緊急災害時とネットメディア

地震から1日経った。人間は情報量が多くなると適切な行動ができなくなるというNewsweekの記事を読んだばかりで、テレビから一日中流れてくる被災情報とテロップに圧倒されながらちょっと怖くなった。情報に圧倒されていて「情報疲れ」を起こしているのが実感できたからだ。地震の経験は2分くらいしかないわけだから、そのあとは「〜が来るかもしれない」という情報に圧倒されることになる。そうした中「多分デマだろう」という情報に接した。ということで、地震後の雑感をまとめたい。

情報は錯綜する

どうやら、いろいろな情報が流れてくると、テレビで聞いた事・実際に見た事・人から聞いた事などが区別できなくなるようだ。これには著しい個人差がある。故に情報は錯綜すると考えたほうがいい。多分「情報」よりも「行動指針」を示したほうが、情報弱者には優しい。情報に強い人は「何らかの事態を想定し」「それに対する情報を探し」「関係ある情報を選択している」のに対して、情報弱者は「とにかく来る情報をすべて受け入れ」「それを感情的に処理し」「圧倒される」というプロセスを踏んでいるのと思う。感情的に処理とは「かわいそう」とか「こわい」とかだ。そして、いざ何か行動を取らなければならなくなったときに「なんだか分からない」ということになる。そして情報強者も情報量が増えるのに従って判断力を失って行く。
しかし情報の収集に慣れている人は「何か隠しているのではないか」と考えてしまうかもしれず、これらを整理して流すのはなかなか大変そうだ。情報リテラシーが低下すると、漢字の見た目で「これはひどい事になっているに違いない」と感じるらしい。テレビは情報を蓄積できない。何時間かごとに「高速道路が止まった」とか「動いた」という情報が出て来たり、1日前の情報がテロップで出ると判断に必要な情報が取り出せなくなる。次回のために文字情報のルールを作っておいたほうがいい。死者数を流すときと、高速道路の情報を流すときに背景色を変えるとか、できることはいろいろあるはずだ。少なくとも「起こったこと」と「現在の行動指針のための情報」は明確に区別したほうがいいだろう。

人は情報を交換するがその通路は様々

最初に地震が起きたとき、年配は積極的に声をかけてきた。「地震がありましたね」とかその程度だ。僕は40歳代なのだが「何か崩れましたか」とか「震源はどこですか」とか「余震が続いていますね」とか声を返す。これが安心を生み出す。後は近所の人に声をかけたりする。しかし、いわゆるロスジェネの人たちは、年齢で固まって内輪で情報交換をするようだ。家に帰りつくとTwitterなどでは情報を交換しあっている様子が分かった。年配者はネットメディアに接していないので、あたかも異なった二つのメディア空間があるような状態になる。「何かをやって協力したい」「いても立ってもいられない」という人たちもおり、助け合いたいという気持ちはどちらともに強いらしい。ある年齢を境に情報交換に対する態度がかなり違うようである。こうした断層はどうして生まれたのかと思った。この「情報断層」は後で説明するようにデマの震源になる可能性があるように思える。

ネットメディアは役に立った

Facebookで海外と安否確認ができた。携帯電話はまったく使えないのにSkypeやTwitterはつながった。これは携帯電話が緻密に組まれているのに比べて、ネットはもともと軍事利用だったからだ。つまり品質を犠牲にしてでも安定性を確保するのである。携帯電話はシステム的には見直した方がいいのではと思う。災害時には品質を落としてもつながり具合を確保するようなことはできないのではないかと思う。これをきっかけにSkpyeの利用は増えるのではないかとも思った。備えとして平時にアカウントを取っておいたほうがいいかもしれない。特に災害時に電気が切れてしまった(いまも切れている)東北地方の事例は研究されるべきだろう。

ネットメディアが危ないのではなかった

今回、噂話が流れた。市原のコスモ石油で火災があり、その浮遊物が降ってくるというのだ。僕が聞いたのは「空気中に有害物質が俟っているので傘をさして歩け」というもので「厚生労働省に勤める兄嫁から聞いた」となっていた。これを「この人の兄嫁が厚生労働省に勤めているのだろう」と受け取ったのだが、どうも曖昧だ。ということで「元ネタを調べないと」と考えた。この時点でTwitterには二通りの話が出ていた。「厚生労働省発表」というやつと「コスモ石油に勤めている人に聞いた所によると」というもの。そして、千葉市長は「そうした可能性は少ない」とTweetしていた。やはりデマの可能性が高いようだ。
既にWikipediaに地震についてのまとめができている。それによれば、コスモ石油で火災があったときにチリが核になり雨が降ったという記述があった。(これも本当に雨なのかは確認されていないのだが…)この話が伝わったのではないかと思える。
既にTweetしたように「噂が広がる」要件を満たしている。以下、列記する。

  • このとき、テレビは福島の原発についてのニュースばかりを流していて、千葉には情報空白ができている。災害時の不安な気持ちがあり、ちょっとした情報は「悪いほうに流れる」傾向がある。
  • 多分、雲も出ていないのに地面が濡れていたね→雨だったね→なんか混じってないか心配→なんか千葉市に雨が降ってくるんだってよというように拡大した可能性がある。(これは検証してみてもいいのではないか)これが文章になってTwitterで伝わり、Twitterをやっていなさそうな人に伝聞で伝わったわけだ。豊田信用金庫事件で無線マニアが果たした役割を電話した人が担っていたのではないかと思う。(近所の人は相模原の人から聞いたのだそうだ)ちなみに電車での噂話がTwitterにあたる。
  • よく考えてみると、ある古典的な下敷きがある。それは井伏鱒二の「黒い雨」である。広島の原爆についての小説だ。もしこの推測がただしいとすると、福島の件が影響していることになる。噂が単純化する時、あるプロトタイプを取ることがあるようだ。意図的に噂を流すときにも使われる手法だが、自然発生的にもこうしたことが起こりうるのではないかと思われる。

よく考えてみると千葉市には雨の予報はない。市原は平気で千葉は危ないというのもおかしい。そもそも情報が曖昧である。こうした曖昧さを補完するために、雨で有毒物質が降ってくる→空気中に俟っているになったのかもしれない。情報は単純化しながら悪いほうに傾いて行くのである。千葉市でも火災が起きているのだが、これがごっちゃになったのかもしれない。
この近所の人に「確かにこういうことはないとは言い切れないが」「ネット上でも騒ぎになっているので」「用心しつつも冷静になったほうがいいのでは」と教えてあげた。否定すると躍起になって反論するかもしれない。すでに近所には一通り伝え終わっていたらしいのだが、それで落ち着いたようだ。しかし、家族の一人が、神奈川にいる家族に「毒ガスのデマが出た」と電話する。これが「千葉はデマが出る程混乱している」という心象を与える可能性もあるし「デマ」が消え去り「毒ガス」に変わる恐れがある。情報は単純化するからである。
ネットメディアでは「これはデマなのでは」という自省的なTweetが出始めた。厄介なのは伝聞を聞いた人たちだ。情報修正は行われないなかで、テレビではまったくこれを伝えていない。そしてCMなしで不安な映像が流れ続けている。かなり不安だったのではないかと思われる。

日本人は冷静だった、が

地震後、略奪が全く起きている様子がない。これがとても驚異的だという話は至る所で語られているようである。これは日本人が社会や地域コミュニティを信用しているということだろうと思われる。この時点で怖いのは、我々が政府を信じられなくなっているという点だ。これを書いている時点では目が泳いでいる枝野さんの発言を保安院発表と「一致しない」という分析がなされている。こうした不安はパニックを引き起こす可能性がある。
先ほどの「噂話」が最悪の結末を生まなかったのは、誰もこの情報を元に行動を起こさなかったからだろう。それは我々が社会を信用しているからで、つまり噂話が広がる要件の最後の一つを満たしていなかったのである。噂がパニックになるのは、複数の不確かなソースから同じような情報を取得し(例えば携帯電話ですでに話を聞いていて、そういえば私もそういう情報を聞いたと話し合い)、誰かが何かをしている(例えばとなりの人が血相を変えて逃げて行く)のを目撃した時である。銀行の取り付け騒ぎやトイレットペーパー騒動などはこうした情報が行動に変化した時点で、デマからパニックになった。報道によると、「避難所に食料があるといいね」が「食料がある」に変わっている可能性があるようだ。実際に着いた所、食べ物のない避難所があったそうだ。
ネットメディアを知っている人とそうでない人に断層がある。ここが構造的な弱点になっている。だから、ここが刺激されていれば、パニックが発生する可能性も否定できなかったのではないか。危ないのは携帯電話のチェーンメールではなく、こうした伝聞情報を複数ソースで確認できない人たちだ。故に社会とつながっていて、なおかつネットでの情報収集能力がある人の役割は大きいのである。しかし、こうした冷静な対応も「みんなが走り出した」ら無力になるだろう。

赤の書

いつも、すぐに役立つ情報を集め、実用的な言葉を発信しようなどと考えてしまう。ところが、世の中には誰にも見せるつもりがないのに、後世に残る作品を作り上げてしまう人もいるらしい。

その情熱はいったいどこから来るのだろう。

図書館でC.G.ユングの赤の書 – The“Red Book”を借りた。週刊誌で紹介されているからか後続には予約も入っていた。じっくり読めば一生かかりそうで、精読するのは諦めた。

まず原文が目に入る。一瞬「しまった、ドイツ語は読めない!」と思う。全て手書き。図表や絵が入っている。ユングの研究書を読むと、これは「芸術作品だから」という女性の説得を拒絶するエピソードが出てくる。なるほど助成の、このいうことも分かる。なぜか最後は筆記体になっていて、途中で終っている。文字には意味ありげに色がついていたりする。

この壮麗な本はどうやら公表するつもりもなかったらしい。まるで自分の聖書を自分のためだけに編纂しようとしているようだと、僕には思えた。

日本語訳はそのあとに続く。精読しないようにしようと思うのだが、時折あるエピソードに引き込まれる。ところどころが物語風だ。そして解釈が入る。もし隣のおじさんが電車の中で同じような話をはじめたら、キチガイだと思うだろう。ユングはこのように湧き出てくる妄想をおさえきれず、かといって現実との区別が曖昧になることもなかった。キリスト教を逸脱した妄想に罪悪感も持っていたようだ。

翻訳はハードワークだっただろうなと思う。もはや本は売れない。だからこの本も大して語られることはなく、いままでと同じように一部の人たちの聖典として扱われるのだろう。でも翻訳せずにはいられない人がいたに違いない。冒頭の第一次世界大戦の予知的な「妄想」の部分はまたじっくり読んでみたいなと思う。

この本を一本のエントリーで語り尽くせるとは思えない。ただ、このエントリーを書いておきたいなあと思ったのは「内面的な妄想」の重要さを感じたからだ。彼は自分自身の想像と向かい合った。この妄想が「外的な影響を受けていない」(つまり、根源的なものである)ということにかなりのこだわりを持っているようだ。

オリジナルがどの程度重要かということは、21世紀の現在にはまた別の解釈がありそうだ。20世紀の活動を経てリミックス、再編集、コラージュも芸術として受け入れられているからである。

とにかく、公表するつもりがなかったことから「外的な評価のために書いているのではない」という点が重要なのだろう。芸術ではないのである。よく「内向的な性格」というが、気軽に使ってくれるなよと思う。凄まじい内向である。

この壮麗なページ作りなどを見ていると「作品集」のように見えるのだが、彼はそのためにグラフィックデザインの知識、分かりやすい文章の書き方などの研究をすることはなかった。多分「物語の書き方」のような本も読んでいないだろう。ただ、内面と向かい合い、それに形を与え、最後に体系化することに成功したわけである。しかしでき上がったものは結果的に「美的な構造」を持っている。職業的なデザイナーは一度目を通してみるといいのではないかと思うくらいだ。

ユングの世界は、後世の創造物に影響を与えた。心理学としてのユングを知らなくても、スターウォーズなどのユングの影響を受けた作品を見た事がある人は多い。

何かを書くときに「どうしてこれを書くのか」「どう役に立つのだろう」などと雑念を持って向かい合う事が多い。絵がうまい人は、出来合いのキャラクターを真似た「作品」を作り出してしまう。それを褒められたりすると、創作物は徐々に内面から乖離してゆく。

一方「何かを書かずにいられないのだが、何のために書いているのか全く分からないし、発表するあてもない」という人もいるはずだ。外的世界に当てはまるものがないから書き続けているわけだから、外的世界と逸脱している事に悩み、評価される当てがないことに悩む。

しかし、内的な妄想も突き詰めて行くと、一つの時代や学派を作る可能性がある。これが今回言いたいことである。だから諦めてたり、疑問を持ったりせずに、進んでみるべきだと僕は思う。囚われてしまったことは不幸かもしれないが、その作業は無意味ではないだろう。

さて、この文章を書いたのにはもう一つ理由があるかもしれない。街を歩いているときに目の前がぐらぐらとした。鉄柱の多い街なのだが、鉄柱がきしきしと音を立てて揺れ、目の前でアスファルトにひび割れが入った。そして帰り着いたころに、いま来た方向から火の手があがり、どかーんという爆発音がしたのである。(どうやら化学工場が爆発したらしい)そんな中、普段は他人同士の人々はお互いに声をかけ情報を交換しあっていた。確実に存在すると思っていた地面が実は動いていて、私たちが思う程確かではないと実感したからであろう。

うすらぼんやりと思ったのである。こんな風にユングの地面は常に揺れ続けていたのだろうな、と。彼がこの本に取り組んでいた期間を考えると少なくとも十数年はそんな状態だったに違いない。だから彼は何かを書かずにいられなかったのだろう。

(2013/1/7:書き直し)

方言が言語か

北九州の出身である。東京で出身地を言うとたいてい「なんばしよっとか」と返ってくる。北九州市は福岡県の都市なのだが、違う方言を話す。しかし、東京の人には博多弁の印象が強いのだろう。博多弁は遠賀川以西から熊本あたりまで広がる別系統の方言だ。この中に東日本方言と同じ(ような)アクセントを持った地域とアクセントが崩壊した(ちょうど北関東なまりとおなじような感じだ)地域がある。北九州市から大分・宮崎あたりまでは別の言語がある。豊日方言と言われたりする。だから福岡県東部の出身者は「博多弁と北九州弁は違う」と思っている。瀬戸内海に面しているので、広島や山口の方言と近い。さらに九州には南に鹿児島弁がある。
ある本に、これを北九州語、西九州語と表現している学者の説を読んだ。日本人は遺伝子的に多様性が高いのだそうだ。これは世界各地から流れて来た人たちが吹きだまりやすい地域にあたるからのように思える。日本人は多様な民族の集まりなのだから、故に言語も多様なはずである、と主張する。
北九州方言は動詞に特徴がある。九州弁一般に言えるのかもしれない。「灯油がなくなりよー」と「灯油がなくっちょー」は違うことを言っている。「なくなりよー」はいまなくなりつつあることを意味する。そして「なくなっちょー」はなくなってしまったことを意味しているのである。だから、これを聞いた人は「いま灯油が入っているのか、入っていないのか」が分かる。なくなりよーは、なくなりつつあるのだから、まだ灯油は入っている。なくなっちょーは「なくなってしまった」であり、故に完了形なのだ。これは過去形に展開できる。なくなりよった、なくなっちょったである。だから、なくなっちょったは過去完了形であるといえる。
ところが、英語を習うとき、我々は「日本語には完了形はない」と習う。これは北九州方言の話者が「自分たちの言葉に完了形がある」ことを意識していないことを意味する。そして、この二つを違う意味として意識しないので、結果的に混用が起こると修正ができない。宿題を「いまやりよー」と「いまやっちょー」を同じ意味で使う人は多いのではないだろうか。しかしなくなるの活用を当てはめると正しくない。やりよーは「いまやっているよ」であり、やっちょーは「もうやってある」であるべきだ。しかし、区別は存在する。「もうやりよー」は「もう開始していていままさにやっている」という意味にしかなり得ない。一方、「もうやっちょー」は「もう開始していてすでに終っている」と解釈される可能性がある。
これは、北九州方言話者が、こうした区別のない標準語を覚える時、動詞が持っている機能をいったんバラしてべつの機能で置き換えていることを示している。この作業は意識的には行われない。「標準日本語には完了形がないから不便だ」と思う九州人はいないのではないか。
大学入学あたりで東京に出てくると、その後社会的に標準語が使えるようになる。しかし大学を卒業して東京に出てくると標準語が使えない人が出てくる。言葉は話せても社会的言語が獲得できない。鹿児島の出身者が小倉出身者を指して「あの人は単語の省略の仕方がヘンだ」とこぼしたのを聞いたことがある。この小倉出身者は大学卒業後地元で就職し、その後東京に転勤して来たのである。この鹿児島出身者はいま米系の企業で働いているバイリンガルだ。
これを説明するのに「東日本語」と「北九州語」は同じ系統の言語なので習得が容易だが、細かい差違は獲得が難しいとは言わない。北九州語は一般に方言扱いだからだ。しかし、この2つの言語を違う系統だと認めると、日本語が孤立的言語であるとは言えなくなる。同時に日本語の話者の数は減るだろう。1億人が同じ言葉を話しているという意味で、日本語は大言語だ。言語圏になれるくらいの規模は持っているのである。
よく沖縄の人たちが「本土扱いしてもらえない」ということがある。これは日本語が単一の言語であるという前提に立っているからだ。九州の人たちは「本土扱いされない」とは言わない。例えばお隣の長州弁は「ちょっと偉そうな」言語として認知されている。これは警官に長州出身者が多かったからだと言われている。これをひきずって「広島弁はやくざ映画で使われる」こうした諸方言は社会方言として認知されている。同じように静岡の影響を受けなかった(つまり江戸ではない)関東方言が「農村の言葉」として社会方言化している。つまり、日本語が(例え標準語であっても)多様な集まりであること意味している。
方言話者は外国語習得にも有利だ。九州方言の話者は文法的な特徴が標準語と違っている。しかし子どもの時からテレビで標準語に接している。基本的にこれを別系統の言語に当てはめるだけである。
一方、東京方言の話者は方言習得や別言語習得には気をつけたほうがいい。どうやら日本語には音声的な多様性もあるようだ。関西方言にアクセントの他に声調があるのは有名だ。これを声調を持っていない九州人や東京人が真似ると「変な関西弁」になる。そして関西人は自分たちが声調言語を話しているという意識はないので「その関西弁は正しくない」とは言えないのである。同じように北九州方言には撥音や濃音があるようだ。小倉弁は「っちゃ」が特徴的なのだが、若干喉が震える。「っとたい」の「た」も同様である。(喉に手をあててみるとわかる。喉をふるわせないで「たい」が言えないはずだ)撥音・濃音は朝鮮半島の言語に特有の特徴であり、こうしたつながりを認めたり、それを公にする学者はいないようだ。東京の人が九州の言語を真似すると平板に聞こえる。喉を使わないからだろう。そして九州人は濃音を意識できない。かなの記述でかき分けないからである。このように記述システムは発音の認知に影響を与えるが、だからといってその発音がなくなるということはないようである。同じように標準語でも「が」の鼻母音をかき分けないので、正しく発音されなくてもそれを指摘される事はない。
このように方言話者は音声的な違いを乗り越えている。この経験は英語習得に役立つ。また別の言語を学んでもいい。例えば英語を勉強するには最初に韓国語をやっておくと助けになる。韓国語には「お」にあたる母音が2つあり「う」も2つある。この違いを勉強しておくと、英語の曖昧母音などが発音しやすくなる。英語には母音文字が5つしかなく、そこに多様な母音を当てはめている。これを母音が5音しかない日本人が真似するので、日本人の英語は伝わりにくい。言語の多様性が大きいほど、別言語が学びやすくなる。日本語の常識をあてはめてしまうと、言語の習得はより難しくなるだろう。
さて、言語と方言にまつわる話はここまでだ。以下まとめる。

  • 「日本語が単一言語である」かどうかは定かではない。見方の違いは、我々の民族観に大きな影響を与える。
  • 私たちは細かな違いを意識しないで方言と標準語を使い分けている。この使い分け方は、英語や中国語などの他言語を習得するときに役立つ。

ここで問題になりそうなのは、多様性のある言語がどうして「同一言語」と見なされるのだろうかという点である。井上ひさしの国語元年を思い出したりするのだが、随分昔に読んだので機会があればまた読んでみたと思う。多様性があるのだが、違いを明確にせずやんわりと包括したのが「日本」という概念だったのではないかと思える。つまり、かつて我々の民族概念は私たちが思っているよりも遥かに柔軟なものだったのではないかと思えるのである。これを知らずに移民政策や日本人論を語ると結論を間違える可能性があるだろう。

プロトタイプ作りの大切さ

イノベーションの達人! – 発想する会社をつくる10の人材の中に、IDEOのモノ作りのやり方が出てくる。デザインコンサルティングの会社なのだが、ただパソコン上で発想するのではなく、実際にプロトタイプを組み立ててみるのだそうだ。
彼らがプロトタイプを作るのはどうしてだろうか。ヒトは「全体像」を把握することはできない。実際に作ってみると抜け落ちている所がわかる。また複数のチームメンバーのアイディアが具体的に伝わるので、知識共有にも役に立つ。
今回、連想型ブラウザーを試作した感想を3回に分けて行っている。これを作って思ったのは、この「実際にやってみる」ことの大切さだった。加えて途中経過を再確認することで、意味合いを考え直すことができる。つまり、実際にやってみる事で「ああこういうことができるな」と思い、それを追体験することで「こういうこともできるだろうな」と考えることができるのだ。
プロトタイピングにはさらにいい事がある。プロトタイプを作るために、足りない知識(今回はAjax= JavaScript)をレビューし直したりもする。しばらくすると忘れてしまうかもしれないのだが、コードを見直せば再利用できる部品を取り出したりすることもできるだろう。
発想を膨らますためには、そこそこ簡単なほうがいい。しかし、できる事だけやっていてもつまらない。境目のぎりぎりの所が楽しい。「楽しい」ということは大切だ。実際に「作ろうかなあ」と考えているときは面倒くさかったりもするのだが、実際に作れると「もうすこしやってみようかなあ」と思ったりできる。また、Facebookの初期のツールキットのように「組み上げたら満足」してしまうが、実際に何に使うのかさっぱり思い浮かばないものもプロトタイピングには向いていない。つまり、試作品を作るにもそれなりの技術が必要ということになる。
プロトタイピングはモノ作りには欠かせない。戦後の日本の製造業を支えたのは、大企業から注文を受けた中小企業だといわれている。彼らは年中「プロトタイピング」をやっているようなものだった。しかし大企業が国内を脱出すると、こうしたプロトタイピングの機会は失われる。代わりにコスト削減圧力だけがかかるわけで「モノ作り」が衰退するのも止む終えない。また、今回の経験から、IT産業であってもプロトタイピングは重要だとわかった。基本的に「モノ作り」には違いないわけだ。
日本のIT産業は基本的にプロトタイピングと独自の発想を嫌うところがあるように思える。ソーシャルメディアなど発想の源が海外にあるからだろう。一から発想するよりも「これを日本風にアレンジする」ことが得意分野だとされる。これに加えて「確実さ」を求める傾向がある。確実に儲かるプロジェクトでないと「腰が上がらない」(つまりやる気にならない)。プログラマやデザイナの現場では、勉強会というと新しい技術やスキルを学ぶことだ。一から発想するのはあまり得意ではない。ビジネスレイヤーではさらに深刻で「課金システムがないと話を進めない」ひという人たちが多い。Twitterが自然発生的に広まったのに比べ、Facebookがビジネスマン発信なのは最初から課金の成功事例があったからだ。
また受注生産的な態度も時には弊害になる場合がある。特に中間マネジメントの人たちは常に課題に追われていて「新しいからなんだか面白そうだ」と考えないかもしれない。顧客ニーズの汲みとりに忙しく、自分から提案することができない場合もあるだろう。
プロトタイピングは、発想を経験としてパッケージしてゆく作業だ。本来なら「市場ニーズ」と「できること」を両方知っている人がやったほうが面白いものができるはずである。しかしこの人たちが「提案を貰う側」と「提案する側」に分かれていると、なかなか面白い発想が出にくい。
転職がないこともこれに拍車をかける。「提案を貰う側」は新入社員で入り、提案を貰い続けて今日まで来たかもしれない。頭の中で「なんか自分にしっくり来る提案がこない」と考えつつもそれを形にする技術がないということがあり得るのかもしれない。
さて、いろいろと考察してきたが、あまり状況を嘆いていても意味がない。新しい産業は河の流れに例えることができる。まず泉があり、それが集って来て川ができる。いくつかの支流が集って、海まで続くが、砂漠の川のように途中で干上がってしまうこともある。このプロトタイピングは泉にあたるだろう。つまり手を動かす技術と、それをお互いに評価し合うネットワークがあってはじめて成長点が作られる。
発展途上の国では「お金持ちになりたい」とか「先進国に追いつきたい」という気持ちが重要だった。これは川の途中で勢いを付けるには重要だ。しかし、発展途上段階を抜けると、このインセンティブを何か別のものに振り替えて行く必要がある。これを「個人の自己実現」や「危機感」に置き換えてきたわけだが、楽しくない作業を長く続けることは難しいだろう。
これに引き換え、何か新しいものを作って、お互いに工夫し合うのは、単純に楽しい。これを収益化するプロセスが面白いと感じる人もいるだろう。こうしたコミュニティが再構成されたところから新しい産業が起こるのではないかと思う。その意味でも、何がが作れる人たちが集まるのは重要な意味があるのではないかと思える。

ジェームズ・ディーンとファッション

ジェームス・ディーンは、「大人」と「子ども」しかなかった所に「若者」という新しいカテゴリーを作ったとされている。大抵の分析では、ジーンズはその象徴として扱われているが、必ずしも主役だったいうわけではない。まだ、現代のようなファッション・シーンはうまれていなかったからだ。

有名な映画三作は1955年から1956年にかけて公開されている。自動車事故で亡くなったのは1955年で、このとき二十四歳だったそうだ。世界的にはワルシャワ条約機構が成立して東西冷戦が始まった年だ。日本では自由民主党と社会党のいわゆる五十五年年体制ができ上がった時代でもある。十年かけて第二次世界大戦後の枠組みが完成しつつあった。

ジェームス・ディーンは身長百七十三センチと背の低い青年だ。近眼でメガネをかけていた。とてもファッションモデルにはなれそうにないのだが、だからこそ大人でも子どもでもない「若者」というジャンルが作れたのだろう。

彼を特徴づけているのは、役柄への直感的なアプローチだ。加えて、回りのことを気にしない。これは俳優としては致命傷になり得る。アンサンブルができないので脇役ができない。つまり、主役にしかなれないのだ。

このため、世の中に出るためにはそれなりの苦労をしている。ゲイの大物に食べさせてもらい―たいていほのめかすように書いてあるだけだが、肉体関係があったと主張する本もある―逃げるようにしてニューヨークの舞台に立つ。そこでエリア・カザンに見いだされハリウッドに戻った。親友の脚本家が書いたという伝記には彼らの肉体的な関係が書かれている。どうやら男性が好きだったというわけではなく、食べるための選択肢だったらしい。

現代から見ると「ジーンズ」というファッションアイテムがあり、それに似合うアイコンとしてジェームス・ディーンがいたように思える。しかし彼にとって服装は「単なる衣装だった」らしい。与えられるものを、直感的に着こなしていたということだ。本の中には衣装を着て写真を撮ったものが残っている。これを元に次の衣装を考えるのだそうだ。

背が低いのだから、ことさら大きく見せてもよさそうだが、肩をすぼませて「反抗的」なキャラクターを演じてみせる。これが「少年性」を演出した。中には上半身ハダカ―つまり伝統的な男らしさを求められる―もあるが、こちらはあまり効果的な写真になっていない。例えば、ジャイアンツに出てくる成功したあとの主人公はあまり「ジェームズ・ディーン」らしくない。

このことから、彼がファッションアイコンになったのは、有名になってから青年のままで亡くなってしまったからかもしれない。こうして見ると、ジェームズ・ディーンのファッションについて解説した本のなかに、ことさらファッション性や彼の着こなしのセクシーさを褒めているものを見つけると、却って「この人本当に分かって書いているのかなあ」とさえ思えてくる。ジェームス・ディーンはそれくらい刹那の人だった。だからこそ若者というカテゴリを作り出すことができた。五十代を過ぎても若者らしくジーンズが似合わなくてはならないと考えられる以前のことなのだ。

ジェームス・ディーンのファッションには、ことさら「かっこよく見せよう」という自意識が感じられない。スターとして扱われてもどこか寂しげである。アルマーニのようにファッションと映画が密接に結びつくのはずっとあとの事である。

もし、彼があのまま生きていたとしたら、スター性を維持するために「流行のファッション」を取り入れることになったかもしれない。しかし、彼は亡くなってしまったので、1955年から56年の青年はスクリーンの中でジェームズ・ディーンという、あのいつも肩をすぼませたキャラクターとして記憶されることになった。

時代は一足飛びには進まない。まずジェームス・ディーンが若者というカテゴリを作った。そこに市場がうまれ、新しい概念「ファッション・トレンド」が作られた。。いよいよ1960年代に入り、我々が知っているファッション・シーンが生まれるのだ。

ヨハネス・イッテンの色彩論

色彩論を読んでいる。イッテンはバウハウスで色彩論を教えていた人で、今でもグラフィック・デザインの世界では、まず最初に学ぶべき本の一つだとされている。

バウハウスの教師の中にはクレーやカンディンスキーというような芸術家がいた。しかし、イッテンは生粋の教師だった。教師といっても、国が作ったカリキュラムをそのまま教えるのではない。自身で絵の具を混ぜて、色彩の調和について研究したのである。色彩論にはこうした独自の探究心がよく分かる。

音楽と違って視覚芸術には理論が少ない。バウハウスの時代は科学万能時代の幕開けであり、視覚芸術に携わる人たちは、視覚芸術の理論化を試みる。しかし、意外な事に(今回読み返して、意外だなと思ったのだが)イッテンは理論化には慎重な姿勢を見せている。

色の理論化はある程度まで進んでいる。しか色が見える仕組みについてはよく分かっておらず、標準的な色空間のモデルも存在しない。工業的には赤・黄・青は三原色ではなくなっているのだが、このエントリーに出てくる赤・黄・青の色相環モデルもいまだによく使われる。これについては別途エントリーを準備した。

たいていの人間は生まれたときから色のある世界におり、視覚芸術家(バウハウスは工芸学校なので、この言い方にも賛否両論があるだろうが)は、色や形に関する天性の資質を備えている。フランスの「技術者は教育によって作られるけれども、色彩の芸術家は、生まれつきのものである」ということわざがあるそうだ。

デザイナーをしている人たちも「であるから、色については教えられない」と言われたことがあるはずだ。これはある程度正しいとイッテンは考える。天性の直感がある場合、色の理論はあまり役に立たない。理論は「不慣れな人たち」のものである。つまり、理論は「調和しているもの(あるいは不調和なもの)」を説明するには役に立っても、理論的にきれいなのだから、この芸術作品はきれいなはずだということにはならないということだ。

また、色に対する感性は人によって異なっている。つまり「主観的」なのである。ここがイッテンの教師として優れている所だと思われる。イッテンは「調和する色彩」について教える。すると生徒は「それは調和的ではない」と文句をいう。もしあなたが教師で、ついでに文部科学省の作ったカリキュラムを元に教えているとしたら、どう反応するだろうか。きっと「この理論が正解である」というに違いない。しかし、イッテンは「調和する色彩」を実際に描かせて、差があることを観察するのだ。イッテンは生徒の「調和」について記録を取っている。整理ができるのは、自分なりに理論ができているからでもある。

では、どうして理論化できないものを教える必要があるのだろうか。

イッテンは色彩に対する態度を3つに分類している。一つは「教師に言われた通りに色を塗る亜流の人たち」だ。多分流行している色を、よく見るからという理由できれいだと感じる人はこのグループに入っているだろう。ここから抜け出した「独自の色彩感覚」を持つ人たちがいる。しかし、その人たちが感じる「調和」は限定されている。どのような絵を描いても同じような色遣いをするのだそうだ。そして、そこから抜け出した人だけが、様々な可能性を組み合わせた色を使えるようになるのである。

100x100実験を行うためには理論化と実験が必要だ。教師にできるのは「最初の実験のやり方」を教えることだけだ。これを旅に模して、最初は馬車に乗って行くがその内に自分の脚で歩くようになると言っている。その人の持っているポテンシャルを広げて行くために、理論が必要なのだ。

造型については天性の才能を持っているが、色についてはよく分からないという職人がいる。この人はこのままでは立派な工芸家にはなれないかもしれない。しかし、理論化の助けがあれば、造型の才能を活かすことができるようになるだろう。また、イッテンがいうように、固い色彩を好む人が、スチール家具の設計者として成功するということもある。つまり、探求の結果、適性を見つけることもできるわけだ。つまり人材を活かし、その才能をより広範囲で活かすことために、理論の助けが必要なのである。

人を動かす

1月の目標は「人を動かす」というものだ。ということで、安易だが「人を動かす」を読んでみた。とはいえ図書館にある「人を動かす」は、ほとんど貸し出されている。みんな人を動かしたくて仕方がないのだろう。
ブログばかり書いると、むなしさみたいなものを感じることがある。大抵の情報は一時の慰みに過ぎない。芸能情報と同じで消費される存在だ。議論の結果「やはり私は正しかった」という結論になることが多い。つまり、多くの議論は「動かないための理由作り」に使われる。多くの論争は正当化の為に費やされる。最後に「お金」は、誰かに行動して貰った結果生じるものなので「人を動かすこと」抜きには、ビジネスはできない。故に「人を動かす」ことはとても大切なのだ。
ところが当初の期待とは違って「人を動かしたい人」は、この本を読むべきではない。ディール・カーネギーは「人を動かすことはできない」と断言している。人は「自分のやりたいことしかしない」のから、自発的に行動して貰う事はできても、動かすことはできないだろうと言っている。逆に強制されると反発心が生まれる。故に、人を動かすためには自分の心持ちやモノの考え方を変えなければならない。だから「自分が動く」べきなのである。
この本は、1937年に書かれている。自由競争が前提になっているようで、交渉する人もされる人も「決裁権」を持っている。ここが現代の日本との大きな違いだ。現代の日本は経済が縮小してゆくことが暗黙の前提になっている。だから、人を動かすのは「誰かに損を押し付けたいから」であることが多い。
人々には自由裁量権がない。あるドラッグストアで300円の乳液と8,000円の乳液を売っている。中間商品はない。同じ製品を隣では250円で売っている。店員さんには300円のものを250円で売る権限はないし、1,000円くらいの商品を作る事もできない。本部からは高額商品を売るように言われる。だから一生懸命に8,000円の製品の話をする。そこで、パンフレットを出して解説しようとする。あいにく印刷物がない。客は300円の製品を見つけて「もっと安いなにかがあるのではないか」と思って探している。最初から1,000円以上の品物には興味がない。もし1,000円以上のものが欲しいならデパートかどこかに行くだろう。もう少しまともな椅子に座って製品説明が受けられる。客としては嫌なヤツに思われるのも好ましくないので、一応店員さんの話を聞いてあげる。
この店員さんが取り得る戦略は「今抱えているお客さんと楽しく会話して契約時間を過ごす」事だけだ。いずれこの人たちもいなくなるかもしれないが今はしのげるだろう。本部の人たちも「売れれば儲けものだなあ」としか思っていないのかもしれない。だから後方支援はない。来る客といえば「もっと安いものを」と考えているわけだから、てきとうにあしらうべきなのだ。ほったらかしにしていれば、自分でなにか探すだろう。
店員は大した決定権はもっていない。(ついでに、製品についてたいした知識も持っていない)お客もせいぜい500円くらいの予算しか持っていない。この状態で「相手に関心を示して、名前を覚えてもムダ」だろう。
こうした状況では、誠意だけでは人を動かすことはできない。だから現代の日本では「人を動かす」は役に立たないので、この本は読んではいけないのである。
現代日本は「何も変わらないし変わりたくない」社会である。自分が変わらないためには、他人に変わってもらう必要がある。だから「自分が変わらないために他人を変えよう」と試みるのだ。「人を動かす」を読んで「相手が誠意を持って自分に接してくれれば、僕もそうするのに」と夢想することになる。自分に誠意がないのは、世の中が悪いからである。試しに「人を騙す」コールドリーディングの本を読んでみるとこのことが良くわかる。『あるニセ占い師の告白 ~偉い奴ほど使っている!人を動かす究極の話術&心理術「ブラック・コールドリーディング」 (FOREST MINI BOOK)』を読んでみよう。ちなみにガイジンが書いたことになっているが、日本人が偽名を使って書いている。本自体が一つの騙しになっている。
人を信頼させる理屈は「人を動かす」と同じである。誠意を見せて、相手のいうことを聞いてやる。自分が読み取るわけではなく、相手に全部話させる。これも「人を動かす」に似ている。ディール・カーネギーは、対話と提案によって「両方がトクをする」点を探してゆく(だから、両方の自由度が重要なのだ)が、コールドリーディングの本では「相手が変わらなくていい理由」を探して行く。この為に使うのが「前世」だそうだ。「前世でこういうことがあったので、今の状況は当たり前である」という理屈を創作する。
冒頭で「人が動く事によって、お金が発生する」と書いたのだが、コールドリーディングの本のカモは「パーソナライズされた、動かないですむ理由」を聞くためにお金を払う。失恋したのも、ダイエットに失敗したのも全て「前世」に理由があり、仕方がない。こうした「ニセスピリチュアリスト」はアメリカにもいるそうだ。日本人が集団主義的で依存心が強いからこうした占いに頼るのだとはいいきれない。
この2つの本は「だいたい同じ」原理に基づいて書かれている。大きな違いはその前提だ。「人を動かす」は、お互いがトクをする合意点を探す(探せる)世界を前提にしている。こうした前提の元で生きている人はこの本を読むべきだろう。しかし「お互いが合意点を探す自由度がない」世界を生きている人は、「人を動かす」を読む前に、こうした自由度を持つ事ができる環境を探すべきなのだといえる。

病跡学(パソグラフィー)

今回、パソグラフィーというカテゴリーを作った。日本語で病跡学。もともとは有名人の精神的な状態を調べる学問だそうだ。ここに載せているのは、有名人の精神状態、殺人事件、および反社会性障害などである。

御存知のように自然界のいろいろなものは正規分布するという特徴がある。正規分布は平均の山があり、裾野に行くに従って少なくなって行く釣り鐘のような形をしている。我々が「正常」と言っている状態は山の頂上にあたる。正常は「平凡」でもある。この山の一方の端は「天才」と呼ばれる領域である。そしてもう一方の山はその「反対」だ。ところがこれは結果論にしか過ぎないと思う。天才の中にも異常な精神的状態に苦しむ人たちがいるし、殺人を犯した人たちの中に創造的な遺物を残す人たちもいる。これが異常な領域に興味を持つ最初の理由だ。つまり、異常を考えることは創造性を考えることなのだ。ここでのポイントは「創造性の最初の段階はコントロールできない」という点だろう。
第二の理由は「うつ」と創造物に関係があるからだ。中年期に引きこもりを経験する学者や芸術家は多い。もともとそういう気質を持って生まれるのかもしれないし、正常から逸脱することが結果的にうつ的な状態を生み出すのかもしれない。アンソニー・ストーの天才はいかにうつをてなずけたかという著作に詳しい。

現代の日本には、うつに苦しんでいる人が多い。社会を動かしているシステムがあまりにも緊密になりすぎると、そこからはみ出る人が出てくる。もし人間が工業部品だとすると、こうした人たちはラインから排除してしまった方がいい。不良品が多いと社会の効率は悪くなる。ところがこうした人たちが不良品であるかどうかは、実は分からない。なぜならばこうした「逸脱」状態は創造性と関係しているかもしれないからである。つまり「不良品」と考えられていた人たちを排除することで、社会は結果的に創造性を失ってしまうかもしれない。

うつ病は医者にとっては収益源だ。故に、原因を特定しないまま、薬で状況を緩和させる場合もあるそうだ。薬が利かなくなると、別の薬を処方する。こうした状況は実は社会に原因があって起こるのかもしれない。第二次世界大戦前夜の日本やドイツのように社会全体が一つの価値観に向けて暴走することがある。この時にこの流れに乗れなかった人たちは「異常者」と見なされるだろう。平均の山が異常な状態にあっても数では負けてしまう。逸脱した多数が正常な少数を薬で黙らせている可能性もあるわけだ。

引きこもりはこうした社会から距離を置く事で、自分自身の人生や社会について考える機会を得る事でもある。これを積極的に評価したのが、ユングの中年の危機だ。ところが社会が柔軟性を失うと、結果的にこの「生まれ変わり」の機会を逸してしまうことになる。出世競争やリストラの恐怖、家のローンなどに負われていて「引きこもる」機会を得られない人は多いはずだ。社会を牽引する人たちが社会のあり方を問い直せないことは、変革の機会を自ら放棄してしまうことになる。
社会が安定している時には、社会変革について真剣に考える必要はないかもしれない。しかし、これほどまでに「このままではまずい」と言われているにも関わらず、誰も社会変革に踏み出せないとしたらそれは大きな問題だといえる。

最後の理由は個人的なものだ。新聞やテレビが殺人犯を「叩いている」時に、どうしてこの人はこういう精神状態に陥ったのかと考えてしまう。つまりそうした状態に引きつけられてしまうのである。また、反社会性人格障害のように、「こんなやつらがどうして社会的に成功するのか」というような人たちもいる。進化学的に考えると「異常な遺伝子」を持っている人たちは、長い進化の間に淘汰されてしまうはずである。しかし、実際はそうはなっていない。高い精神性を得た代償としてこうした症状が現れるのかもしれないし、実際は「異常ですらない」かもしれないのである。

創造性の最初の源流は「異常さ」の中から現れるとも言えるし、そもそも多様性の一部として積極的に評価すべきだとも思えてくる。自分たちを正常だと考えている人たちが、全てを平準化してしまった果てにあるのは、繁栄ではなく、均衡状態という名の死かもしれないのである。

立ち泳ぎのやり方を覚える

あまり一般的でない考え方を一般的なフォームに納めると人は納得してくれるのか。
生きる意味があるのかというような文章を書いた。これがTwitterにのって広まる。メッセージがFacebookに乗ったところで、多分心配したのであろう昔の知り合いから「僕は散歩しています」というようなコメントが寄せられた。かなり唐突だったので、当惑しながらも「体を使う事をせよ」というアドバイスであろうと考えて「立ち泳ぎ」をしていますとコメントを返した。多分、僕が何か高級なことでも考えているであろうと思っているその知り合いは何か噛み合ない答えを返して来たので、構わずに立ち泳ぎはできるが、まだ5分保たないと返した。ようやく「人生の比喩かと思いました」と返して来たので、そのままにした。立ち泳ぎって、何の比喩だよ…と思ったからだった。
多分、類推するに「いろいろややこしい状況をなんとか泳ぎきって行く」というような意味なのではないかと思う。普通に生活していれば「クライアントさん」と「企業の倫理」のあいだに立ったり、シゴトと日常生活の間にあるバランスを取りながらなんとかやってゆかなければならない。しかし、別にややこしい状況は抱えていないので立ち泳ぎしてなんとかやってゆく必要はないわけだ。なんとか立ち泳ぎしてやっていますよ、という言葉には「僕は忙しいんだ」という自慢と、「水の下ではいろいろやっているが、水上では平気な顔をして見せていますよ」という企業社会独特のなんとなく自虐的でいやらしい世界観のようなものも見たような気がする。
ところがこの比喩の持つ意味は一転した。それが「星占い」だった。星占いの度数にはそれぞれの意味が割り当てられている。それは他人と比較されない個人から始まり、最終的に共同体的な価値観の共有で終る。このあいだに家族、会社、共同体という3つの集団を経由する。この中に「曲馬を乗りこなす」という度数がある。ここで、この知り合いの言葉と状況が結びついたのだった。大抵変化というと、ある岸にいられなくなり、別の岸に行く事を意味する。あるときは飛び越えて行くだろうが、あるときは両岸のあいだを泳いで行かなければならない。泳ぐ間は息を整えて、流動的な状況を「耐え忍ぶ」ことになる。人が変化を怖れるのは、飛び越えようと言うときか、水の中に飛び込もうとするときだ。泳いでいるあいだは、あまりいろいろなことは考えない。人が25m泳げますというのは、例えば転職のときに1年は暮らして行かれますというのと同じ事なのである。立ち泳ぎはこれとは違っている。曲馬というのは、変化しつづけているものを変化するまま乗りこなすというシンボルなのだが、立ち泳ぎも文字通り流動的な状況を流動的なまま受け入れるという練習だ。最初は水の中にうかんでいることもままならないのだが、その内人間はほとんど浮かんでいるということを理解できるようになる。そして体が水のさばき方を覚えると、やっと手と足を動きを観察してみようという気持ちになるのである。もしかしたら、この水と思えていたものが新しい土地のように感じられるようになるかもしれないし、じたばた仕手いるうちに新しい土地に泳ぎつくかもしれない。
実際に立ち泳ぎを覚えたいと考えたのは「何か新しいことを覚えたい」と思ったからなのだが、それがどうして立ち泳ぎだったのかはよく説明ができない。これに「ダイエットに良いから」とか(実際にはやせるわけではなくて、インナーマッスルという調整に使う筋肉が発達し、持久力が増すようだ。これは3か月くらいで経験できる)、なんとか後付けで説明を加えている可能性が高い。ここに何年も連絡がなかった知り合いからのメッセージと本の内容が加わり、あたらしい布置を生むのである。そしてそれはなんとなく「説明できなかったもの」を説明できている可能性が高いように思える。変化を怖れるあまり、既得権益の高い山に逃げ混もうとしている人は多い。経済も人口規模も縮小してゆくとされる中で、現状維持を心がけようとすると、なぜか閉塞につながってゆく。この島の土地は浸食されつつあり、使える土地はなくなりつつあるわけである。こうした中で変化するということは、向こう岸の見えない海に飛び込む事を意味している。それはそれはものすごい恐怖心だろうなと思うのである。こうした状況で変化するというのは、なんとか向こう岸に泳ぎつくという事ではない。変化を受け入れた上で、常に変化し続けるダイナミズムも受け入れて、そこで立ち振る舞って行ける方法を見つけるということなのだ。ここではじめて、変化に対する恐れは消えるだろう。しかし「もう年だから新しい技術を覚えるのはムリだ」と考えると、いつまでたっても飛び込むことはできない。逆に「人は最初から泳げる潜在的な能力を持っているのだ」と考えるほうが、気持ちはラクになる。
飛び込んで来たメッセージは「もう用済みの」置いて来た価値観なのだが、ありがたいことに、それでも新しい洞察を生むんだなと思った。

立ち泳ぎの練習法

立ち泳ぎはなぜ必要か

立ち泳ぎは次のような時に役に立つ。

  • 水の中で顔を出して静止することができる。
  • 足の付かないプールや海などで溺れずに浮いていることができる。
  • 水球やシンクロナイズド・スイミングのように立ち泳ぎが前提になっているスポーツもあれば、救命の為に必要とされる場合もある。
  • 立ち泳ぎは水中動作の基礎になっているので、練習すると、背泳や平泳ぎがマスターできる。



立ち泳ぎの練習法

プールに入る前に椅子に座って「巻き足」の練習をする。腕で確認するとよい。両腕を内側に巻き込む。同時に腕を内側に入れるとぶつかってしまうので動きを時間差で行う。これができるようになったら水中に入り練習する。これを巻き足という。

これとは別に平泳ぎのように踵をお尻に近づけて蹴り出す方法もある。これをふみ足という。

最初は水の中で安定して浮いていることができないので、ビート板につかまり前か後ろ(大抵後ろだそうだ)に巻き足で泳いで行く。

練習と時間経過

実際にやってみた。もちろん習得には個人差があると思う。

最初の年は「やっと浮いていられる」程度にしかならなかった。だが、ここで練習を中断してしまっても構わないようだ。体が動作を覚えていて、次の年はこれを思い出しながら練習ができるようになる。つまり、しばらく休んでいるうちに頭で情報が整理されて次のシーズンにはうまくできるようになるのだ。

しばらく練習していると技術がそこで止まってしまうので、課題を加えて行くとよいようだ。例えば、手を水中に出すと難しさが増す。また、立ち泳ぎの姿勢から泳ぎの動作へ移る練習をすると、水中でスムーズな動作ができるようになるだろう。

立ち泳ぎを巡る混乱

このように水泳の基礎とも言える立ち泳ぎだが、まともに解説した文書は少ない。また立ち泳ぎを研究した本も一般に売られていない。多分1冊の本にするほどの分量がないからだろう。子どもの頃から水泳の練習をしていると自然にできる人が多いので、取り立てて立ち泳ぎだけを覚えようという気にはならないのかもしれない。しかし、かなり泳げる人でも立ち泳ぎだけはできないという人もいるようだ。

最初に書いたように立ち泳ぎには二つのやり方がある。一つは足ひれをつけたようにして甲で水をかく「あおり足」。もう一つは平泳ぎのように足を蹴るふみ足だ。ふみ足では交互にキックを行う。

これを洗練させてゆくと、やがて巻き足と呼ばれる動きになる、とされるのだが(平泳ぎをやっていると自然に巻き足になると書いてあるものもある)実際にはそうはならない。また、ふみ足と巻き足の中間のようなやり方を「巻き足」として紹介しているものもある。

このように、本や解説者によって微妙に言い方が異なっているのも学習者にはやっかいだが、つまり人によっていろいろなやり方があり、自分の習得した方法を人に説明しているということなのだろう。目的さえ達成できれば解説がすべて理解できなくても構わないということになるのかもしれない。

人はそのまま浮いていると耳の線あたりまで浮かぶ。じっとしていてもほとんど浮いているわけだ。じたばたと動くことで逆に沈んだり、あらぬ方向に動いてしまったりする。練習すると一時的に事態が悪化するので、最初は「練習してもムダなのではないか」と思ったりする。

巻き足を文章で解説するのは難しい。この解説では、膝から下を左右交互に内側に向けて円を描くように回す。と言っているがほとんど意味不明だろう。これは実際の動きが三次元的であり、加えて水の中で行われるために自分がどのような動きをしているのかよく認識されないからだろうと思われる。自分でやってみると頭の整理ができない。が、ここであきらめずにジタバタしてから、しばらく時間を開けるのも手かもしれない。休んでいる間にも脳は情報を整理しているからだ。

立ち泳ぎの技術

立ち泳ぎにはいくつかの技術が必要だ。通常、技能とはみなされないものを含む。

  • 水の中で垂直に浮かんでいることができること。
  • 水の中でじたばたと動かず、また動きが下に沈む力にならないこと。
  • 足が柔軟に動くこと。

英語で巻き足のことをEggbeater Kickと呼ぶ。実際にやってみると分かるのだが、最初のうちは、蹴り下ろすときには大きな揚力が得られそうだが、逆に足を引き上げるときに下に沈んでしまう。また、かなりの柔軟性がないと足を引き上げることができない。さらに、腿の動きに気を取られると足首できちんと水をかけない。

別の解説によるとそれぞれのパーツの角度は90度になる。かなり持久力が必要だと書いてある。つまりある程度陸上で柔軟運動をしてから水に入る必要がある。

このように解説しているものもある。(サイト閉鎖のためにリンクは削除しました)

座位(椅子に座った姿勢)で膝を横に開き、下腿を左右交互に動かして推進力を得る技術。
膝をできるだけ広げ、片脚ずつ足と下腿で大きな円を描くように動かします。左脚は時計回りに、右脚は反時計回りに左右交互に動かします。脚の動きが電動式調理器の「卵かき混ぜ器」に似ていることからこの名がつけられました。指導現場においては、エッグビーターキックを通常「立ち泳ぎ」または「巻き足」と呼んでいます。

送信者 Keynotes

図だと難しいが動画だとこのような感じになるらしい。

水球で立ち泳ぎしている人はそれほど足が曲がっていない。

シンクロのサイトを見ると、水球のキックのように足を振り下ろしてはいけないと解説されているようにすら思える。つまり解説者によってそもそも理想されるフォームが異なっているのである。

初歩からの練習法

日赤の資格試験などでは手を使わずに5分ほど立ち泳ぎができなければならないとされるそうだ。この場合には専門のコーチについて練習するべきだろう。しかし「取りあえず浮いていればいい」のであれば、自分でも練習できる。

  1. まず、地上で正座をする。膝を曲げたままで足を横に広げお尻を直接地面につける。これは巻き足の最初の足のポジションと同じだ。
  2. 次に足の動作を地上で確認する。椅子に座って行うとよいらしい。
  3. さらに水の中に入り同じ動作を行う。
  4. 最初は水の中で安定して浮いていることができないので、ビート板につかまり前か後ろ(大抵後ろだそうだ)に巻き足で泳いで行く。推進力を確認する。
  5. 推進力が付いたら最終的に水中で静止しつつこの動作を行う。

しかし、このやり方だと「立ち泳ぎ」ができるのは最後の最後だ。人によっては1か月も2か月も全く成果が出ないことが考えられる。成果がでないと飽きてしまうかもしれない。

  1. まずは無意識に水中で足をまわすことができるように練習する。水の中ではなかなか意識的に足を動かすことはできない。
  2. 続いて、平泳ぎの足を交互にくり返し浮く感覚を覚える。水中で行うか(揚力が十分ないために浮き上がれない)ビート板を使って平泳ぎの足を行う。ビート板で首まで出るようになれば、実際にはビート板なしでも浮き上がれる程の揚力が得られている。しかし、手のポジションが変わると水の中でのバランスが崩れるので、手を前に組んでバランスを取るようにするとよいようだ。
  3. これが継続的にできるようになったら、手を使って揚力を補ってやる。すると辛うじて首を水の上に保持することができるようになる。
  4. この時点でふみ足が完成する。
  5. あとはこの動作に慣れ、徐々に足の柔軟性を増して巻き足に移行するのである。

このやり方は早く浮く事ができるようになるが、きれいな巻き足にはならず、なかなか検定に合格できるほどのフォームに移行することは難しいかもしれないが、どうにかして浮いてしまえば、あとは練習を繰り返しているうちに自分なりのやり方を覚えることができるだろう。立ち泳ぎにはこれといった正解がない。まずは水に浮いて静止できるようになってから、フォームを整えるのが良いのではないかと思う。