パウル・クレー 絶望がつくる芸術

人の略歴を探りながら20分くらいで画集を見るのは、なんというか冒涜に近いような気もする。引き続きパウル・クレーについて考える。音楽か絵画かという選択肢から絵画を選び、育児をしながら主夫として創作活動を続けた画家だ。チュニジアに旅行したあたりが転機になった。色彩感覚に目覚めて、以降さまざまなスタイルを模索した。

絵画は抽象的だ。感覚的に書くというよりは理屈の上に成り立つ創作を行なっていたようだ。絵画の中にしばしば記号的な要素が見られる。毎日日記を書きつつ理論構築を行ない、バウハウスで教えたりもした。『創造的信条』という論文の中で「芸術とは目に見えるものを再現する事ではなく、見えるようにする事」と語る。しかし単なる理論家ではなく、「神秘家」としての側面もかいま見せ、これを統合することが大きなテーマの一つだったのだという。このあたりはユングにも似ている。

しかし、ナチスはバウハウスの閉鎖を強要して前衛的芸術を「退廃芸術」として禁止した。Wikipediaの『退廃芸術展』によれば、ナチスは退廃芸術を「脳の皮質」の異常ではないのかと主張した。わからないものをはすべて「悪」だと決めつけ、退廃芸術家を公開処刑したのである。

クレーはナチスの支配下にあったドイツを捨ててスイスに渡る。しかし、スイスでも半ば狂人扱いされた上、病を得てそのまま亡くなってしまう。このスイス時代に多作の時期がある。テクニック的には衰えたとされるのだが、いろいろな不自由のなかで、その作風は純化されたようにも見える。

とりあえず、大抵の絶望には「いつかはよくなる」という希望があるものだ。しかし、この人の晩年にはそれがなかった。しかし創作意欲は衰えなかったし、新しい境地を生み出す事もできた。人間はある一定の年齢になるとそれ以上進歩できないというのは嘘だ。絶望がすべての終わりでないと考えると勇気づけられる。しかし、クレーにも焦燥感がなかったわけではないようだ。別段、達観の中から生まれた芸術でもない、というのを感じて何だかほっとする。

彼が教えてくれる教訓はただ一つ。できることをやり続けること。ただそれだけだ。

ワグナーのヒトラー

ヒトラーと芸術について調べようと思ったのは、日曜美術館でクレーを見たからだ。ヒトラーによって前衛芸術は否定され、前衛認定されたクレーはスイスに亡命した。本の内容は、ワーグナーが作った宗教(バイロイト教と呼ばれる)をヒトラーが執行したというという主張だった。

この本を「ニュルンベルグのマイスタージンガー」のCDを聞きながら読んだ。

ワーグナー

この本に出てくるワーグナーは単なるダメ人間だ。いろいろな権力に近づくが、権力者を破壊しようとも試みる。そして、ドレスデン蜂起が露見すると「私は単なる傍観者だった」といいだす。女性にだらしなく、常に自分を大きく見せようとするのだが、財産管理能力は全くない。

オペラ関係の本を見てみると、ワーグナーは「バイロイトに立派な劇場を作りドイツオペラを理論的にまとめあげた」と書いてあるのだが、Wikipediaにはまた別の記述がある。父親と死別しユダヤ人の義父に育てられたという。『ワーグナーのヒトラー』では控えめに「両親の援助をあまり受ける事なく」という書き方をされている。ユダヤ人を敵視する論文まで書いているのだが、その態度は一貫していない。結局、フランスで否定されて泣きながら帰ってくる。

ワーグナーにはファンも多い。壮大な何かを作り上げた偉人だ。例えば、小泉純一郎さんもバイロイト詣でをしているワグネリアンだそうだ。「バイロイト」は確かに宗教なのだ。

「ニュルンベルグのマイスタージンガー」は、マイスターの称号を拒否しようとする主人公に「マイスターたちが、ドイツ芸術を守っている」と訴えて聴衆の支持を受ける場面で終わる。ドイツという概念は自明のものではなく、誰かが守ってゆかなければならない。だからこそ崇高なものだ。自明の概念を必死に守る必要はない。「ドイツ性」は自明ではないからこそ大切なのである。
普通の人たちはこれを文字通りにしか受け取らないだろう。

しかし、ドイツの運命をあやうい自らの自己とダイレクトに重ね合わせると、その意味合いはまったく違ったものになる。こうして受け取られた物語はどこか歪んでいる。本来、国がばらばらなことは、誰か明確な敵のせいではないはずだが、自己の危機に悩む人は、くだらない存在としての他者が存在しなければ、その崇高性が証明できないと考える。ユダヤ人という敵の存在があるからこそ「バイロイト教」が成立する。

ヒトラー

ヒトラーは父親から虐待を受けていたが、13歳で死別。「明るく、メデューサのように冷たい目をした母」とも18歳で死別する。ウィーンで画家にはなれないと否定されるが、見たものをそのまま写し取る能力があったそうである。友達の証言によると若い時分に「リエンツィ 最後の護民官」を聞いてから、これまで全く見たことがなかった革命的なことについての伝達が「堰を切ったように」開始されたという。

「イメージをそのまま形にすることができる能力」は重要なモチーフになっている。音楽的な興奮などを言葉にしないで再現できる力が、彼のスピーチ能力と結びつけられているのだ。「バイロイト教」は教典を持っているし、歌劇も台詞付きの(つまり意味のある)音楽だ。何かうまく行かないことが、国の運命や「敵」であるところのユダヤ人と結びついたとき、その確信は希望に見えたかもしれない。

考察スル

どうやら人間には、自分が着想した事には疑問を持つが、人から聞いたことは信じてしまうという困った習性があるようだ。自信満々な他人を通して受け入れられたビジョンは、めちゃくちゃな形を作る。

少年Aがコラージュしていたようなことが、ヒトラーにも起こっていたのではないかと考えるとおもしろい。自己肯定感のない人を空洞のある丸太だとすると、その空洞に何かが満ちたときに、爆発が起こる。芸術になることもあれば、一人か二人の殺人だったり、壮大な人殺しの発展する場合もある。いったい、何が結果を分けるのだろうか。

これを迫害された側のクレーと比較すると、別の性格が見えてくる。「この世では、ついに私は理解されない。なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから」という絶望も、彼から絵を取り上げることはできなかった。しかしそれは「誰かこの世に存在していない人たち」には支持されているだろうという確信と一体だ。この人は何を目的に絵を書いていたのだろうか。壮大な体系をまとめあげようという姿勢と、内面を見つめ、ありのままに見てゆこうという姿勢の違いは何科。どちらかの芸術が優れていて、どちらかは偽物なのだろうか。
やむにやまれぬという意味ではどちらも同じくらい切羽詰まったものだろう。希望も絶望も、それ自体が問題なのではないのかもしれない。どこからそれらが生まれ、どこに行くのかということの方が違いを生み出しているようでもある。

バモイドオキ神

「神様」が成立する過程を調べてみたくなった。最初はゾロアスター教でも調べようかと思ったのだが、バモイドオキ神を見ることにした。完全にプライベートな一神教の神様だからだ。

そこで、子どもの変調に「まったく気づいていなかった」と主張している父と母の手記を読んだ。

父親は、過干渉な父親に育てられた。だから、子どもにはいろいろなことを強制しなかった。息子には、勉強ができないなら高校に行く必要は無いが団体の規律がしっかりした自衛隊に入隊するか新聞配達でも始めればいいという。自分は父性を示さないが、誰かに代行して欲しいということだ。本来、父性には、善し悪しの規範を示す・子どもの存在を肯定する・期待をかけて課題を与えてるなど、いくつかの役割があるだろう。

また、妻は白黒付けたがる人だと、仄めかすように言っている。

このような背景を見ると、父親はやさしい鷹揚な人なのだとも思える。ただし、彼は突発的に怒りだすことがあったようだ。一度はこれが原因で少年は発作に近いような症状を見せ、医者に連れてゆかれる。

一方、母親は7歳で父親を亡くした。外で好きな事をするような人だったということだ。

共感や関心は母性の機能だが、彼女には欠落していたようだ。足が痛いと泣いた子どもを医者に連れて行ったところ「もっと構ってやるように」と言われたが、よくあることだと思った、と書いている。

母親は、事件発覚後「両親に会いたくない」といわれ「そんなはずはない」と考えた。社会に出るときにも「本当にあなたがやったの」と聞いているように、事件を否定しつづけた。実際には母親はかなり厳しい躾をしていたようだ。

この少年が書いた作文「まかいの大ま王」によると、どうやらよい母親と、悪い母親が存在していたように見える。

そんな家庭の中で、母方の祖母の存在は大きかった。父親は息子の供述を読んで「どうして祖母の話ばかり出てくるのかわからない」と書いているが、祖母が実質的な母親の役割をしていたようだ。祖母が亡くなり、死を実感したところから、「奇行」がはじまることになる。それは死への執着とそれに伴う性的な興奮だった。

草薙厚子の取材するところによると、矯正の過程では「育て直し」が行われたようだ。教育に混乱があったと認定されたのだろう。父性も母性も人格を安定させる役割を果たしているはずだ。そして、父性も母性も親や保護者から受け継ぎ伝えて行くものだ。この家庭にはどこかに欠落があり、「育て直し」が必要とされたのだろう。

ただ、これだけでは神は作られない。

混乱を混乱したまま受け取る

こうした混乱に満ちた世界で、条件付きでしか自分を肯定されなかった人がたどり着いたのが、バモイドオキという神様だった。「これはキチガイの戯言(ざれごと)で、宗教ではない」と考える人がいるかもしれない。確かに、彼の混乱した行為を正当化するために少年が自ら作り出したようにも見える。しかしバモイドオキは善悪を越えた存在で、彼に生きてゆくための使命を与えた。

一般的にこれは一種の切り貼りだと考えられているようだ。有田芳生の2005年の記事はオウムと結びつけている。少年と犯罪の中で小田晋は「コラージュ的織り交ぜ」を見ている。『懲役13年』という文章があり、これがいろいろな書物からの影響を受けているからだ。もちろんこの中にオウムの影響が入っていた可能性は否定できない。少年はバモイドオキ神のマークを「ハーケンクロイツ」だと説明している。しかしユングのシンボル学では4は安定の数字でもあり、統合の象徴のようにも取り扱われる。

少年は直感像素質者だったそうだ。

確かに入ってくる情報と解釈がめちゃくちゃになっていた可能性がある。しかし「めちゃくちゃさ」は宗教と狂気を分ける基準にはならない。キリストも狂人だと見なされ十字架にかけられたのだ。ユダヤ教にも先行の宗教があり、完全なオリジナルではない。

だから、バモイドオキが宗教になりえなかったのは、教義が作られた仮定が狂っているからではない。単に、教義が他人と共有されなかったからだろう。「酒鬼薔薇」という彼が作った人格が創造した教義を誰かが再解釈すれば、作った本人の意思とは関係なく宗教として成立する可能性は否定できない。教祖誕生である。

かつては「人知を越えたところにも何かがあるかもしれないな」というのりしろのようなものがあり、「妄想」の領域も扱うことができた。中には「意味」というフィルターを通さずに、混乱に満ちた現実をダイレクトに直視してしまう人たちがいる。ただし、多くの人は単に混乱を再生産するだけで、これが人に伝わるのにはまた別の要素が必要になるのだろう。

書き直し(2012.3.24, 2013.7.28)

<子ども>のための哲学

ということで、<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネスを読んだ。永井均さんは「哲学をする」と、「哲学を鑑賞する」ということを分けて考えているようだ。そして「人の考えていることは分からない」という考えを明確に持っている。金沢真大事件に触発されて読んだのだが、別の意味で意義深かった。この本の言わんとしているところは単純で、自分の問題について考えざるを得ないという衝動を持った場合には、とことん考えてみようという主張だ。

彼が主張する哲学の秘訣は「自分自身がほんとうに納得できるまで、決して手放さないこと」ただそれだけだ。これは哲学だけではなく、いろいろな答えのない問いに当てはまるように思える。一文のトクにもならないことを考えざるを得ないと実感している人たちには心強い応援になるかもしれない。
この本よりも興味深かったのは、「なぜ人を殺してはいけないのか?」の小泉義之さんの困惑だった。形勢はあきらかに小泉さんに不利だ。というのも、永井さんは「考えによってはいいとも悪いとも言える」という結論と分離した立場にいるのだが、小泉さんは最初から「殺人はいけないことで、そうしないと大変なことになってしまう」と考えている。
この考えが彼らのポジションに現れる。

  • 永井さんは「つまり私は、人を殺してはならないという社会規範を一般的には破壊することによってのみ、その社会規範を自らに受け入れることができる。」と主張する。
  • 小泉さんは「他人が洒落た回答をしなかったら、他者が応答することすらできなかったら、あなたはどうするつもりか」と反論する。

とりあえず「洒落た」といっているあたりに、そこはかとない劣等感すら感じてしまう。そして「どうするつもりか」と感情的な反論をしてしまうのである。

もちろん、私は人に殺されたいとは思っていないし、今の所人を殺したいと考える予定もないので、社会は殺人を容認しない方がいいと思っている。永井さんの数式にも似たロジックを読んでみたが、よく分からなかった。

今日読んだ別の本に「ヤノマミ族」があるのだが、前にも書いた通り、ヤノマミ社会には報復としての殺人が存在する。殺された場合もそうなのだが、漠然とした不安(病気や事故で人が死ぬと、呪われたと考えるのだ)から報復合戦に発展する場合がある。殺人が容認された社会は実際に存在するのだ。つまり、我々の社会は殺人の連鎖に陥る危険を現実の問題として抱えている。これを認識した上で、それでも殺人はよくない(ないしは嫌だ)ということを互いに納得させつづけなればならない。

皮肉なことに「人を殺してはいけない」という点に固執すると、逆にここから先に進めなくなってしまうわけだ。小泉さんはこの論点に近すぎて、却って結論から遠ざかってしまっているように思える。

1984年を再発見

古い荷物の中からジョージ・オーウェルの「1984年」が出て来た。これを読んだのは大学生の頃でちょうど1980年代だったと思う。全体主義と思想統制の陰惨さが書かれている。独裁者や統制者をあらわすビッグ・ブラザーというのはこの本がオリジナルのようだ。この用語を使っている人たち自体が思想統制や歴史の正当化を目的にしていたりするので、ややこしい限りではあるが…
この社会では戦争が恒常的に行われており、歴史改ざんの結果「本当に何があったのか、もうよくわからない」状況が出来上がっている。言語すら改ざんされはじめていて反体制的な事は考えることすらできない。Wikipediaに要点がまとめられている。党のスローガンはこんな感じで、矛盾する事が一つのフレーズにまとめられている。これも言語が持つの特性だ。形が成り立てば、そこからコンセプトを作る事ができるのである。

  • 戦争は平和である(WAR IS PEACE)
  • 自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)
  • 無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)

主人公は反体制的な思想を持ち始めるのだが、その端緒は「何も書かれていない本に自分の考えをまとめる」ということだった。最初は自分がどうしてそんなことをしているのか分からない。ただ、徐々に、自分が反体制的な思想を持っていることに気づいてしまう。一度その考えに取り憑かれたらもう止まらない。衝動的に体制を罵倒する言葉を書き連ねる。「書く」ということには、確かにこういう側面もある。
ところでオーウェルはもともと「新聞記事を書くつもり」だったのだが、体験記はあまり売れなかった。結局退潮が悪化し、30代後半から療養しながら、小説を書くようになる。結局46歳で結核で亡くなるまぎわに完成したのがこの『1984年』だそうだ。最後はジュラ島に引きこもり、そのまま亡くなってしまったという。(略歴はWikipediaでも見られるが、翻訳者新庄哲夫のあとがきを要約した感じになっている。)
新庄哲夫が指摘するように、この小説は、折々の脅威に関して使われ、違った読み方をされる。それが漠然とした不安に対する標識になっているからだろう。この小説でオーウェルが生み出したコンセプトが欧米で共通語のように使われるのは、その不安が時代を越えて人々に共有されているからなのだと思う。

タルコフスキーのストーカー

文章を書いていると、時々「何のために書いているのか」分からなくなる事がある。何かを探しているはずなのだが「一体何を探しているのか」「本当に探しているものは見つかるのか」とか、そんな疑問が浮かび上がってもくる。そもそも他の人ではなくどうして自分がと思う事もある。周りの人もあまり幸せそうな顔はしない。
ということで、本を読むのをやめて、「ストーカー」という映画を見た。大学のときに一度見た事があるのだが、眠かった記憶しかなかった。どうしてそんな映画が見たくなったのかすらわからなかった。

この映画はSF仕立てになっているが、筋書きは単純だ。ストーカー(密猟者)と呼ばれる人が、絶望を抱えているらしい作家と教授を連れてゾーンと呼ばれる所に行く。ゾーンに入るのは非常に危険で、逮捕される危険性がある。運良く入ることができても、殺されることすら覚悟しなければならない。ただ、ゾーンの中には「すべての希望がかなう部屋」があるのだ。妻は「こんどは仕事を見つけて働くっていったじゃないの」と、泣いて止める。

「希望」を探す人たちが、希望がかなう目前で戸惑う。それぞれの「希望」に対する態度は異なっている。最後にストーカーは帰って来て、本がたくさんある部屋で涙ながら妻に不満をぶちまけて泣き崩れる。「結局、作家も学者もインテリっていうのは、希望なんか本気で追求していないんだ」結局、幸せは探していた所にはなかったが、身近にあるということが暗示される。しかし、まだストーカーはそのことに気がついていないようだ。
意味ありげな映像なのだが、何かを意味しているわけではないようだ。(実際にはチェルノブイリ事故を意味するのではという説がある。)「探査」「探求」をできるだけ純粋に象徴するようにくみ上げられているようだ、ということが本人のエッセーから読み取れる。本人曰く、奥さんに象徴される「純粋な愛の価値」を書きたかったのだそうだ。奥さんは最後に見る人に「いろいろあったけれど、後悔はしていない」と言い切る。

ただ映画の伝えることは「幸せは近くにあるのだから探索をやめろ」ということでもなさそうだ。ストーカーは同じ場所に戻ってくるだけなのだが、その世界は探索をする前と後で違っている。そもそもゾーンには絶望した人でなければ入る事はできない。つまり本物の絶望をくぐり抜けてこそ、何かを見つけることができるということだろう。そしてそれは探索の結果見つかるものではない。作家は部屋の近くで「いばらの冠」を見つけ、分かったぞとつぶやくのだが、本当に分かったかどうかは怪しい。探索という行為自体が何らかの意味を持っているのであるが、そこに分かりやすい記号が隠れているわけではない。

人間は「探索せざるを得ない」気持ちになることがある。そこには何もないかもしれない。なぜ生きてゆくのかという問いに意味がないのと同じように、なぜ探し求めるのか、どうして探索に取り憑かれるのかという問いにも意味がないのかもしれない。

もし、引きこもっている人や、これから引きこもろうという人がいたら、心行くまで絶望して、引きこもり続ければいいのだと思う。だが、そんな人は決して独りではないはずだ。私たちはそうやすやすと絶望に折れてしまうほど弱くはないのだと思う。

平気で嘘をつく? あの人たち

よく、殺人事件の容疑者の実家にマスコミが押し掛けて、両親を吊るし上げることがある。つるし上げのために「生育歴」という言葉が使われる。これを批判して「子どもの自己責任だから親を吊るし上げるのはおかしい」という人たちもいる。一体どちらが正しいのだろうか?
「平気でうそをつく人たち」にショッキングな話が出てくる。ある子どもが銃で自殺する。その弟の成績が下がってくる。鬱病を発症したらしい。弟は診療を受けるのだが、医師はショッキングな事実を知る。両親は弟に、兄が自殺で使った銃をプレゼントしていたのだ。医師は「これは、兄と同じように銃を使って死ねということですか?」と聞いてみるのだが、両親は話をはぐらかす。医師はどうやら、本当に治療が必要なのは両親ではないかと考えるが、彼らは自分たちが精神的に問題を抱えているとは思わない。

多くの人は精神的に問題があると「なんらかの罪悪感や苦痛」を感じ、社会的な活動が制限される。だが、ごく希に罪悪感も苦痛も感じない人もがいる。こういう人たちをサイコパスとかソシオパスと言う。彼らの犠牲になるのは周りにいる人たちで、子どもは真っ先に犠牲者になる。

最初の質問に戻る。ということは「殺人事件を起こした人がいるのなら、親も一緒に捕まえてくればいいだろう」ということになるのだろうか。残念ながら、話はそんなに簡単ではない。

私たちの中で完全な人格をもった人なんか一人もいない。また、自分の嫌いな人を「あの人は社会的じゃないからサイコパスに違いない」と言い出したらキリがない。社会的に不安が溜まれば溜まるほど、こういった疑念は広がってゆくだろう。どうやら一体どちらが正しいのだろうかという質問自体に問題がありそうだ。

どっちかにケリをつけたいと我々が考えているとき、そこにあるのは漠然とした不安感だ。疑念がありそうな人たちを独り残らず精神病院に送りつけても不安感は消えないだろう。

サイコパスにとって、社会正義の名の下に人を罵倒できるポジションは活躍の場所である。普通の神経を持っている人であれば聞けないような事を平気で聞く事ができるだろうからだ。

こういった人たちの中には社会的に成功している人も多い。罪悪感はある種「ブレーキ」になっている。この制約から解き放されると活躍しやすくもなる。自己啓発書の中には罪悪感から解き放たれることを勧めるものも多い。

最初の「平気でうそをつく…」の例は分かりやすかった。銃を子どもに贈るなんて、どう考えてもおかしいからだ。しかし、必ずしも分かりやすい事例ばかりとはいえない。それではどうすればいいのか。結局どっちが「悪いのか」とか、「是」か「否」かという質問から離れてみる必要があるということじゃないだろうか、というのがだらしない今日の結論だ。

共感覚 – 2,000人に一人の感覚

Lightという単語という単語は何色だろうか?では、Rightでは? もしこの質問が何のことやら分からない人は私の仲間ではない。私はこの違いは昔遊んだ色付き文字ブロックの違いだと思っていた。どうやらそうとばかりは決めつけられないようだ。

ジョン・ハリソンの「共感覚」によるとこのような現象は色聴と呼ばれ、共感覚の中では一般的なものだそうだ。音を聞くと、音に色がついて見えるのである。私はこの色の違いで日本語の「ラ」と、La, Raの違いを認識している。ラはオレンジ、Lはレモン色、Rは茶色に見える(というか聞こえる)。単語を記憶するときにも使っている。(こういう記事もある。どうやら普通の事のようだ。)色で覚えるわけだ。

色聴者は、見るだけでは音に色はつかない。別の記事によると、読む文字に色がついている人もいるという。また香りを形で感じる人もいるようだ。遺伝するという説もありジョン・ハリソンは「男性の50%に致死性のある伴性優性遺伝」だという可能性を示している。

Wired Visioのこの記事によると、特定の音と形が結びつくのも、共感覚の一つだという。ラマチャンドラン氏が提示するのは「キ」と「プー」の音のうち、どちらが丸みを帯びているか、というものである。こちらの感覚は多くの人が持っているのではないだろうか。

統合失調症の患者にも同じような感覚があり、薬物でも再現できるというのが、ちょっとひっかかるが、別に日常生活には支障がない。

色聴の仕組みはよく分かっていない。脳の混線だという人もいれば、誰でも持っているが意識されないだけだと考える人もいる。これが今回書きたかったことで、意識している世界が我々の認知するすべてではないという可能性があるわけだ。意識のさらに一部が言葉なのだが、言葉だけを使って分析的にコミュニケーションをとると、さらに世界の統合が難しくなることがある。

スパイト行動

このブログで何回か取り上げたスパイト(いじわる)行動。
元になった論文はコチラ
この論文から私が読み取ったのは次の点だが、どうやら「1」は正しい理解ではなかったようだ。

  1. 筑波大学の学生は(カリフォルニアの学生に比べ)公共財のフリーライドを目指す傾向がある。
  2. 筑波大学の学生は自分の利得を削ってでも、フリーライドを禁止する傾向が高い。
  3. これにより、フリーライダーは協力せざるを得なくなる。

これについて、ゲーム理論で解く (有斐閣ブックス)で、もう少し調べた。ご本人の論文よりもこちらの方が分かりやすかった。他にも面白い例がたくさん掲載されている。ゲーム理論は一昔前の流行と見なされているフシもあるが、いろいろなヒントを与えてくれるようだ。

公共財供給とスパイト行動 (西条他)

  1. 公共財とは一人が消費することによって別の人が消費できなくなるという性質を持たないもの。(私的財に対応する言葉)
  2. アクセスに制限を儲ける(有料テレビのように)ことで、排除可能な公共財を作る事もできる。
  3. 公共財はただ乗り(フリーライド)が起こるため、協調によって得られる最大利得行動がナッシュ均衡にならない。
  4. ただ乗りを防ぐためには、制度設計が重要(Groves&Ledyard, 1977)
  5. 社会の全部が自発的に公共財投資を行うインセンティブを常に持つ戦略を立てるのは不可能(Saijo & Yamato, 1997/1999)
  6. 経済実験(Saijo, Yamat, Yokotani & Cason 1999)では、このようなゲームを繰り返し行う事で参加68%,不参加32%という均衡戦略に到達するかどうかの実験が行われた。(※いつも2/3、1/3になるというわけではなく、利得表で調整しているものと思われる。)
  7. しかし筑波大学の実験では参加率が95%まで上がった。それは自分の利得を犠牲にしてまでも、相手のただ乗りを阻止する選択をする人が多かったからだ。これをスパイト行動と呼ぶ。
  8. このような違いがなぜ起こるのかは、解明されていない。

自分の利得を削ってでもただ乗りを防ぐ努力が抑止力になっているという説明だが、インプリメンテーションはなかなか難しい。普通に読み取ると、相互監視的な抑止力がなくなると「普通程度」にただ乗りが起こるコミュニティーができあがるということなのだろう。ただ、フリーライド抑制のメカニズムは他にも存在するかも知れない。

食料管理制度と米の流通

食料管理制度と米の流通

第二次世界大戦での物資逼迫は当然米などの食料品にも及んだ。1942年に東条英機は食料流通を国家統制することに決めた。もちろん国家統制が及んだのは食料だけではなかった。自由競争よりも国家統制により「強い国づくり」を目指したのは、その当時の大きな方針だったといえる。

1960年1月3日の新聞記事(出典なし)によると、戦後の闇米の事情は次のようなものだったという。
戦後食料難が続き、国家配給米では国民の必要を満たす事はできなかった。国民は闇米と言われる自主流通米を手に入れることで、飢えを満たした。農家は売れる米は闇米として高値で流通させ、あまりおいしくない米を政府米として納入するようになった。価格差はなかったのだが、現金収入になり、課税されない闇米の方が魅力的だったのだという。政府もまずいことを承知で米を売ったので、政府米に対する信頼は失われた。米穀店も政府米だけではなく、闇米を扱っていたのだが、これは公然の秘密だった。政府米は売れ残ることになるので、米屋は政府米を混ぜて闇米を売った。「闇米もそんなにおいしくない」ということになり、政府米が売れだしたのだという。

しかし、農業協同組合の組織率の高さを考えると、農家が好き放題に米を売っていたとは考えにくい。GHQは行政から独立した農業協同組合を作りたかったのだが、食料が逼迫していたことから国家統制を取り除くことができなかったのだという。農業協同組合は農林水産省の出先機関だそうだ。そして組織率の高さから票田として利用された。自由民主党の長期安定政権を支えていたのは農協だった。農協は金融機関も兼ねており、農村での権力は絶大だった。

大貫一貫の「ニッポンのコメ」によると、農家は自分の所で食べるということで米を闇米として流通させていたのだという。その他にも、農家が正規ルートに売り払った後に、流通経路を外れる米もあったらしい。

農村は農協によって守られている。農協は国から守られており自民党の権力を支えている。農村人口は全人口から見れば大多数ではないが、まとまりといった点では都市の浮動票よりも頼りになったのである。しかし一方で農村の倫理観はそれほど進展しなかった。悪い事をしても誰かがかばってくれるというような空気があったことは確かだろう。

発展途上国体制の終わり

農村は国が統制していた、といってもよい。農家、農業協同組合、農林水産省、自民党が一連の組織となって共存共栄の関係が続いていた。何か問題が起こったとしても内部で処理されたのだろうし、表沙汰になることはなかった。この体制は農家の収入を保証した。米価の暴落を防ぐためには、減反政策を取り、生産調整を強制することもいとわなかった。減反政策は1969年に始まったとのことである。

1992年には「オラを告発しろ」と自称ヤミ米商の川崎磯信が本を出版。300万円の罰金を課せられた。

1993年にコメが不作となり、国産米が暴騰した。タイ米が大量に輸入されたが日本人好みの味ではなかった。タイでは米の価格が高騰したのだが、日本人には人気がなく多くが廃棄されてしまったという。

1994年3月には闇米を大量に買い付けた量販店、城南電機の前に長蛇の列ができ、テレビニュースで取り上げられた。食糧庁は無許可販売として行政指導を行ったが、これが逆宣伝となり闇米を売った農友の取り引きは拡大した。

しかし食料管理制度は1995年に崩壊する。1995年にはミニマム・アクセス米が割り当てられ、安い米が輸入されることになった。

この事で分かったのは、闇米は違法としながらも、実際は20〜30%程度闇米流通していたという事情だった。農村は、農協や国に守られつつも、裏では、減反せずに余った米を闇米として流通させ続けていたのである。国もこれを大きく取り締まることはなく、いわばなれ合いの関係が続いていたということになる。

「ニッポンのコメ」によると、食管制度が変わっても生産者側では統制経済のような生産統制が続いているのだという。消費側は自由経済である。この制度、次の豊作時に破綻するかもしれないと言われているそうだ。


農政 – 過去のトラウマ

日本の農業は戦前、虐げられる小作農対地主という構図があった。このため、今でも農地を取得する場合には自分で農業をやる(自作農)ことが前提になっている。日本の農家は大規模資本家が乗り込んで来て多数の小作を抱えることを危惧している。農地取得には農業委員会の審査が必要だ。

農地委員会は市町村に置かれているのできめ細かな審査が可能なのだが、当然の事ながら地元の利権構造が影響を与えることになる。小規模の農家は大規模の農場には勝てない。しかし小規模農家の数は多いので農業委員会を支配することができる。つまり日本の農業はシステム的に新規参入が妨げられている。

また米は戦前投機の対象だった。江戸時代までは、貨幣の役割も果たしていた。最初の米先もの相場は1730年だそうである