集団が大きくなりすぎると予測が人間の脳の容量を超えてしまうのかもしれない。

ワイドショーを見ていて「面白いな」と思ったことがあった。「大統領が変わるたびにこんなに政策が変わっていいのか」という戸惑いの声だ。有権者が方針を決めたらそれによって劇的に変わるのが「民主主義だろう」と思ったのだが、日本人には受け入れられないらしい。

民主主義は意思決定の仕組みなのだが、日本人が求めるのは継続性と安定である。つまり日本人が意思決定の仕組みを決めると「何もしない」ことを選ぶ可能性が高い。多分日本人が決める憲法は「みんなでよくよく話し合って何も変えないために誰にも権力を持たせないようにしよう」というものになるだろう。

これを考えていて、面白い問題を見つけた。それが英語入試改革である。2013年頃に楽天の三木谷社長が「日本人は実用的な英語ができないから試験をTOEFLにしたらどうか」と言っている記事を見つけた。この線に沿って受験の改革も進められたがどういうわけか現場が大混乱しているらしい。なぜなのだろうかと思った。

Quoraで聞いてみたら「入試が変わって学生が戸惑うのは当たり前」と受験生の事情を切断した上で「何のための改革なのかわからない」と戸惑う大学の教授の回答がついた。この教授は英語教育には自分の考えがあるようだ。そもそも高校の先生が英語を話せないのに「試験を変えたからといって高校生が英語を話せるようになるはずがない」と言っている。そこまでは確かにその通りである。ただそこから教育方針を決める会議が「企業と一部の大学関係者に限られている」という不満に流れてしまった。つまり彼には彼の言いたいことがあり、その他のことはどうでもいいとは言わないまでも優先順位が低い問題なのである。逆に三木谷さんから見るとアカデミズムがどう考えていようと自分の会社の成果さえ上がればいいわけだ。つまり、日本人はお互いに他の村のことを聞く気持ちがない。

企業は英語が話せる即戦力がとにかくほしい。どうしていいかわからないから入試を変えたらと提案した。ところがもともとの目的が伝わらずどういうわけか「入試を変えたら」という話だけが一人歩きし、おそらく民間英語テストの利権確保などの話も加わり、かといってそれでは評価できないから旧来のテストも残そうということになり、最終的に混乱に至ったということになる。

そして、その間の全体像を知っている人は誰もいない。よくプロジェクトマネジメントがないというような話を聞くが、文部科学省も決められた通りに会議を行っただけで全体を通して物事を調整しようという気持ちにならなかったのだろう。そして官邸も自分たちの考えを学生に押し付けることに関心はあっても、日本の教育そのものには関心がない。

ふらふらと散策しながら日本人が決められない理由を探してきたのだがもう3つも見つかった。どういうわけか日本人は「目標を立ててそのために制度を変える」のがとても苦手なのだ。

  1. 誰が損をして誰が得をするかわからないから意思決定ができない
  2. そもそも急激に何かが変わると不安だ
  3. 目的意識を共有しようという気持ちが全くない

ここで韓国との比較は面白い。韓国は権力構造が変わると処遇が変わるという国だった。最初から中央集権化が進んだからであろう。中央集権化が進んだのはおそらく中国が大きすぎる敵だったからだろう。ところが日本は最後まで完全な中央集権化は進まなかった。藩を単位とした小集団が作られその中で比較的自由に意思疎通ができた。それでよかったのだ。韓国のような強い敵がいなかったため、小さなグループがお互いを牽制しながら全体としては何も変えない仕組みを作ったのだと思う。それが藩の生き残りに有利に働くからだ。狭い空間で争って滅ぼされるよりも相手に干渉しないほうが生き残れる確率が高かったのだ。

日本人は小さなグループの中で自治的な関係を保つことを好み、あまり他者から干渉されたくない。中で小さな変化はあったとしても大きな変化が外からくることを本質的に嫌うのである。

また、同質な他者が集まる関係の中で取り立てて個人主義を発達させる必要もなかったのだろう。現代の民主主義は個人主義との相性が良くしたがって日本人が民主主義を理解できないのは当たり前である。

このため日本人が最初から民主主義をデザインするならば藩レベル(つまり県よりも細かい)の集団主義的な民主主義になるはずである。そしてその目的は藩の維持、つまり何も変えないことだ。

実際に日本の経済は成長と発展から取り残されてしまった。ところが皮肉なことに成長がないから格差も広がらない。停滞と安定は同じことである。これはこれで良さそうな気がするが、戦後日本が手を染めた自由主義経済は成長を前提にしている。つまり成長を前提にした仕組みと成長しない仕組みが軋轢を引き起こす。

ポピュリズムが日本ではまだ流行らないのはなぜか?静かに迫る「民主主義の危機」はそのような筋立てになっている。社会保障制度は成長を前提にしているため、これが崩れるだろうといっている。現代の日本は動きが止まった人間ピラミッドのようなものだ。すなわち重みに耐えかねた下の方から疲労骨折で圧死する社会である。ただ圧死者は少ししか出ないので全体としては格差が少ないように見える。しかし社会保障の仕組みはある日突然破綻するだろう。その衝撃はかなり大きなものになるはずだ。

それでも我々は小さなグループに閉じこもり何もしないことを選ぶのである。

上野厚労政務官の辞任 – 自民党はたぶん内側から崩壊する

上野厚労政務官の辞任というニュースが飛び込んできた。いわゆる「文春砲」で秘書があっせん収賄を匂わせる音声記録を文春に持ち込んだというケースである。内閣や政党の崩壊は中から進むんだろうなあと思った。




まず、この件について野党の追求が世論の支持を集めることはなさそうだ。官邸側も慣れっこになっているようで田崎史郎さんにテレビで説明をさせていた。官邸側が「政府と切り離してさえしまえばあとはどうとでもなる」と考えていることがわかる。

田崎さんは実際には大量の口利きなどできるはずはないから斡旋はなかったのではないかと言っていた。田崎さんがこう言っているということは取材が終わっていて官邸も大筋で了承しているということなのだろう。あとは厚生労働省側が「そんな話はない」といって資料を破棄してしまえばそれで終わってしまう。あったかなかったかはわからないがとにかく話としては終わってしまうのだ。

あと残るのは詐欺の可能性であるが、政権の立場からみると「政治家が説明責任を果たすべき」で終わってしまう。これで切り離し完了である。

そこで気になるのは上野さんのポジションである。上野さんは清和研(現在の主流派)なのだが「外様」なのだ。そして選挙に強くない。コマとして活躍できなければ切り捨てられてしまう人なのである。

官僚出身の上野さんは代議士の娘と結婚する。代議士はみんなの党から出馬しようとしたが公認されなかった。そのため娘婿である上野さんが名前を継いで立候補した。当時の読売新聞の記事の引用がところどころに残っている。渡辺喜美さんは名前も継いでよかったねというようなことを言っていたそうである。

ところが上野さんはあまり選挙には強くなったようで比例代表でなければ選挙に受からないという状態に陥った。比例頼みということは大きな政党に所属していなければ生き残れないので維新の党(渡辺喜美さんについて行ったのかもしれない)に移籍し、最終的に自民党町村派に所属することになった。家督を継ぐために養子をとり藩を渡り歩くというようなことが現代の日本でも時々起きているらしい。

TBSで見た田崎さんのストーリーでは上野さんはお金と支持者に困っていたのではないかということになっていた。「自民党は新規会員を集めなれけばならないノルマがあり」そのために「少額づつお金を集めようとしたのではないか」という説明だった。

町村派にいると言っても出自からして数合わせのための存在に過ぎないのだろう。自民党はライバルがいないので候補者を集めてこなければならない。そしてこういう基盤の弱い人は自分たちがかかえ込むに限る。ただし、何かあった時に面倒を見たり庇ったりすることはない。つまり安倍政権の強固さを背景にした冷たい関係が成立しているのである。

田崎説に従うと支持基盤のない上野さんは200万円の金と新規党員獲得に困っていたようだ。そして困窮しているのは多分上野さんだけではないだろう。つまりこうした人たちがいろいろな「創意工夫」で暴走している可能性は大いにある。そして上野さんの例でわかるように露見しても議員辞職はしなくて良い。だから、こうした行為は病気のように自民党内で蔓延するだろう。政策に強いいわゆる「保守本流」や石破さんたちの新派閥ではこんなことは起こりそうにない。ある程度倫理力がないと組織が保たないからである。

野党は「あっせん収賄の疑いがある」と騒いでいるのだが、あっせん収賄が証明できなかった場合のプランBについては考えていないようだ。つまり騒ぐだけ騒いで終わりになって「ああまたか」と思われる可能性が高い。そして野党が何か決定的なことを見つけないとマスコミは乗らないし有権者は騒がない。裏を返せば「野党が騒ぎマスコミが揺れる」ところまでは問題は膨らむということである。もちろんどれくらいの時間がかかるかはわからないのだが、ブレーキがないのだからそれは確実に進行するだろう。

上野宏史氏は東大を出てハーバード大学にも留学している。官僚になったこともありかなり頭が良い人なのだということがわかる。ただ、有権者は政策ではなく「上野さんの家の娘婿だ」という理由で票を入れている。あのお家のことはよく知っているから何かあれば面倒を見てくれるのではと思っている人が多いのかもしれないし、そこまで深く考えずに票を入れている人も多いのだろう。そして上野さんが政策で重用される可能性はない。武闘派の保守傍流は政策など気にしない。だから上野さんの才能が活きることはない。極めて残酷な話である。

そして、有権者は「なんとなく安心だから」という理由で票は入れてくれるが「保守の敵陣営に勝たなければならない」という動機はないし、政策も気にしない。つまり、上野さんは地元からも経済的支援も政策への理解も得られない。勝ちすぎた自民党にはそういう人がたくさんいるはずだ。ある意味才能の墓場と言える。トップである安倍首相の考える「ボクの政策」を支持するためのコマに過ぎないのだ。こんななか倫理観が働くはずはない。個人の論理では動けないから、良し悪しの判断を個人でしなくなってしまうからである。そ

経済的な困窮とブレーキのなさが合わさると内側から崩れるのが早まるのかなと思う。その時に野党の受け皿はできていないわけだからかなり大変なことになるだろう。小選挙区制度を導入し党の権限も強化したはずなのに昭和末期から平成にかけての政界再編騒ぎみたいなことがまた起こるだろうということになる。

日本の政党政治にはなんらかの欠陥がありそれが修正されていないのだろう。多分欠陥とは個人の考えを擦り合わせた上で社会化するというプロセスそのものだ。そう考えると自民党が破壊される前に議会制民主主義そのものが野党も巻き込んで壊れてしまうのかもしれない。

自民党の迷走する入試改革

安倍政権の政策の進め方がどんどん雑になっている。どうしてこうなったのか?と思うのだがカウンターになる選択肢がないためタガが外れているのかもしれない。今度は入試改革だ。受験生が各地で政治家や官僚に直訴するという事例が増えているという。だがお恥ずかしいことに全く知らなかった。




このニュースを知ったきっかけは柴山大臣が炎上しているというスポーツ紙の記事だった。表現の自由で問題になる発言をされたらしい。選挙演説でヤジってくる観衆を力づくで押さえつけたというのである。

ただこれもテレビではニュースとしては扱われておらずTwitterで知ったことをきっかけに何が起きているのかを調べる必要があった。

テレビはパンとサーカス状態になっている。面倒なことから目をそらし誰かを犠牲にして庶民の憂さ晴らしの材料を提供しているだけである。この日は防災情報そっちのけで韓国の政治スキャンダルについて長々と扱っていた。日本人は誰も傷つかないから安心して叩けるのだろうなあと思うが電波の無駄遣いでしかない。

まず見つけたのが英語の民間試験をやめてほしいというものだった。民間の試験を使って実用的な英語を覚えるという目的はそれほど悪いものではないと思う。TOEFLを勉強すればアメリカの学校に通える英語力がつく。そしてその英語はアカデミックイングリッシュと呼ばれる実際に役に立つ英語である。改革の趣旨は良かった。だが、そのやり方は乱暴極まりない。

記事を読むと都道府県によっては受けられないテストもあるらしい。民間の試験会場に行ってくださいというものだからである。これでは学生が躊躇するのも当たり前だろう。さらに選択肢が複数ある。大学側からするとお互いに英語の実力が比べられない状態になるわけで混乱するのは当たり前だ。

テレビがちゃんと扱わないからこんなことになるのだと思ったのだが、野党側が火をつけようとした形跡はある。Quoraで調べたところ6月にこんな回答が出ていた。「反対運動は起きているがどこの団体が主催したものかわからない」とするものがあった。野党側がいろいろ仕掛けたものの一つなのかもしれないなあと思う。これまで有権者を切り捨て続けてきた野党には炎上騒ぎを起こす以外に国民に訴える選択肢はない。そして炎上しない案件はすべて忘れ去られてしまうのだろう。結局当事者たちが混乱の最中に放り出されることになる。

そうなると当事者たちは直接声をあげるしかないのだが、日本では声をあげた人をルールブレーカーとして叩いていいという社会的風習がある。「真面目な庶民」の憂さ晴らしの道具になってしまうのである。

こんななかとんでもないことが起きた。柴山文部科学大臣に民間試験の廃止を訴える野次を飛ばした男性が取り押さえられたというのである。政府に反対の立場を取ることが多いい東京新聞はどんな野次だったのかを伝えているが、NHKは野次の内容や相手側の言い分は伝えず柴山大臣のコメントだけを報道した。そしてそれがとても恐ろしい内容である。

自民党の代議士がうっすらと信じている「自分たちは支配者でありどこまでの人権がお前らにふさわしいのかは俺たちが決める」という本音が見え隠れする。つまり天賦人権などこの国では単なる建前だと言っており、それをNHKは無批判で流している。入試改革も「俺たちが決めてやったんだから黙って従え」ということなのだろう。

柴山文部科学大臣は閣議のあとの記者会見で、今月24日に選挙応援のために行った街頭演説の際、「大声でどなる声が響いてきた」としたうえで、「表現の自由は、最大限保障されなければいけないが、権利として保障されているとは言えないのではないか」と述べました。

街頭演説でどなる声 柴山文科相「大声出す権利 保障されない」

表現の自由は誰かが保障する類のものではないし権力者が勝手に決めて良いものではない。特に権力にあるものが自身への批判についてコメントする場合には、かならずどんな批判だったのかを伝えるのが民主主義国家のジャーナリズムの基本だろう。しかしNHKはそのことが分かっておらず、またこれを受け取った視聴者たちもきっと何が問題だったのかを認識しないはずである。日本では民主主義は建前に過ぎないということになる。

柴山大臣は「大集団になるまで黙っていろというのか?」と反論しているが

そもそもそれが集会の自由である。大集団になっても権力がそれを差し止めるべきではない。民主主義には極めて戦闘的な一面がある。つまり「殺し合い」や「財産の奪い合い」はしないが、言論では闘争的になる可能性があるということである。

しかも日刊ゲンダイをみると野次を飛ばしたのは慶応大学の学生であったそうだ。その声に賛同をする高校生もいるが柴山大臣はそれを「威力業務妨害にならないように」と脅しているそうである。権力には黙って従え、さもなくば懲罰が降るぞと言っているのだが、それがそのまま問題視されないところまで我々の国は来てしまっている。

もちろん心情として対立を嫌う日本人が闘争的民主主義を全て受け入れる必要はないだろう。フランスや韓国など激しい民主主義の形を嫌う人たちは多いだろう。だが、少なくとも権力にいる人たちが「これを言ってはおしまい」だし、本音と建前を分けてしまうと何が問題なのかがわからなくなってしまう。

ただ、一歩引いた目で見るとちょっと違った景色が見えてくる。性急な改革の裏には「配下の国会議員を喰わせるためにはなりふり構っていられない」という事情もあるのだろう。もう利益誘導を隠していられる余裕はないのである。暴走寸前なのだが自制心は働かないだろう。民主主義は建前だから破っても良いと思っている人を止めてくれるブレーキはどこにもないのだ。

トウモロコシで安倍政権はまた一つ嘘を重ねる

日本がアメリカからコーンをたくさん買うことにしたという。ところが日本側の報道をみてもどんな合意があったのかさっぱりわからない。やっとAERAの電子版が「あの説明は嘘だろう」という記事を出してジャーナリズムを批判した。新聞の政治部は安倍政権から人事関係の情報をもらいたいので政権が嫌がることは書けないのだろう。だから週刊誌の電子版という離れから批判するしかないのだ。




アメリカ側のニーズは明確である。トランプ大統領の関税戦争に報復するために中国は支持基盤である農家を狙い撃ちにしているらしい。ロイターによると大豆・豚肉などの被害が大きいようだ。しかし、被害がどれくらい出るかはよくわからない。それくらいアメリカは揺れている。トランプ大統領は補償を打ち出したが、6月にすでに多くを使い果たしているという報道もある。つまり今回のトランプー安倍ディールはアメリカ政府の補償の肩代わりの役割を果たすことになる。

To compensate for lost sales to China, the U.S. government has offered $28 billion in aid to U.S. farmers, of which about $8.6 billion had been doled out as of the end of June.

Factbox: From phone makers to farmers, the toll of Trump’s trade wars

Quoraで聞いてみたがやはり安全保障上アメリカがパートナーであり中国とは敵対しているという安全保障に関連する見方がでた。つまり、安倍政権は安全保障上トランプ大統領の支持者を支えているのだろうという説である。日本から見ると出てこない姿勢だなあとなんだか感心させられた。

しかし、そもそもこの話題に興味を持った人は少数派だ。英語版ではトランプ大統領がアメリカの農業を破壊するという質問には関心が集まっていた。しかも向こうで勝手に文脈が作られた説も流布している。全てロシアが関与しているのだという説にたくさんの高評価が付いていた。

日本のトウモロコシはほとんどが輸入されているそうだ。65%は家畜用の飼料で20%はコーンスターチとして加工されているという。もともと9割はアメリカから買っている。しかし、このコーンは穀物としてのトウモロコシだ。野菜としてのトウモロコシは別扱いだ。こちらは意外なことに自給率が99%もあるそうである。さらには今回病害虫の被害が出ているという葉っぱや茎を食べさせるトウモロコシもあるそうだ。整理するとこうなる。

  • 野菜としてのトウモロコシ:(遺伝子組み換えだと騒ぎになっている。どうせ飼料用のトウモロコシに混ぜて使うんだろうという強者までいた)
  • 飼料用穀物トウモロコシ:(すでにアメリカから買っていて今後追加で買う)
  • 飼料用の葉と茎を利用するトウモロコシ:(軽微であるが病気が南九州で見つかっている)

飼料穀物としてのコーンを追加輸入する可能性が高いのだがそもそもアメリカから買っているため「単に数百億円の余剰のコーンが増えるだけ」ということになる。ブタが突然二倍のトウモロコシを食べるようになるとは思えないから余剰在庫になるのだろうし、そもそもいつまでも買い続けるわけにはいかない。

一方でTwitterで出ているように日本人の食用のトウモロコシが遺伝子組み換えに侵されて健康被害が増えるということもなさそうだ。遺伝子組み換えトウモロコシが栽培されれば生態系には影響は与えそうだが、今回は輸入種が入ってくるだけである。そもそも家畜の餌になっておりそれが二次的に我々の口に入るに過ぎない。

新聞はあてにできない。アメリカの世論も混乱しているし日本でも環境派が騒ぎ出している。そして日本政府の説明もデタラメである。こんな時は原典を当たってみるに限る。きっと有益な情報が見つかるのではないのだろうか。

トランプ大統領の発言がホワイトハウスにあったので読んでみたのだが。ほとんど何も言っていない。全てが感覚的な言葉で彩られ「何を大筋合意(agreed in principle)したのか」がさっぱりわからない。言っているのは「全ては自分たちの思い通りに行った」ということと「国連総会(UNGA)の時に合意することができるだろう」ということだけである。曖昧なのに最後に全部で合意したとまとめている。

PRESIDENT TRUMP:  So, thank you very much.  We’ve been working on a deal with Japan for a long time.  It involves agricultural and it involves e-commerce and many other things.  It’s a very big transaction, and we’ve agreed in principle.  It’s billions and billions of dollars.  Tremendous for the farmers.
And one of the things that Prime Minister Abe has also agreed to is we have excess corn in various parts of our country, with our farmers, because China did not do what they said they were going to do.  And Prime Minister Abe, on behalf of Japan, they’re going to be buying all of that corn.  And that’s a very big transaction.  They’re going to be buying it from our farmers.
So the deal is done in principle.  We probably will be signing it around UNGA.  It will be around the date of UNGA, which we all look forward to.  And we’re very far down the line.  We’ve agreed to every point, and now we’re papering it and we’ll be signing it at a formal ceremony.

Remarks by President Trump and Prime Minister Abe of Japan After Meeting on Trade | Biarritz, France

終わりの方でも念押しをするようにコーンについて安倍首相に語らせようとしている。選挙キャンペーンに協力するような画を撮らせたかったのだろう。安全保障の問題で「北朝鮮の短距離ミサイルは日本の問題だから」と言って何も語らせなかったのとは全く人が変わったようである。

表向きは病害虫の件を持ち出したようだが、先に調べたように日本のトウモロコシはアメリカの飼料用コーンとは関係がなさそうだ。安倍首相がよくわかっていなかったのか、あるいは事務方がごまかしたのかはわからない。国会運営でおなじみの不用意なことをいって後の対応を菅官房長官に丸投げするという構図である。この後野党が嘘だ嘘だと騒ぎ立て国民が疲れて終わりになるのだろう。

トランプ大統領にとってはそもそも記者会見が大切だったのだし、日本も当座のメンツは立つことになる。ただ、後の説明はいつものようにおざなりである。安倍首相は国民への説明などどうでもいいと思っているのだろうなあと改めて思わされる。

冒頭に述べたように、日本のメディアはほとんどこの件について触れていない。取材が難しいのか何かに遠慮しているのかはわからない。日本政府がメディアを検閲しているとは思えないのでメディアがなんらかの事情で自粛しているのだろう。

そこで自分で調べてみるとSNSでは様々な情報が飛び交っている。その意味では新聞の政治報道は自殺を図っているのだろうなあと思う。人事という情報を「自分たちがいち早く知る」ためのゲームに奔走し、国民にとって何が一番重要かを考えることを忘れ、必要な情報を正確に早く伝えることを放棄しているのだ。

トランプ大統領 – 気に入らないものは全部壊してやる!

G7が大混乱したようだ。混乱を引き起こしたのはトランプ大統領である。事前に共同声明が出せないことが問題になっていたが実際の混乱ぶりはそれ以上だったようだ。特に目立ったのがアメリカとヨーロッパの対立である。




まず、イランのザリフ外務大臣がフランスを訪問しマクロン大統領らと会談した。ヨーロッパの高官たちと会談したことからヨーロッパがアメリカとイランが緊張関係になることを望んでいないことがわかる。この訪問は一部の関係者にしか知らされていなかったようだ。なぜマクロン大統領がこのような行動に出たかを書いている記事は見つからなかったのだが、トランプに敵対的と思われるブルームバーグはこう書いている。

Zarif is a lightning rod for the Trump administration, which sanctioned him personally just recently and heavily restricted his movements during a recent visit to New York. Macron had wanted to shake up the summit, and he has already angered the American side, which accused him of trying to manipulate the agenda to embarrass Trump.

Macron Invites Iran’s Zarif to G-7 Sidelines, Risks U.S. Outrage

トランプ政権はザリフ外相がアメリカに入国できないようにしており、ザリフ外相は国連で外交に参加できない。マクロン大統領はこのことを知っていてトランプ政権を揺るがそうとしたのではないかという観測である。

記事が言っているようにアメリカ側は「G7を使ってトランプ大統領をはずかしめようとしている」と考えて当然だろう。さらにマクロン大統領は共同声明が出せない無能なリーダーであるという印象を払拭したかったのかもしれない。朝日新聞はイランとアメリカが対話するきっかけを作れたというマクロン大統領の総括を紹介している。マクロン大統領がトランプ大統領に苛立っている様子はわかるし、民主主義国のリーダーが政権維持のためになりふり構わなくなっている様子もわかる。

意趣返しとしてトランプ大統領はロシアを復帰させてはと提案したようである。クリミアをめぐってロシアとヨーロッパは対立しているので、これは嫌がらせになる。ヨーロッパはこの問題で絶対に折り合えないからだ。結局この問題は最後まで対立が続いた。

初日はトランプ氏が、ウクライナ南部クリミア半島併合を機に2014年に追放されたロシアのサミット復帰を提起。欧州側は「時期尚早」との立場で、公式発表はないものの、双方が主張をぶつけ合ったとみられる。

景気下振れ回避へ協調=ロシア復帰を協議-イラン核保有認めず・G7開幕

もともとイランの権益は英米のものだったので、今回のイラン封じ込めに熱心なのはこの2カ国である。残りのヨーロッパの国々はなんとか調停しようとしたのだろうが、イタリアもドイツも政権が崩壊途上にあるために調停に参加できない。フランスとしてはリーダーシップを示せるチャンスだったのだろう。

日本ではこれから「欧米の間を取り持って安倍首相が調整役を買って出た」というお話が流布されることになるのだろう。実際には欧米の間で右往左往しつつ自分たちの国益も満足に守れなかったことが浮き彫りになった。菅官房長官は、国の自動車関税の撤廃が見送られたことについて「米国側に押し切られたという指摘は全く当たらない」と述べ苦い表情を浮かべた。幸いなことにこれは大きな問題にはならないだろう。日本人は韓国叩きに夢中なようで内閣支持率は上がっているそうだ。

菅官房長官が苦い顔を隠さないことからわかるように、日米の会談でもかなりいろいろな問題があったようだ。まず安倍首相は朝鮮民主主義人民共和国のミサイル問題でアメリカの理解が得られなかった。今後いろいろ取り繕うことになるだろうが、トランプ大統領が地域の安全保障に興味がないということは明らかだ。日本のテレビはこれはやらないだろうと思ったのだがTBSでは恵俊彰がトランプ大統領に怒っていた。要するにアメリカは「日本の問題なんだから勝手にやれば?」と言ったのである。

首相はすぐに「常にトランプ氏とは緊密に連携している」と力説。トランプ氏は「日本の首相がどう感じるかは理解できる。シンゾーと私が首脳である限り、日米はいつも同じ考えだ」と気配りを示した。しかし、両首脳の「考え方の違い」(米側記者団)は誰の目にも明らかだ。

対北朝鮮で温度差鮮明=遠のく日米韓修復-協定破棄、議題とならず・日米首脳会談

さらに、日米貿易交渉もアメリカに妥協する形で合意がなされそうである。日本側は妥協していないように見えるために工夫しようとしたようだが、アメリカは「いいことなのですぐに発表しよう」として日本側の記者がいない中で会見を強行したようだ。自動車関税の撤廃を諦めたことを記者たちに突っ込まれないようにしたのかもしれないなどと思ってしまう。

日本が米国に要請してきた工業品の関税引き下げでは自動車本体の関税撤廃を先送りする。今回の貿易交渉とは別に、今後も協議を続ける。米国は離脱したTPPで「自動車関税を25年で撤廃する」と合意した経緯がある。

日米首脳、貿易交渉で基本合意 9月下旬に署名へ

さらに、トランプ大統領は「日米貿易交渉とは別に日本がトウモロコシを買ってくれる」と表明した。G7で何もお土産をもたせてもらえなかったトランプ大統領は日本のトウモロコシ買い付けだけを喧伝するのではないか。しかし、最近の言動からわかるように安倍首相は便利な道具扱いでトランプ大統領のパートナーと見なされることはないだろう。ネタニヤフ・イスラエル首相と違って安倍首相が選挙の集票に役に立つことはないからである。

いいところがなかった安倍首相は内閣改造を打ち出した。これは新聞・テレビにとってみれば生肉みたいなものだ。つまり、それを追っている間は内閣批判は起こらず、トウモロコシや自動車関税の件は都合よく忘れられてしまうのだ。

G7に出席中のトランプ大統領が中国に対して圧力をさらに強めたというのがABCニュースのトップニュースだった。結果的に株価が下落し円が1円69銭も高くなっている。G7は先進国の対立と経済摩擦の激化を浮き彫りにしただけだった。誰の目にも役割は終わったことがはっきりしたのではないだろうか。

政治的対立をこれ以上激化させないためにはどうしたらいいのか

このところ日韓対立をもとに「どうしてこうなったのか?」ということを考えてきた。




もともと国内政治の矛盾を隠蔽するために「対立を利用しよう」とする動機が日本にも韓国にもあった。これがお互いに呼応する形でエスカレートして行き誰にも止められなくなってしまっている。これをどちらかだけのせいにするのは難しそうだ。お互いの政権二同じようなニーズがあったと考えるべきだろう。また、アメリカは地域の調停に興味を失っておりこれも対立に拍車をかけている。

この対立は何も日韓関係だけではない。相似形はいろいろなところにある。例えば香港と中国の間に対立があり、インドとパキスタンにも対立がある。さらにイランとイスラエルも直接対決を始めたようだ。中国とアメリカも対立しており株価や経済に影響が出始めている。局所的にはインドネシアの西部(パプア)でも地元住民との間で対立が深まっているようである。これを全てアメリカのせいにすることも難しそうだ。どういうわけか対立は連鎖する。

背景にあるのは国内の経済的な困窮や不安などがあるのだろう。この不満が仮想敵を見つけてしまうとどこまでも燃え上がる。政権側がこれを利用して気を逸らそうとする場合もあるし、民衆側が仮想敵を見つける場合もある。

香港は経済上の地位の低下が不満に結びついたようだ。インドはヒンズー主義の台頭が原因になっており、インドネシアは国粋主義的な団体がパプア系に心ない言葉を浴びせたのがきっかけのようだ。パプアはイスラム圏のインドネシアにあって唯一キリスト教が優勢であり民族構成も頭部とは大きく異なる。イスラエルは首相の進退をかけた総選挙を控えており米中対立もトランプ大統領の選挙キャンペーンが原因だろう。

こんななか対立を抑制する方法にも見通しがついた。日本人は歴史教育は受けるが歴史の分析や討論の分析は行わない。かなり教育水準が高いはずの日本で、こと歴史・政治議論が先鋭化しやすいのは政治・歴史問題が「個人の印象」以上のところに持ち上がらないからである。つまり問題を社会化すれば解決の糸口が見つかる。

政治議論を観察していると、印象から作られた自分のポジションに都合が良い材料ばかりを集めてくることがわかる。この過程で「本音と建前」という二種類のロジックを使い操作しているのではないかという仮説も作った。綿密に文脈を作れてしまうために、却って元あった形が見えにくくなってしまう。このため社会で問題を解決するのが難しくなり議論が膠着するのだ。

「議論ができない」理由がわかれば対策が立てられる。つまり日本人は解釈をあまりにも重要視するので、元あった議論の形がわからなくなると大変不快な状況におちってしまうのである。ここから脱却するためには本音も建前も実は後付けのロジックであり、物事には多面性があるということをあらためて捉えなおさなければならない。

人間が理性的になれるのは感情的にフラットな状況にある時だけである。例えば戦争責任の問題は最初から「日本は反省しろ」とか「いや反省しない」という状態になっている。確かに長年謝ってこなかったのだから相手が苛立つ気持ちもわかる。しかし、よく知りもしないことに対して「とにかく謝れ」などと言われて不愉快に思わない人はいないだろう。まずは心理的に追い詰めないことが重要なのではないかと思う。

もう一つわかったのは、今の政治的議論は偏りが大きいと考える人が意外とおおいということだった。「公平に物事を見たい」というニーズがある。ブログはどちらかに偏ったタイトルをつけないと読んでもらえないことが多いのだが、実名制の質問サイトでは必ずしもそうはならない。政治議論に参加している人たちは声が大きくどちらかの陣営にコミットしていることが多い。このため自分の意見を決めかねているサイレントマジョリティも多いのかもしれない。ただ彼らも物事には真実があると思いこでいる節がある。歴史の教科書では出来事の解釈は一つしかないのが当たり前なので、解釈と現実がごっちゃになってしまうのだ。

問題解決の糸口は「物事の単純化」と「多面性の容認」であることはわかった。しかし、世界の情勢を見ていると経済的に追い詰められている人たちが多く「理性的になれ」などと言ってみてももうどうにもならない地域も多い。

私たちができるのはこうした対立を見て、感情に任せた議論ばかりしていては取り返しがつかなくなるということを知ることだけなのかもしれない。人間はどこまでも理性的でいることはできないのである。

長期的国際戦略が立てられなくなったアメリカとグリーンランド買収騒ぎ

トランプ大統領がデンマーク訪問を取りやめた。すでにいくつも分析が出ているのだが、「グリーンランドが買えなくなったからだ」と言われているそうだ。実際にはデンマークの女性首相に「馬鹿げている」と言われて腹を立てたのではないかと言う観測がある。「嫌な奴(ナスティ)」と応酬したという。




このことは日本ではあまりニュースにならなかった。だが、GSOMIAの件と絡めて「アメリカは長期的な視野で安保戦略を組み立てられなくなっているのだろうなあ」と思った。デンマークは小国とはいえNATOの一員である。アメリカは同盟国を重視しなくなっているのである。というよりデンマークがアメリカの同盟国であるということをトランプ大統領はわからなかったのかもしれない。個人的なつながりが重要なトランプ大統領にとっては北朝鮮の方が近しい国なのかもしれないのである。

さらにトランプ大統領はNATOをそれほど重視していないようだ。予算を削減しようとドイツなどに圧力をかけているし、INFからも離脱してしまった。自分たちは自分たちで守ればいいという考えなのだろう。

それでも大統領の無知は看過しがたい。そもそもグリーンランドはデンマークの自治領である。自分たちの頭越しにデンマークとアメリカの間で「買収計画」が進むことなどありえない。

とはいえデンマーク政府は怒ったりしなかった。どちらかといえば大人の対応を取ったといえるだろう。笑ってごまかそうとしたのだ。すると相手にされなかったとしてトランプ大統領は逆ギレし「ナスティ」と相手側首相を名指しした。ナスティとは「ムカつく」くらいの意味である。普通の外交儀礼では出てこない言葉だ。

このニュースを聞いてまず思ったのは「グリーンランドが買いたい」というのが誰の思いつきなのかということだった。不動産屋らしい発言ではあるがあまりにも突拍子がない。さらに、これを誰も止めなかったんだなと思った。つまり、止められる人が政権内部にいないのだ。

この話はここで落ち着いたと思っていたのだが、トランプ大統領がグリーンランドにトランプタワーを建てるコラ画像を流したところで「ああ、ムカついているんだろうなあ」と思った。さらに、デンマーク行きをキャンセルしたというニュースを聞いた時「ああ、大統領の暴走を誰も止められなくなっているのだろう」という気持ちが確信に変わった。安保だけでなく外交もできなくなっているのだ。

日本ではこのニュースが流れなかったが、これを聞いたヨーロッパの人たちは多分「アメリカはもう当分あてにならないのだろうなあ」と思ったに違いない。

ところがアジアはまだアメリカを信じきっている。韓国は今回GSOMIAを離脱するにあたり「米韓同盟があるから大丈夫だ」というような説明をしたようだ。巷にはアメリカのメンツを潰したという分析をしている人がいるが、文在寅大統領はアメリカに甘えたのだと思う。

しかし、実際のトランプ大統領は思いつきで金正恩と会談し韓国まで届くミサイルを撃っても「厳密にいえば国連安保理決議違反だがみんなやっているんだからいいじゃないか」ということを言っている。全てが場当たり的である。これはトランプ大統領が朝鮮半島情勢に大した興味を持っていないということを意味しており、同時に長期的戦略ではなく個人の経験や勘に頼りきっていることがわかる。

日本のマスコミは日韓関係に夢中になっており、政府もアメリカの調停力に期待もしているのだろう。アメリカは今でも東アジア情勢に関心を持ってくれているであろうという暗黙の期待が背景にあるのかもしれない。

ご存知のように日米同盟は在韓米軍の後方基地であるというのが暗黙の前提になっている。保守の人たちは口が裂けても言わないだろうが在日米軍の存在価値はそこにあり、アメリカに付随して動く自衛隊もその枠組みの中にある。今の政府が集団的自衛権の議論にこだわっていたのは、日米同盟(日本の領域が枠組みになった集団的自衛体制だ)を徐々に朝鮮半島からインド洋にまで広げたかったからだろう。

つまり、アメリカが朝鮮半島に興味を失うということは日米同盟にも興味を失うということだし、今ある自衛隊の改憲議論も土台から崩れるということを意味する。つまり、ここから先、保守の人たちはこのことをうすうす感じつつ表向きは絶対にそれを認めないという立ち位置に立つことになる。左派は自分たちが国内世論から見捨てられていることを知って護憲にしがみついたが、右派もこれからそうなるだろうということだ。

保守の人たちはアメリカがあてにならないということがわかっていつつアメリカを前提にした議論を続けようとするだろうし、いわゆるリベラルという人たちもその議論に依存しており反対を続けるのだろう。彼らがどちらとも「1mmも妥協できない」と主張するのは実は議論の土台がもはや有効でないということを知っているからなのかもしれない。そして残りの人たちはその無駄な議論に付き合わされることになるだろう。

こうなったら、この状況を前提に一度改憲議論をしてみればいいと思う。つまり、実際に議論が破綻するまで彼らはそれを認めようとしないだろうからだ。

トランプ大統領が長期的視野を持てなくなっているのは嘆かわしいことなのだが、よく考えてみればアメリカの国際戦略は対共産党シフトだった。経済圏としての共産圏は消えてしまったのだからもはや意味がないシフトなのだ。アメリカが国内や中南米の共産化を防ぎたかった気持ちはわかるが、なぜアジアまで面倒を見なければならないと思い込んでしまったのか、改めて考えてみるとよくわからない。

贅沢を言えばアメリカにはソフトランディングしてほしかったがトランプ大統領のような破壊者が現れるのは時間の問題だったのかもしれない。